アブソリュート・エゴ・レビュー

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愛しのタチアナ

2016-03-04 21:18:51 | 映画
『愛しのタチアナ』 アキ・カウリスマキ監督   ☆☆☆★

 カウリスマキ・ブルーレイボックスから『愛しのタチアナ』を再見。前にDVDで観たが、さすがにブルーレイだと画質がシャープで嬉しい。この映画は意図的にモノクロで撮ってあるが、白と黒の色調が彫刻的に美しいのである。

 『パラダイスの夕暮れ』同様カティ・オウティネンとマッティ・ペロンパーの共演作であり、かつマッティ・ペロンパーの遺作となってしまった作品である。内容的にはオフビートなロード・ムーヴィーで、全篇にわたってカウリスマキ独特のスタイルがほとんどシュールレアリスティックなまでに炸裂している。そんなこんなで、本作はカウリスマキ・ファンの間ではかなり人気の高い作品のようだが、私はカウリスマキのフィルモグラフィーの中ではそれほど上位に来る作品ではないと思っている。
 
 シュールレアリスティックなまでのカウリスマキ・スタイルとはたとえば主人公の男2人がひたすらコーヒーとウォッカをがぶ飲みし、女を同行しているというのにほとんど無視して口もきかない、というような極端なデフォルメ描写であり、もちろん背広を寝押しする時に火炎放射器を取り出したりするわけの分からないディテールもそうだ。そうした現実離れの度合いというのはおそらくカウリスマキ映画の中でも特に強く、その意味で本作はカウリスマキ映画の様式性を極端に突きつめた映画といってもいい。マッティ・ペロンパーがさかんにロックンロールを話題にすることや全篇に流れる音楽も、カウリスマキ映画に欠かせない様式美の一部である。

 その一方で、ストーリーの牽引力はほぼないに等しい。仕立屋のヴァルトはかわりばえのしない日常に嫌気がさして旅に出る、という設定だが、旅の中身はといえばただコーヒーやウォッカを飲み、黙り込んで車を走らせるだけである。目的地は特にない。あえていえば、クラウディアとタチアナを拾ってからは彼女たちを港まで送ることが、途中で偶発的に生じた目的といえる。また旅の無目的性はさておいても、ヴェルト、レイノ、クラウディア、タチアナの四人の人間性がきわめて希薄である。無表情で現実離れした行動ばかりとるので、どうしてもそうなってしまう。

 カウリスマキの数々の名作『過去のない男』『浮き雲』『街のあかり』などでは、キャラの表情や行動は極端にデフォルメされつつも、その内面は切実だった。『過去のない男』では記憶喪失でどん底に落ちた主人公が愛する人を得て人生をやり直そうとするし、『浮き雲』ではダブル失業した夫婦が生活とプライドのために、必死にあがく。彼らもやはりマリオネット的に無表情、無口だったけれども、だからこそその行動からはペーソスや切実な人間性が滲み出していた。これこそ私が感服してやまない、カウリスマキ映画の見事な逆説である。いわば、人間の魂を宿したマリオネット劇だ。が、本作においては、キャラ達の中にそんな人間的な内面性がほとんどうかがわれない。まるで彼らは心身ともにマリオネットのようだ。

 カティ・オウティネンとマッティ・ペロンパーが無言でそっと寄り添ったり、四人が紅茶とサンドイッチを分け合ったり、納屋のような場所で女2人が音楽に合わせてぎこちないダンスを踊ったりと、カウリスマキ的にイケてる絵はたくさん出てくる。従ってそれだけで満足するオーディエンスも多いだろうし、この映画にそうした魅力があることは否定しない。が、私としては、やはりいまひとつ物足りないと言わざるを得ないのである。



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