『ルパン三世 First TV Series』 ☆☆☆☆
何を隠そう、私はルパン三世のファースト・シリーズのファンなのだが、日本版ブルーレイは高いし評判悪いしDVDはもう入手できないしで、ずっと購入を見送っていた。が、なんと、最近アメリカのAmazonでファースト・シリーズが発売されているのを発見した。しかも40ドルである。日本版のDVDなんて4万円以上の値段がついているというのに。というわけでさっそく購入した。写真はアメリカ版DVDのジャケットだけれども、なんかアメリカナイズされている。
昔ファーストシリーズのVHSビデオを一巻目だけ持っていたが、それには最初から6話が入っていた。以下のエピソードである。
「ルパンは燃えているか・・・・?!」
「魔術師と呼ばれた男」
「さらば愛しき魔女」
「脱獄のチャンスは一度」
「十三代五ヱ門登場」
「雨の午後はヤバイゼ」
今回全話通して見てみたところ、やっぱり見ごたえがあったのは最初の5話、つまり五ヱ門が登場する「十三代五ヱ門登場」までだった。その後もそれなりに面白いものはあるが、やはり初期の5話が傑出している。アンニュイとダンディスムとペーソスを兼ね備えた複雑きわまりないルパン三世というキャラクター、次元大介とのケミストリー、そして峰不二子の妖艶さ。圧巻である。
最初の6話は大隅正秋が演出していて、7話から高畑勲と宮崎駿のコンビに交代するのだが、大隅氏はこのアニメを完全に大人向けとして作っていたらしい。視聴率が振るわないので子供向けに路線変更することになり、それが嫌で降りた大隅正秋の代わりに高畑勲と宮崎駿が呼ばれたそうだが、そういうわけで7話以降はだんだん子供向けになっていく。まあ他のアニメと比べてそれほど子供向けという感じでもないが、少なくとも峰不二子のセクシー度はぐっと抑えられ、ルパンもコミカルな面が強調されるようになる。そしてなんといっても初期数話に顕著だった独特の倦怠感、虚無の香りがきれいさっぱりなくなる。
最初期の数話の中でも、特に傑作だと思うのは「魔術師と呼ばれた男」「脱獄のチャンスは一度」「十三代五ヱ門登場」の三つである。この三つは本当に素晴らしい。「魔術師と呼ばれた男」「脱獄のチャンスは一度」はアンニュイなムードが似ているが、話の構成も似ている。特徴はストーリーがシンプルで一定のパターンの繰り返しになっていること、そして大人っぽい「間」があることだと思う。
たとえば「魔術師と呼ばれた男」ではルパンと次元の前にパイカルが現れ、超常的な能力で二人を翻弄する。二人はそれに対抗するためにだんだんと大げさな武器を繰り出す。拳銃、マシンガン、ロケットランチャーとエスカレートしていくのだが、結局通用せず、ほうほうの体で逃げ出すというギャグになっている。これは「脱獄のチャンスは一度」も同じで、監獄に入ったルパンを助けようと不二子が何度もトライし、その度に次元が妨害する、というパターンが繰り返される。ここでも二人の使う道具がだんだん大げさになっていく。
私はこの繰り返しパターンが大好きで、ギャグとして洒落てるだけでなくキャラクターの魅力を最大限に引き出せるし、ストーリーの流れも美しいと思う。「脱獄のチャンスは一度」で次元は「ルパンは逃げたければいつでも出てくる、助けなんて必要ない」といって不二子の「救援」を徹底的に妨害する。ルパンを絶対的に信頼しているからこそ助けない、むしろ助けることを妨害するという、このひねくれたダンディズムが最高だ。男のロマンである。一方のルパンも、いつでも逃げられるのに最後の最後ギリギリになるまで逃げない。傷ついたプライドがそうさせるのである。この頃はルパンと銭形との関係も後のようにおちゃらけオンリーではなく、どこかシリアスな対抗意識がある。そして終わりの方、坊主に化けて監獄に忍び込んだ次元とルパンの対話はあまりにかっこ良く、涙が出そうになる。
ついでに言うとこの話で銭形もいい味を出していて、最初はルパンを捕まえて勝利に酔う。そしてルパンが死刑になることを想像して悦に入るが、やがていつまでたってもルパンが脱獄しないので焦り始める。そして部下に「まるで警部はルパンに脱獄して欲しいみたいですね」などと言われてしまう。
それから「間」がある、というのは何かというと、ストーリーを進めることばかりに汲々とせず、ゆとりと洒落っ気があるという意味で、たとえば「魔術師と呼ばれた男」での次元の射撃練習などが典型的だ。的に向かって拳銃で射撃練習をしているのだが、最後に後ろ向きになって撃ち、わざわざ鏡を取り出して的を確認する。いやーかっこいい。こういうディテールの魅力が最初期のルパンにはあって、私が愛するのもこういうルパンである。後半になるとこういう味はなくなってしまう。
それから特筆すべきは、初期のエピソードにおけるルパンと次元のケミストリーの素晴らしさ。「明日に向かって撃て」のブッチとサンダンス・キッドがモデルなんじゃないかと思うが、ルパンのエスプリとそれを受け止める次元の大人っぷりが超シブい。たった二人というのも良くて、後半五ヱ門や不二子と共闘することが多くなるとにぎやかになる代わりに、このシブさは失われてしまう。
キャラの変化について言うと、宮崎駿は初期数話から後半へのルパンの変化について「退廃したフランス貴族の末裔から、何かうまい話はないかと常にきょろきょろとあたりを見回しているイタリアの貧乏人の子倅への変化」と言っているらしいが、確かに言い得て妙だ。初期のルパンはコミカル度は低く、キザでダンディ、そして笑みを浮かべたまま人を殺すような酷薄さがあった。決して「ワルぶっているけど実はいい人」なんかじゃない。パイカルも殺したし、五ヱ門も初対面後すぐに「燃える液体」で殺そうとしている。
(次回へ続く)
何を隠そう、私はルパン三世のファースト・シリーズのファンなのだが、日本版ブルーレイは高いし評判悪いしDVDはもう入手できないしで、ずっと購入を見送っていた。が、なんと、最近アメリカのAmazonでファースト・シリーズが発売されているのを発見した。しかも40ドルである。日本版のDVDなんて4万円以上の値段がついているというのに。というわけでさっそく購入した。写真はアメリカ版DVDのジャケットだけれども、なんかアメリカナイズされている。
昔ファーストシリーズのVHSビデオを一巻目だけ持っていたが、それには最初から6話が入っていた。以下のエピソードである。
「ルパンは燃えているか・・・・?!」
「魔術師と呼ばれた男」
「さらば愛しき魔女」
「脱獄のチャンスは一度」
「十三代五ヱ門登場」
「雨の午後はヤバイゼ」
今回全話通して見てみたところ、やっぱり見ごたえがあったのは最初の5話、つまり五ヱ門が登場する「十三代五ヱ門登場」までだった。その後もそれなりに面白いものはあるが、やはり初期の5話が傑出している。アンニュイとダンディスムとペーソスを兼ね備えた複雑きわまりないルパン三世というキャラクター、次元大介とのケミストリー、そして峰不二子の妖艶さ。圧巻である。
最初の6話は大隅正秋が演出していて、7話から高畑勲と宮崎駿のコンビに交代するのだが、大隅氏はこのアニメを完全に大人向けとして作っていたらしい。視聴率が振るわないので子供向けに路線変更することになり、それが嫌で降りた大隅正秋の代わりに高畑勲と宮崎駿が呼ばれたそうだが、そういうわけで7話以降はだんだん子供向けになっていく。まあ他のアニメと比べてそれほど子供向けという感じでもないが、少なくとも峰不二子のセクシー度はぐっと抑えられ、ルパンもコミカルな面が強調されるようになる。そしてなんといっても初期数話に顕著だった独特の倦怠感、虚無の香りがきれいさっぱりなくなる。
最初期の数話の中でも、特に傑作だと思うのは「魔術師と呼ばれた男」「脱獄のチャンスは一度」「十三代五ヱ門登場」の三つである。この三つは本当に素晴らしい。「魔術師と呼ばれた男」「脱獄のチャンスは一度」はアンニュイなムードが似ているが、話の構成も似ている。特徴はストーリーがシンプルで一定のパターンの繰り返しになっていること、そして大人っぽい「間」があることだと思う。
たとえば「魔術師と呼ばれた男」ではルパンと次元の前にパイカルが現れ、超常的な能力で二人を翻弄する。二人はそれに対抗するためにだんだんと大げさな武器を繰り出す。拳銃、マシンガン、ロケットランチャーとエスカレートしていくのだが、結局通用せず、ほうほうの体で逃げ出すというギャグになっている。これは「脱獄のチャンスは一度」も同じで、監獄に入ったルパンを助けようと不二子が何度もトライし、その度に次元が妨害する、というパターンが繰り返される。ここでも二人の使う道具がだんだん大げさになっていく。
私はこの繰り返しパターンが大好きで、ギャグとして洒落てるだけでなくキャラクターの魅力を最大限に引き出せるし、ストーリーの流れも美しいと思う。「脱獄のチャンスは一度」で次元は「ルパンは逃げたければいつでも出てくる、助けなんて必要ない」といって不二子の「救援」を徹底的に妨害する。ルパンを絶対的に信頼しているからこそ助けない、むしろ助けることを妨害するという、このひねくれたダンディズムが最高だ。男のロマンである。一方のルパンも、いつでも逃げられるのに最後の最後ギリギリになるまで逃げない。傷ついたプライドがそうさせるのである。この頃はルパンと銭形との関係も後のようにおちゃらけオンリーではなく、どこかシリアスな対抗意識がある。そして終わりの方、坊主に化けて監獄に忍び込んだ次元とルパンの対話はあまりにかっこ良く、涙が出そうになる。
ついでに言うとこの話で銭形もいい味を出していて、最初はルパンを捕まえて勝利に酔う。そしてルパンが死刑になることを想像して悦に入るが、やがていつまでたってもルパンが脱獄しないので焦り始める。そして部下に「まるで警部はルパンに脱獄して欲しいみたいですね」などと言われてしまう。
それから「間」がある、というのは何かというと、ストーリーを進めることばかりに汲々とせず、ゆとりと洒落っ気があるという意味で、たとえば「魔術師と呼ばれた男」での次元の射撃練習などが典型的だ。的に向かって拳銃で射撃練習をしているのだが、最後に後ろ向きになって撃ち、わざわざ鏡を取り出して的を確認する。いやーかっこいい。こういうディテールの魅力が最初期のルパンにはあって、私が愛するのもこういうルパンである。後半になるとこういう味はなくなってしまう。
それから特筆すべきは、初期のエピソードにおけるルパンと次元のケミストリーの素晴らしさ。「明日に向かって撃て」のブッチとサンダンス・キッドがモデルなんじゃないかと思うが、ルパンのエスプリとそれを受け止める次元の大人っぷりが超シブい。たった二人というのも良くて、後半五ヱ門や不二子と共闘することが多くなるとにぎやかになる代わりに、このシブさは失われてしまう。
キャラの変化について言うと、宮崎駿は初期数話から後半へのルパンの変化について「退廃したフランス貴族の末裔から、何かうまい話はないかと常にきょろきょろとあたりを見回しているイタリアの貧乏人の子倅への変化」と言っているらしいが、確かに言い得て妙だ。初期のルパンはコミカル度は低く、キザでダンディ、そして笑みを浮かべたまま人を殺すような酷薄さがあった。決して「ワルぶっているけど実はいい人」なんかじゃない。パイカルも殺したし、五ヱ門も初対面後すぐに「燃える液体」で殺そうとしている。
(次回へ続く)
10年ほど前にNHKのBSでルパンの特集があり、出演者の一人が「ルパンの魅力はクリエーターによって全く異なるものを生み出せるところだ」と言っていました。最近の漫画はストーリーが練られている反面、原作を自由にいじる楽しさというのはないのではないかと感じます。