アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

この世の王国

2010-09-16 20:34:04 | 
『この世の王国』 アレホ・カルペンティエル   ☆☆☆☆☆

 カルペンティエルの『この世の王国』を再読。心地よく幻想的、それほどややこしい話じゃないが直球でもない。読みやすいが深読みもできる。かなり好きな小説である。わりと初期の作品で、ハイチの驚異的な現実が描かれていること、長い歳月にわたる物語であること、独裁者や宮殿や革命が出てくること、そして超現実的なエピソードがあることなど、いかにもラテンアメリカのマジック・リアリズム小説だ。文体もマルケスやフエンテスの遠い親戚みたいなメランコリーがあり、ラテンアメリカ文学好きにはオススメである。

 全篇を通して登場するのは奴隷のティ・ノエルで、基本的に彼の目を通して眺められたハイチの波乱万丈の歴史が描かれる。が、それぞれの章で異なる主要人物が登場し、そこで描かれる出来事も移り変わっていくので、『百年の孤独』『族長の秋』みたいに一つのテーマやモチーフをつきつめた小説ではなく、歴史上のエピソードを順番に取り上げていくという、いわば小プロットの集合体だ。たとえば第一章では片腕をなくした奴隷のマッカンダルがメインで、彼は失踪して牛や白人を毒殺し、最後はつかまって火あぶりの刑に処される。それから革命が起こり、殺戮の嵐が吹き荒れる。ティ=ノエルも破壊活動に参加する。

 次にルクレルク将軍の妻ポーリーヌが登場し、彼女の船旅、そして贅沢なハイチでの生活が描かれる。やがて疫病が蔓延し、彼女はフランスに帰っていく。続いて登場するのが独裁者アンリ・クリストフである。緑の中に忽然と出現する白亜の大宮殿、建設のために酷使される大勢の奴隷たちと、本書中もっとも幻想的で華麗なイメージが繰り広げられる章である。ティ=ノエルはここでもまた奴隷として酷使されるが、やがて逃げ出して農場に辿り着く。栄華を誇ったアンリ・クリストフも滅び、今度はムラートたちが勃興する。支配者となったムラートもやはり奴隷を酷使する。最後の章では年老いたティ=ノエルが動物に変身し、突風が屋敷をなぎ倒す。

 全篇を通じて、支配者たちは次々と移り変わっていく。誰も長続きはしない。しかし奴隷たちは常に奴隷に留まり、支配者が誰であろうと関係なく酷使され続ける。

 こういうエピソードの連鎖で小説が成り立っており、つまり歴史書と同じだが、それゆえにアンリ・クリストフやポーリーヌ、農場主、マッカンダルなど印象的な活躍をするキャラクター達もそれほど深くは掘り下げられない。そして誰も彼もが次々と死んでいく。

 リョサは『嘘から出たまこと』の中で本書を取り上げ、一見作者の想像力が創り上げた幻想小説と思われかねない本書が、かなりしたたかな手法を精緻に駆使することでそのように見せかけた、いわば擬似幻想小説であることを詳細な分析とともに解説している。リョサはまず、ある研究者の分析によって、本書の登場人物・エピソード・細部には(主人公のティ・ノエルを含め)文献的裏づけのないものはほとんどないことを明らかにする。いわく、『この世の王国』は歴史的・神話的・宗教的・民俗学的・社会学的データの「恐るべきモザイク」である。

 ほえー、そうなのか。これにはびっくりした。しかし読み返してみると、確かにカルペンティエル自身が本書の序文にそれらしきことを書いている。またリョサは作者の、私は物語を創造することができない、私の書くものすべては見たこと、観察したこと、覚えていることを寄せ集めて体裁を整えた<モンタージュ>に過ぎない、という言葉を引用している。まあこれは極端な言い方だけれども。

 それからリョサはカルペンティエルの語りが実は決して非現実の領域に足を踏み込まず、にもかかわらずエピソードを神話化・脱リアリズム化するために様々な手法を駆使していると指摘する。一つ目は事物や事象を突然羅列して密集体と化し、物語に激変や大転換をもたらす手法で、二つ目は無機物を生命体に変えてしまう一種の換喩(リョサ自身はこれを情報隠しの省略法と呼んでいる)、そして三つ目は語り手が登場人物の主観に限りなく接近した状態でその感知するものを語り、それを現実そのものと置き換えてしまう手法である。この三つ目の手法は非常にデリケートな使い方をされており、語り手がさまざまなレベルを自在に飛び回るために読者はほとんどそれに気づかない、しかし注意深く読めば、どんな非現実的な事件を描写する際も語り手はそれが事実だという保証を与えていない、とリョサは言う。なるほど、そう言われれば確かにそうかも知れない。

 しかしまあ、読者はあまりそんなことを気にしながら読む必要はないだろう。要するに、この小説は緻密な方法論と技術によって構築された第一級の芸術作品ということだ。


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