アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

2006-05-09 19:35:21 | 
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』 ポール・オースター編   ☆☆☆☆★

 ラジオ番組の企画でポール・オースターのもとに全米から届けられた四千の実話の中から、ポール・オースター自身の手によって選ばれた180の実話集。それぞれの話は1ページから5ページ程度と非常に短く、当然ながら文体や語り口もそれぞれ違う。

 序文によれば、ポール・オースターは聴取者にこう呼びかけたそうだ。「私が何より惹かれるのは、世界とはこういうものだという私たちの予想をくつがえす物語であり、私たちの家族の歴史のなか、私たちの心や体、私たちの魂の中で働いている神秘にして知りがたいさまざまな力を明かしてくれる逸話なのです。言いかえれば、作り話のように聞こえる実話」

 こうして出来上がった本書は、様々な人々の実話集でありながら同時にポール・オースター色を色濃く漂わせた散文集になっている。書店で最初手にとった時は、ほろりとしたりにんまりできたりといった、ありがちな「ちょっといい話」を集めた本かと思ってあまり惹かれなかったが、読んでみるとそうではなかった。そういう話もないではないが、やはりポール・オースターがいうように「世界とはこういうものだという私たちの予想をくつがえす物語」、つまり神秘的というかほとんど超自然的な、あるいは信じがたい偶然について語ったエピソードが多い。

 特に印象的なのは偶然についての話が多いことである。西海岸で自分を他の人と見間違えた人が東海岸でまた同じく自分を見間違えたり、自分のところから逃げ出したカナリアが後に友人となる家族に飼われていたり、アメリカで偶然出会って一目ぼれし、連絡が取れなくなった男女が偶然パリで再会したり(この話を語るのは二人の娘だ)、海でなくしたダビデの星を十年後に骨董品店で見つけたり、こういう話が多数収録されている。こういう信じがたい偶然はそのこと自体ももちろんすごいが、それを経験した人々の人生に強烈なインパクトをもたらすということも興味深い。中にはほとんど奇跡的な啓示としてそれを受け止め、それによって人生が変わった人もいる。偶然というものは魔術的なものであって、人生が劇的になったり輝いたりするのはひたすら偶然によってなのだ、ということがよく分かる。ミラン・クンデラが言うように必然やルーチンによって人生は輝かない。安直なテレビドラマで人々がやたら偶然に出会ったり知り合ったりするのもそのためである。

 超自然的な話では、「夢」の章に予知夢の話がたくさん収録されている。家族や友人が死んだり怪我をした時によういう夢を見たとか体に異常が起きたという話も多い。こういうのはありがちといえばありがちなので、話としてはそれほど面白くはなかったが、自分で経験したらこの上ない神秘体験となることは分かる。

 そういうポピュラーなカテゴリーの話の中に、ユニークで啓示的な話もちりばめられている。例えば、口にした冗談がたまたま本当になった時、それが「何を願っても必ず願いがかなう瞬間だった」と悟る『ラビット・ストーリー』、人生の転機になるとなぜかいつも転がるタイヤを目撃する『ラジオ・ジプシー』、プレゼントを買う余裕のないクリスマスにみんなが「なくしたもの」をプレゼントする弟の話『ファミリー・クリスマス』、自分を憎む非行少年が自分を叩きのめしたのは、自分が彼と対等になって壁が取り払われたはずのその日だったという『ダニー・コワルスキー』、「小さい死」を経験した母の人間が変わる『予行演習』、などなど。中にはボルヘスを思わせるような素晴らしいエピソードもある。

 こうしたあからさまな神秘性は薄いかわりに、感動的で奥深い話もいくつか。誤解から日本人の捕虜の万年筆を取り上げた「私」が50年たった今でも持ち続ける悔恨の話『縞の万年筆』、母と一緒に砂漠を横断する七歳の少女が経験した人々の悪意と親切、胸を締め付けられる『アメリカン・オデュッセイア』、近所に越してきた黒人の女の子を差別してしまった「私」を苦しめる罪悪感(「もう二十年も昔のことだが、今でもあの昼下がりの出来事を思い出さない日はめったにない」)『新顔の女の子』、などなど。

 それから素晴らしいコメディもある。裸で他人の家に走り込んでしまう『ザッツ・エンタテインメント』、おかしくも感動的な父親の思い出『ケーキ』、そしてなんと言っても一番最初の話、たった5行の『鶏』。この『鶏』、最初に読んだ時はぽかんとしてしまった。一体何が言いたいのか、何が面白いのか分からなかったのだ。もう一度読み直し、情景を思い描いてみて、ようやくおかしさが分かってきて、しまいにはニヤニヤ笑いが止まらなくなってしまった。オフビートで、シュールで、さりげなくコミカルで、ナンセンスでもあるというとんでもない傑作小品だと私は思うが、どうだろう。

 中には似たような話やありがちな話もあったので星半個分減点させてもらったが、誰が読んでもなんらかの感銘を汲み取ることができるとても良いアンソロジーだと思う。フィクションが好きな人が読んでも面白い本だ。


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