アブソリュート・エゴ・レビュー

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黒死館殺人事件

2012-07-28 22:02:05 | 
『黒死館殺人事件』 小栗虫太郎   ☆☆☆

 以前途中で放り出していた『黒死館殺人事件』をあらためて読了。これは日本のミステリ三大奇書の中でももっとも奇書の名にふさわしい一冊で、ミステリでありながら「大部分が事件と関係ない薀蓄で埋め尽くされている」「何度読んでもあらすじが分からない」などと言われる小説である。はっきり言って、読んでいて何のことやらさっぱり分からない。骨格は一応『グリーン家殺人事件』みたいな「館もの」になっていて、黒死館という、日本には到底あり得ないと思われる中世キリスト教文化とオカルティスムの集大成みたいな洋館の中で起きる連続殺人事件を、名探偵・法水麟太郎が捜査する話だ。しかし、とりあえずこの館に住む一家が、「天正遣欧少年使節千々石ミゲルが、カテリナ・ディ・メディチの隠し子と言われる妖妃ビアンカ・カペルロと密通してより、呪われた血統を連ねる神聖家族・降矢木家」というところからもう手に負えない。澁澤龍彦はこの小説を「キリスト教異端やオカルティスム文学の伝統のまったく存在しない日本に、本格的なオカルティスム小説を打ち樹てるという、まさに空中楼閣の建設にもひとしい超人的な力技の結晶」と評しているが、確かに伝統がないところにいきなり集大成を作ろうとしたみたいな無理矢理感がひしひしと伝わってくる。

 ここで起きる殺人も、当然ながら常軌を逸している。死体が光を放っている、あるいは屋敷の中にあるテレーズという巨大人形が夜中に歩き回っている、みたいな展開になる。これを法水麟太郎が何やかやとベダントリーを駆使して説明していくのだが、このベダントリーがまた「ほんまでっか!?」と言いたくなるような代物ばかりで、そうじゃない場合はそもそも何を言っているのか理解できない。彼が事件に絡めて言及するのはたとえば、太陽系内惑星軌道半径、惑星記号と化学記号の関係、眼科に使うコクチウス検視鏡、ウィチグス呪法典、などである。何かというと「ところでペンクライクが編纂した『ツルヴェール史詩集成』の中に」とか、「アルボナウト以後の占星術では」とか、「貴方はデイやグラハムの黒鏡魔法をご存知でしょうか」とか、「僕は往昔マグデブルク僧正館の不思議と唱われた、『ゲルベルトの月琴』の故事を憶い出したよ」などと言い出す。

 更に驚くのは、会話相手となる検事や刑事、あるいは捜査されている側の証人たちも平然とそれに答えて会話を続けることである。普通なら「ハア?」とか「ちょっと何言ってるかわかんない」となるところだろう。それにこういうべダントリイ部分だけでなく、この人たちは普通の言葉遣いからしてヘンだ。たとえばこんな具合である。

「それが、洪積期の減算なんだよ」
「この不思議な事件を、従来のようなヒルベルト以前の論理学で説けるものじゃない」
「どうも、君の説は世紀児的(アンファン・デユ・シエクル)だ。粋人的な技巧には、けっして真性も良識もないのだ」
「では、さしずめその関係と云うのが、吾が懐かしき魔王よなんでしょうか」
「あれは、何か物奇主義の産物かね」
「いやどうして、そんな循環論的なしろものなもんか」

 本書は全篇こういう会話で覆い尽くされている。正直、私みたいな浅学な輩にはついていけない。おそらく本書の真価を味わうには澁澤龍彦並みの博識が必要なのだろう。私みたいな読者がまがりなりにも本書を愉しむポイントは、この妖しいペダントリイの洪水に身を浸し、オカルティスムとゴシック趣味の大伽藍の如き一大構築物の奇観を賞味する、という以外にない。だからそういう趣味がない人が本書を読むのは、おそらく時間の無駄である。

 ミステリだから一応謎解きはあるが、トリックは機械的、化学的なものが多い。特に化学的トリックは「ほんまでっか!?」な理論によって説明される場合が多いので、ロジックの快感みたいなものはなく、むしろバカミスだと思って読んだ方がいい。しかも法水麟太郎はこういう推理を披露する際、人を納得させるために、それにまつわる無数の文献を引用して自説を補強する性癖の持ち主なので、読んでいるうちに読者は頭がぼうっとしてくる。そういうところはちょっと京極夏彦に似ているが、こっちの方がはるかに不親切である。

 とりあえず空前絶後。異世界そのもののような小説だ。


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