『白昼の悪魔』 アガサ・クリスティー ☆☆☆☆
実家の本棚再読シリーズその2、『白昼の悪魔』。実はこの前にやはりポアロものの『マギンティ夫人は死んだ』を読んだのだが(これは初読)、全然面白くなくてびっくりした。ゆったりした筆致はいつも通りでそれなりの良さはあるのだが、話がとにかく地味なのである。クリスティーには時々そういうことがある。で、この『白昼の悪魔』はわりかし派手な方で、夏の海辺、美男美女の三角関係、とゴージャスな舞台設定になっている。『ナイルに死す』と雰囲気が似ていて、『地中海殺人事件』というタイトルで映画化もされている。ちなみに映画は未見。
トリックもしっかりあって、犯人の意外性もある。ただし最近のミステリを読みなれている人は早めに見当がつくかも知れない。ただクリスティーはありがちなトリックを使ってもそれだけに頼らず、ミスディレクションや恋愛模様の描写がうまいので、それほど仰天する真相でなくともエレガントなカタルシスが得られる。それがいいところだ。
私が本書で気に入っているのは、クリスティーらしい視点の転換によって人間関係の様相が一変するところである。被害者のアリーナ・マーシャルは元女優、くらくらするような美貌とナイスバディと小悪魔的な性格の持ち主で、既婚者の男性を平気で誘惑する女。このアリーナこそが日の下にある邪悪な存在、と冒頭から語られるが、ポアロは謎解きの前にまずこの前提をひっくり返して見せる。それに本書でポアロは「私には一番それらしい人間が犯人だと考えるくせがあります」などと語り、「一番犯人らしくない人間が犯人」が常識の本格ミステリで何を言っておるかと突っ込みたくなるが、ポアロが指摘する真相を聞くと確かにそうだと思える。読者の目に映る事件の全体像が変化するのである。これすべてミスディレクションの巧みさによるものだ。
クリスティー作品の中ではお勧めの部類だと思う。ちなみにポアロは舟が苦手らしく、本書中に「今日の海は静かですよ」と言われても「静かな海などありません。常に動いています」と譲らない場面がある。色んなことに変なこだわりを持っているのがポアロというキャラクターの面白さである。
実家の本棚再読シリーズその2、『白昼の悪魔』。実はこの前にやはりポアロものの『マギンティ夫人は死んだ』を読んだのだが(これは初読)、全然面白くなくてびっくりした。ゆったりした筆致はいつも通りでそれなりの良さはあるのだが、話がとにかく地味なのである。クリスティーには時々そういうことがある。で、この『白昼の悪魔』はわりかし派手な方で、夏の海辺、美男美女の三角関係、とゴージャスな舞台設定になっている。『ナイルに死す』と雰囲気が似ていて、『地中海殺人事件』というタイトルで映画化もされている。ちなみに映画は未見。
トリックもしっかりあって、犯人の意外性もある。ただし最近のミステリを読みなれている人は早めに見当がつくかも知れない。ただクリスティーはありがちなトリックを使ってもそれだけに頼らず、ミスディレクションや恋愛模様の描写がうまいので、それほど仰天する真相でなくともエレガントなカタルシスが得られる。それがいいところだ。
私が本書で気に入っているのは、クリスティーらしい視点の転換によって人間関係の様相が一変するところである。被害者のアリーナ・マーシャルは元女優、くらくらするような美貌とナイスバディと小悪魔的な性格の持ち主で、既婚者の男性を平気で誘惑する女。このアリーナこそが日の下にある邪悪な存在、と冒頭から語られるが、ポアロは謎解きの前にまずこの前提をひっくり返して見せる。それに本書でポアロは「私には一番それらしい人間が犯人だと考えるくせがあります」などと語り、「一番犯人らしくない人間が犯人」が常識の本格ミステリで何を言っておるかと突っ込みたくなるが、ポアロが指摘する真相を聞くと確かにそうだと思える。読者の目に映る事件の全体像が変化するのである。これすべてミスディレクションの巧みさによるものだ。
クリスティー作品の中ではお勧めの部類だと思う。ちなみにポアロは舟が苦手らしく、本書中に「今日の海は静かですよ」と言われても「静かな海などありません。常に動いています」と譲らない場面がある。色んなことに変なこだわりを持っているのがポアロというキャラクターの面白さである。
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