崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)

2012年02月14日 05時46分35秒 | エッセイ
「ホイットニー・ヒューストン」の名前を知らなくても彼女の歌I will Always Love Youを聞いていない人はいないであろう。私のように歌えないものでも耳に慣れた歌である。私は若い時アメリカ文化に憧れ映画、カントリーミュージックなどが好きだった。プレスリーやマイケルジャクソンのようなものよりウィリアムス、ポールアンカー、カーペンターズなどのメロディー中心の音楽が好き。その中でもヒューストンの発声は韓国の横笛の「大琴」の音にに合うようにオクターブの高低が美しく感じる。
 先日2月11日に彼女が突然死んだ。麻薬で拘束されるなど騒ぎと名曲が流れる中で死んだのだ。ニュージャージーパブティスト教会でゴスペル(讃美歌)を歌い始め、世界で最も売れている歌手になり、名曲を多く残した。「いつまでも愛する I will always love you」の「always」とは「良い時も悪い時も」という聖書の匂いがする言葉である。「虎は死んで皮を残し、人は死んで名前を残す」という韓国の諺があるように彼女は良い声を残した。冥福を祈る。(写真はNew York Times)

If I should stay,
I would only be in your way.
So I'll go, but I know
I'll think of you
ev'ry step of the way.

And I will always love you.
I will always love you.
You, my darling you. Hmm.

Bittersweet memories
that is all I'm taking with me.
So, goodbye.
Please, don't cry.
We both know
I'm not what you, you need.

And I will always love you.
I will always love you.

*

I hope life treats you kind
And I hope you have
all you've dreamed of.
And I wish to you,
joy and happiness.
But above all this,
I wish you love.

And I will always love you.
You, darling, I love you.
Ooh, I'll always,
I'll always love you.

「もう春ですね」

2012年02月13日 06時35分52秒 | エッセイ
迎春、立春などを過ぎても寒気と大雪の中、昨日は急に春の日和であった。70年代に流行ったキャンディーズの歌「もう春ですね」が聞こえるようであった。季節毎に行く、園芸センターで洋ラン展示会を見た。鉢を多く並べてあり、群花のようにして展示の効果は高くないが珍しい品種も多かった。温室にはコーヒーの木(写真)など熱帯植物が元気であった。真冬の服装で温室中は真夏のようであった。「もう夏ですね」の歌はないか。温室を出ると外はやはりまだ冬であった。

「日本語が下手だ」

2012年02月12日 05時52分54秒 | エッセイ
ある出版社の編集長が研究室を訪ねてきて新しい企画の話をした。自著、研究所出版、知人の小説、友人の訳書、韓国との共同販売など数多く提案をした。彼は「久し振りに関心を共有できる大学の先生の研究室をお訪ねし、嬉しい思いで帰途に着きました」というメールが届いた。喜びながらも多少混乱しているような驚いた表情をしていた。また私にとって日本は外国であるはずなのに日本語で著述活動をしている(?)ことを褒めてくれた。
 最近ある人から日本語が下手だと言われたことがある。それは事実である。日本語は韓国語の文法と同じであると思い、勉強をしていなかったこともあって反省すべきである。日本語が上手いとか、下手だとか言われていることがあるが日本に住んで20年以上になると「日本語」より「言語力」の問題であろう。日本語の問題、否、表現力の問題であり、さらに思考力の問題であろう。文は思考であり、表現である。日本人になっても日本語が下手な人がいるのも国際化時代を意味する。
 

中国の教え子からの手紙

2012年02月11日 06時44分33秒 | エッセイ

一年前に出版して送った本が届いたというメールが届いた。誰に送ったか、送るべき人に送ったか否かと迷うことがある。遅く届いたこのメールで確認ができ、さらに新たにいろいろな思いが蘇った来て、改めて感謝の気持ちになった。私信ではあるが本欄の志向に合うので一部を公開する。

 冬休み中に届いた郵便物を学校に行って探してきました。冬休み中は郵便物を届けてくれません。先生が送ってくださった本、「雀さまの学問と人生」も、冬休みに入る前に私に届きました。私の住所を、大連理工大学としか書かなかったため、たぶん大学内で回りに回ってやっと私の手に届いたと思います。封筒がぼろぼろになっていました。受け取った瞬間、先生の大事な著作が無事に届いた安堵感で、捨てずに最後まで私に届けてくれた人(どなたか知りませんが)に感謝したかったです。本を読みながら、ミミの話に涙が止まらなくなりました(ごめんなさい)。そういえば、広島での留学生活ももう6年前のことになります。昔先生の趣味の生花を見て、ただきれいだなと思っていましたが、そこに新しい価値が付与されるとは思ってもいませんでした。先生の影響で、今茶道を習っています。週1回通っていますが、毎回茶花は自分でやるように心がけています。生花とは違いますが、新しく生かすその価値は、茶花も生花も同じではないかと思います。

「倉光君」

2012年02月10日 05時28分54秒 | エッセイ
一昨日の本欄を読んだ医師の倉光誠氏から野口まきこ氏のことについて聞かれた。私はバプテスト教会の教友だといった。彼は小学校の先生がその教会に住んでいたこと、小柄の女性であったことを記憶している。私は彼女が戦前(北)朝鮮の城津から引き上げて下関バプテスト教会に通ったことを知っている。このくらい一致するとほぼ同人物であると思うようになった。私はこのくらい一致する点からは裁判証拠にも採択されると冗談をしながら電話で確認できた。彼女すでに「倉光君」を知っていた。師弟関係が確認された。彼はもう一人の小学校の同級生の在日の方に会わせることができて彼の地元の人脈が広がるのを見て嬉しい。
 私も、小倉に韓国・小学校の後輩がいる。彼のことは詳しく知らなくとも無条件親しさを感ずる。なぜであろうか。人生のある部分を共有することの嬉しさであろう。今付き合っている人々との平凡、小さい人間関係がいかに大事なことであるかは後に自覚するだろう。(写真はわが部屋)
 

「大学パンフに名前が載っていない」読者からの手紙

2012年02月09日 03時29分52秒 | エッセイ
 ある読者から手紙を受けた。大学に問い合わせて入手した大学の新年度の入学案内を見て、「大学パンフに崔吉城の名前が載っていない」という。私は現在、また新年度も学部で講義をし、大学院の学生の指導教授でもある。したがって現職である。「日本文化論」「日本思想論」「日本宗教史」「文化人類学」「観光人類学」「下関学」を担当しており、また大学院、東アジア文化研究所所長を務めていく。
 また社会的にも健在している。昨夜親しかった教会のピアニスト、幼稚園の院長さんが亡くなり弔問に行って顔を拝見してきた。まだ50代半ばなのに人情と才能のある人が発病して1年ほどで亡くなった。命の大切さと死の自然さを同時に感じた。友人が家まで送ってくれて「風邪をひかないように」という言葉の意味が深く耳と心に留まった。

回天から回転の人生

2012年02月08日 06時35分32秒 | エッセイ
 以前野口まきこ氏に第二次世界大戦終戦直後(北)朝鮮の城津からの引き上げの話を証言としてインタビューしたことがある。この度彼女の弟の野口直樹牧師が世界的に有名なトニー夫婦のインタビューを受けて出版されたものを読ませていただいている。彼は敗北の前の最終月に15歳で特攻隊員としてトレーニングのための海軍の飛行隊に呼出された。彼は自爆特攻隊員として水雷を操縦するために回天プロジェクトに送られた。最後に爆弾を与えられ、タンクの下に潜るように命じられた。
 戦争は次々と新しい局面に変わり多くの若者の命が奪われながら敗戦になり彼は救われた。彼は天皇に失望し、神を求めるようになった。彼は下関のバプテスト教会の牧師も務めた。今は東北大震災地において宣教師として、ボランティアとして活躍している。先日下関に来られて夕食を共にしたのに彼の口述したものが英文の本になったので彼の姉の実話と合わせて楽しく読んでいる。苦難を通して新しい希望をもって、戦前と戦後の価値観の激変が読み取られる。そこには敗戦国民への大きいメッセージがある。

月曜インタビュー

2012年02月07日 05時39分50秒 | エッセイ
 「山口新聞」の「月曜インタビュー」に東アジア文化研究所について語ったことが出た。インタビューされてからの記事であるのでどのような内容でどう表現されているかに注目して読んだ。強調したところなどがキチンと表現されていて間違いなく、大満足の文章であった。自分の顔写真も良く撮られていた。私の生き方も知っていただけるようになっていた。広島では中国新聞に論壇、座談会、報道などで親しくしていただいていたが、ここの地域新聞の山口新聞には初めて意見を述べることができた。まだ寄稿や投稿の機会はなかった。
 ある人から言われた。韓国にそのまま住んでいたらより効果的な活躍ができて影響力をもったのではないかと。私は日本に留学したこと、突発的なことから人生が変わった。そして日本に住むことになった。先進国や豊かさを求めて日本に移住したのではない。世間的にいうと「運命」であろう。自分のこれまでの歩みを省みて、これから社会に出る学生たちに言っておきたい。小さい失敗や成功が人の生き方を決めることがあるということを。

「人生いろいろ」

2012年02月06日 05時55分57秒 | エッセイ
韓国研究者の二組の3人にそれぞれ会った。真鍋祐子氏とは彼女が学生時代に遡っての旧友であり、拙著の『恨の人類学』の翻訳者である。翻訳家の平井敏晴氏は数年前恵著をいただいて、またフェースブック友人、ソウルに講演に行った時にそこに在住の彼が顔を出したことを覚えていて旧友のように感じた。昨日我が夫婦と倉光氏と一緒に昼食を取りながら日韓文化に関して放談をした。
 その話の中で最近私の対話と関心が変わったことが分かった。一昔前までは研究の内容とか、世相批評に関心が注がれたが、この頃は人との対話に私がフィードバックしているのは主に生き方である。それも失敗と成功のような一つのものではなく、多様な生き方、人生観を認めていることである。人それぞれである、「人生いろいろ」とは流行歌の歌詞にはあっても本質で理解するには時間がかかると思う。仏教的に「南無阿弥陀仏」、キリスト教的に「アーメン」と口癖のように言っているのを聞きながら、いつ本当にその意味を体で悟るのかと注視している。

「Kikkoman」醤油

2012年02月05日 06時11分49秒 | エッセイ

昨日中国・延辺大学の金俊副教授の家族3人と終始過ごした。小学4年生のしんちゃんが久しぶりに我が愛犬のミミとの再会であった。以前に来た時は初めに怖がっていたが一瞬に好きになって「連れて行きたい」と言ったのに同様に今回も初めは怖がっていた。結局帰りの時には「ミミに子供を産ませてください。ミミの赤ちゃんを連れて行きたい」と言った。金君は広島大学に留学し、精華大学の研究員を経て元の職場である大学に戻った。清末の思想の研究をしていて私とはマテオ・リッチ、康有為などの思想や宗教が話題になって時間があっと言う間にすぎた。
 金君夫婦には我が夫婦がモデルになっているという。特に家内の内助を例にすることが多いらしい。二人は時々拙著を引用しながら話をした。家事はもちろん出退勤の運転、文書作成など一切の献身的な内助を金君は時々口にするという。家内の車でショッピング、功山寺に案内した。スーパーで買い物の時金君の奥さんが私に日本の醤油を勧めてくれと言う。拙著のエッセー集を読んで、韓国で残った日本の味と言及したのを思い出したのである。「Kikkoman」醤油は植民地朝鮮で広く定着して、戦後センピョウ(샘표)醤油として激しい反日時代でも韓国に残っている。私の味(?)は残るものがあるだろうか。
 

文民防衛政治が問題

2012年02月04日 06時19分41秒 | エッセイ
先日広島総領事館から副領事が来られて留学生たちに4月の選挙に関する情報提供「講和」(?)をした。実は私も積極的に協力した。投票の参加は民主政治の基本であるからである。それに対して問題にした人は一人もなかった。考えによると投票率の多少、特に若者が多く投票すると有利、不利になるとは言われるがその選挙や投票に関しては不正などの話題になることはない。不正選挙にアレルギーを持っている韓国人でも投票の勧めは民主主義と思うのは常識である。
 真部朗沖縄防衛局長が市内在住の職員らに投票を呼び掛ける講話をしたことが問題になっている。また野党が反発して防衛相を集中的にいじめ非難(?)をしている。防衛相を短期間で更迭するなどをみて日本の文民防衛に危機感を強く感じている。公務員の政治的中立性は偏頗的選挙運動をしないことであり、選挙や投票を勧めるのは問題ない。公務員とは事務的に書類を運ぶだけに従事する人間と思うのだろうか、見識をもって意見を発する指導的な人が良いのか、考えてみたい。それより深く考えなければならないことは投票を勧める民主主義的言動を非民主主義的と思うべきかである。マスコミ中心の世論による文民防衛政治はいけない。専門家然としている元防衛大臣の小池氏が生出演して当時「知らなかった」と言った言葉は田中防衛相のことばとはどう違うのか。口喧嘩の政治を止め、充実なる民主主義を望む。
 政治家の「素人」という意識は大事なことである。専門研究者から見ると政治家は素人である。しかしある「事実を知っているか」という問題より広く深く問題を知って人間を動かして実行させる力を持つのが政治家である。石橋、小池など専門家然とする国会中継を見ながら、いつも諦めることなく民主主義を望みつつ続けて視聴している。

暴雪にも平常な

2012年02月03日 06時02分51秒 | エッセイ
降雪と寒気が続いている。雪崩や落雪など大雪で死者が56人にもなっている。昨日下関にも雪が降ったが銀世界にはなっていない。大雪の被害のニュースを聞きながらなかなか実感がない。被害や怖ろしさが実感できないのではなぜであろうか。それは雪の中での生活体験がないからであろう。逆に雪と言うとホワイトクリスマスやロマンティクな文学作品を想起する。氷柱や雪だるまは童謡の主題になっている。今度の大雪はそれをはるかに超えている。
 私はサハリンで二回の冬を経験している。雪が胸まで積もった時、また零下30度以下に道路表示板も凍って見えない所を車で走ったことを思い出す。エンジンが止まると数時間以内に死ぬという寒さの怖い真っ白の世界、そこで氷上穴掘り釣りをする人もいる。チェインもなく走るが対向車がなく安全。夏よりは交通が楽だと言う人もいた。帰国の日の朝から大雪で飛行機が飛ぶとは思わなかったが平常であった。寒さに強い文化がある。日本では毎年大雪で被害が出る。暴雪にも平常な生活ができる大雪対策文化が必要である。

友人は友人

2012年02月02日 05時36分54秒 | エッセイ
 昨日韓国から来られた、多くの来客の一人と初対面の挨拶後お互いに人脈の接点を探るような話が続いた。その中で彼が出した友人の名前の人は私が会ったことのある人であった。その人を通して急に話が盛り上がって一気に親しく感じた。このようなことは韓国人でも日本人でも同様であろう。しかし似て異なる点があることに気がついた。彼はその自分のその親しい友人を「信用してはいけない」と私に注意してくれたのである。友人を悪く言うのではないか。本当の友人とは何か。善し悪しはともあれ友人は友人である。
 友人が他人に悪く言うことは他人より怖い。本当の友人であるから親族のように縁を切ったり裏切ることはしない。友人が罪を犯しても友人は友人である。人気タレントの島田紳助氏の例のようにである。しかし信頼性のない友人を持ち続けることはなにより危険であろう。近い人の評判と信頼は大事である。周りの人からは信頼されずに遠い人から信頼を得ようとすることは無理である。社会的に信頼を失った人でも近い人から信頼される人はそれを回復するだろう。身近にいる人を大切にしないで遠くの人から信頼されようとする心は詐欺の心に近い。誰でも自分の評判が悪く返ってくる噂を聞くことがある。それは近い人から発信されたものが多いと思うべきである。 

秋入学

2012年02月01日 05時44分43秒 | エッセイ
 東大中心に秋(9月)入学が論議されて、大変な変革を起こしているように報道されている。韓国は植民地時代に日本と同様に4月入学であって戦後も学期は4月に始まった。その後3月入学へと変わった。今の話題は西欧社会、社会主義社会では広く9月入学が一般的だから国際化のために秋入学を言い出したという。私は早くから留学生の入学生に門戸を広げるよう秋入学を主張していた。
 このニュースを聞いて東大などいわば名門という大学が中心に革命的な発想があるのか、私はその論議に時代思想を変えるような発想があるのではないかと注目したが、失望した。カレンダーでいえば、「年号全面廃止」などを訴えたらいかがであろうか。それが真の国際化ではないか。「名門大学」とは高校の成績の優秀さによらざる得ないものではない。大学の構成員自体の思考と実行の優秀さによらなければならない。もっと社会的に指導的な素晴らしい革命的な発案を出してほしい。それが本当の「名門」であろう。