崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

文民防衛政治が問題

2012年02月04日 06時19分41秒 | エッセイ
先日広島総領事館から副領事が来られて留学生たちに4月の選挙に関する情報提供「講和」(?)をした。実は私も積極的に協力した。投票の参加は民主政治の基本であるからである。それに対して問題にした人は一人もなかった。考えによると投票率の多少、特に若者が多く投票すると有利、不利になるとは言われるがその選挙や投票に関しては不正などの話題になることはない。不正選挙にアレルギーを持っている韓国人でも投票の勧めは民主主義と思うのは常識である。
 真部朗沖縄防衛局長が市内在住の職員らに投票を呼び掛ける講話をしたことが問題になっている。また野党が反発して防衛相を集中的にいじめ非難(?)をしている。防衛相を短期間で更迭するなどをみて日本の文民防衛に危機感を強く感じている。公務員の政治的中立性は偏頗的選挙運動をしないことであり、選挙や投票を勧めるのは問題ない。公務員とは事務的に書類を運ぶだけに従事する人間と思うのだろうか、見識をもって意見を発する指導的な人が良いのか、考えてみたい。それより深く考えなければならないことは投票を勧める民主主義的言動を非民主主義的と思うべきかである。マスコミ中心の世論による文民防衛政治はいけない。専門家然としている元防衛大臣の小池氏が生出演して当時「知らなかった」と言った言葉は田中防衛相のことばとはどう違うのか。口喧嘩の政治を止め、充実なる民主主義を望む。
 政治家の「素人」という意識は大事なことである。専門研究者から見ると政治家は素人である。しかしある「事実を知っているか」という問題より広く深く問題を知って人間を動かして実行させる力を持つのが政治家である。石橋、小池など専門家然とする国会中継を見ながら、いつも諦めることなく民主主義を望みつつ続けて視聴している。