崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「人生いろいろ」

2012年02月06日 05時55分57秒 | エッセイ
韓国研究者の二組の3人にそれぞれ会った。真鍋祐子氏とは彼女が学生時代に遡っての旧友であり、拙著の『恨の人類学』の翻訳者である。翻訳家の平井敏晴氏は数年前恵著をいただいて、またフェースブック友人、ソウルに講演に行った時にそこに在住の彼が顔を出したことを覚えていて旧友のように感じた。昨日我が夫婦と倉光氏と一緒に昼食を取りながら日韓文化に関して放談をした。
 その話の中で最近私の対話と関心が変わったことが分かった。一昔前までは研究の内容とか、世相批評に関心が注がれたが、この頃は人との対話に私がフィードバックしているのは主に生き方である。それも失敗と成功のような一つのものではなく、多様な生き方、人生観を認めていることである。人それぞれである、「人生いろいろ」とは流行歌の歌詞にはあっても本質で理解するには時間がかかると思う。仏教的に「南無阿弥陀仏」、キリスト教的に「アーメン」と口癖のように言っているのを聞きながら、いつ本当にその意味を体で悟るのかと注視している。