崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「毎日新聞」全国版に拙著広告

2009年08月16日 04時05分51秒 | エッセイ
 昨日「毎日新聞」朝刊全国版に拙著『樺太朝鮮人の悲劇』の広告がトップページの下段に載っているのをみた。終戦記念日に合わせて出版社の配慮で載せてくれたと思う。もちろん以前にも新聞などで広告していただいたものである。、
 シベリアのシャーマニズムを調査しながらサハリンに寄って朝鮮人が4万人も住んでいることや、韓国へ永住帰国するために準備の最中の時であるということを取材し始めたのがきっかけでこの拙著が出版されたのである。私は寒い所に強制動員されて終戦になっても帰国できなかった人々の表現のしようもないほどの悲しさ、虚しさを彼らに接して身を持って辛く感じた。それと同時に戦後ソ連社会で根を下してたくましく生きている彼らに感動し、特に花産業などで成功したことに注目した。広島大学在職中だった私は彼らの韓国への帰国状況をNHK衛星テレビで放映していただくなどをし、さらに調査團を作って本格的に調査を行った。そこで古文書館などで朝鮮人関係の膨大な資料を見つけた。またドキュメンタリー作家林えいだい氏と元福岡KBCtvの中村元紀氏などから8月21-23日に瑞穂村で日本人から27人の朝鮮人虐殺事件の資料をいただいた。これは現地調査と資料分析の拙著である。その時の驚愕と、あまりにも辛い悲しい、そして悲惨な出来事は思い出すたびに泣けてしまう。今後、戦争は絶対あってはならない。

今日15日付け「終戦と敗北」を「東洋経済日報」に寄稿文

2009年08月15日 05時42分45秒 | エッセイ
 日本にとって8月には負の記念日が続く。6日は広島の原爆、9日は長崎の原爆、15日は敗戦の記念日である。私が広島に住んでいた時にはほぼ毎日のように聞いた言葉が「原爆」「被爆」「被曝」であった。私も故渡辺正治氏とシンポジウムを開催して池明観氏に基調講演をしていただき、報告書も出したことがある。また広島大学の総合科目の共同講義では「韓国から見た原爆」という題で講義したこともある。日本では被爆・原水禁、天皇制などには平和主義、保守主義が強く、口を挟むべきではない「空気」というか、タブーがあり発言しにくいトピックである。しかしアメリカでは正当な戦争論を主張するM.Walzerのような学者もいる。
 大量虐殺の原爆を投下したアメリカや被爆した日本が今、北朝鮮の核問題に直面し、それぞれ思いは違うであろうが足並みを揃えている。日本は原爆を考える時19世紀末から台湾、樺太、朝鮮、満州などを植民地化し、太平洋戦争を起こして、被爆・敗戦したことを思い出さなければならない。つまり挑戦=敗戦を前提にしたことをもって完全に「敗北」を認識すべきであろう。しかしまだ多くの日本人は敗戦したことを忘却はしても敗北の認識はしていない。敗戦して引き揚げる日本人が残した「よし、またこんど」という日本人のことばが怖いと韓国の親たちは言っていた。つまり日本人は敗戦しても敗北を認めていないと考えたのだ。8月6日から敗戦の15日までの9日間は日本を生まれ変える時期でもあった。社会学の用語ではアノミーというか、大混乱、パニックな状況であった。このような状況で天皇は敗戦を宣言した。敗戦は悲惨なことではあるが社会を根本的に変えることもある。なぜなら戦争から「敗北精神」という貴重なメッセージを受け取ることができるからである。
 一方、台湾、韓半島は8月15日に日本の植民地から解放された。韓国はこの日を「光復節」という。戦前の独立運動の「光復軍」もいたのでそれに因んだようである。それは植民地時代が暗黒期であったことと対照的である。北朝鮮では「解放記念日」としている。台湾は10月25日を日本の統治が終了した「台湾光復節」としている。中国は9月3日を「抗日戦争勝利紀念日」としている。
 私は8月15日を解放記念日であり、同時にもう一つの暗黒の始まりとして重く受け止めるべきであると思う。多くの被植民地のアジア・アフリカの国々は解放されてから民族戦争を起こして、今も続けている。それは植民地に侮辱され苦労したという言い分のなり立たないことであり、心を痛めている。
 私は二十歳ころエリー・フロムの『自由から逃避』で自由を営む力のない社会には自由を与えても混乱し独裁へ戻るという内容を読んでショックを受けた。戦後指導者たちが南北の民族分断を固め、朝鮮戦争、独裁軍事政権への暗黒の道を辿ることへの批判として受け止めたからである。韓国は反独裁民主化によって独立したものであり、解放によって独立したとは思えない。

花弁が開くには難しい下関の花火大会

2009年08月14日 06時27分31秒 | エッセイ
 安い値段で質の良いものが買えた時はうれしくなるという。逆に高値段で質の悪い物を買った時は腹が立つことがある。映像だけをみて通販で買ったものが不要物になっているものも多くある。研究や生活の上で映像が重要な私は引っ越した時家庭に大型テレビを買った。その時安い割にはきれいに映るとすすめられてビクターの製品を買った。安い値段で質の良いものを買えると「徳」だ思ったが三年過て突然映らなくなった。1か月近く待って、サービスセンターの方が来て修理して4日目の昨日の朝に全く同様の故障になった。丁度作日は盆の始まり、花火など鑑賞のために大切な知人たちがあつまり映像を見せようとする計画が無駄になった。「安いものはおから餅」(サンゲビジトク:安い食べものは栄養のないおからで作った餅という韓国の諺)。
 唐戸カモンワーフで民主党菅直人氏の時局演説を立って聞いた。選挙を直前にして全国で民主党が自民党に勝てる可能性が一番弱いこの選挙区の下関に来た意味を、彼は幕府を倒して近代国家を可能にした高杉晋作のこの舞台、ここから革命が起きなければならないと主張した。夜の花火は上がったが雲でなかなか花弁の全貌を見るのが難しい。民主党の花が開くには難しいという下関での昨日の花火大会はそれを象徴しているようにちらっと感じてしまった。

患者の私に「先生」と言う内科の先生

2009年08月13日 06時05分37秒 | エッセイ
 昨日病院の検査結果をまって、医師の診断が行われた。家内も心配をして同行した。検査結果を待つのは不安であって、何を言われても冷静に受け止める覚悟であった。マスクをしている医師の表情をキャッチすることは難しいが権威のある視線が当てられて恐縮な気持ちいっぱいであった。その先生から「先生、癌でも結核でもないですね」と言われた。「先生」「癌」という二つの言葉に驚いた。医師から患者の私に「先生」と話しかけられたのは初めてであり、また「癌」は予想外の言葉であった。今まで癌を疑って検査をしたのか。「癌ではない」という言葉は嬉しいが、「癌」も私から遠い病気ではない、親密ささえ感ずる気分になった。問題は「経過を見よう」という言葉が気になる。長寿の目標であった父より大部長く生きている現在、死を受け入れる心の準備をするという戒めの機会にしたい。アフリカのケープタウンに電話して調査旅行の日程を急いで調整している。

ヘビを飼いたい人

2009年08月12日 05時45分05秒 | エッセイ
 本屋で偶然に山口前民団団長の李相福氏に会った。彼は体格のいい人なのですぐ目に入った。団長時代以来初めて会ったので、嬉しく握手をして立ち話をした。彼は聖徳太子などに関心があることを想起しながらそれに関して話をし始めた。団長在任の時、いろいるな朝鮮人犠牲者儀礼などに何度も誘われたことを思い出した。彼が深くそれらに関心をもって本を求めるために来たのかと思い、「本屋にきたわけは?」と聞いた。彼はヘビの餌に関する本を求めに来たとう。自分の家は古宅であるから屋根から両手で丸く輪を作って見せて太く長い蛇が出て皆がキャーと驚き、嫌だと言ったが自分は好きであり飼いたいというのだ。そして餌のやり方を知りたいという。
 私は子供の時、雀の鳴き声がうるさい時、蛇が現れたかと思い注意して見て回り、家の梨の木に絡んでいるのを見つけたり、庭にいるのを見つけて大騒ぎしたことを思い出す。蛇は家の守り神だと母から言われ去って行くのを待った。蛇は雀の巣を襲うものとして雀に驚異の動物であった。台湾や東南アジアでは食料に売られている現場も多く目撃した。日本ではウナギ料理は好まれるのに蛇は嫌がる。なぜであろうか。人間がどの動物を食料にするかは文化である。さらに愛玩動物にするかは文化であり、趣味である。蛇をなぜ飼いたいのかより詳しく聞きたい。

公約と空約

2009年08月11日 05時15分26秒 | エッセイ
 選挙の前にマニフェストが話題になっている。なぜ選挙公約と言えないかという人もいる。韓国語では「公約」は「空約」と同音であり都合が悪い。極小数の党員の党の公約を聞くと、公約は一人でも立派に作れるとは思うが、信頼できない空約に感ずる。私は今ある党の実績や約束を聞いて選挙に臨んでいるわけではない。長い政権の結果が悪いという叱咤の選挙でもないと思う。ただ「交代」してみたいという民主主義の基本を始めたいと思い、また国民感情の選挙でもあると思う。
 世界的に日本は「集団精神」が強い国といわれるのは周知であろう。その日本で大きい健全な集団の野党が存在できずいつも分裂し、選挙には候補者が乱立して自民党だけの一党政権ばかり繰り返してしてきたのはなぜであろう。つまり大きいな正義政党の野党はできが悪く、少人輩の「仲間派閥」にしかできない根性があるかと思われる。これが日本の集団精神だろうか。いま、少人数の野党のマニフェストを聞いてもいかに立派でも空約のような感ずる。国民が力を合わせて政権交代ができれば日本の民主主義は大きく進歩するだろう。

麦藁帽子のリボン

2009年08月10日 06時02分00秒 | エッセイ
昨日は広島大学院の集中講義中、県立広島大学の上水流久彦氏が私の体調不良を心配して見舞いに来てくれたようだが思ったより元気に見えで安心したと繰り返し言っていた。彼を教室に誘い、中国人留学生4人と日本人2人で、戦前のプロパガンダ映画やドキュメンタリーを見て議論した。「植民地文化論」という科目名であり、私の話は世界を回った自慢話のようになってしまった。
 日本の植民地を理解するために西洋の植民地も調査しなければならないと思って多く調査旅行した。歳を取るにつれて自慢話が増えるようで、控えながら話していたが、途中から私の自慢の話が爆発したように出た。それは1936年夏宮本馨太郎氏が撮った映像から麦藁帽子のリボンに映画のフィルムを使用していることからである。学生たちにクィズのように画像を繰り返し見せて質問してもそれがフィルムとは誰も当てられなかった。私はこれだけでは大発見と自慢した。映画史を語る人は戦前のフィルムが残っているのはほんのわずかであることを私のこの発見で言わないと説明できないと思う。これだけは無断に使うことは断じて拘るつもりである。麦藁帽子のリボンにしてフィルムを消耗品として亡くしたという話は私の本当の自慢話である。

敗戦と敗北

2009年08月09日 04時57分50秒 | エッセイ
 今日は8月9日長崎原爆投下記念日である。その3日前には広島がその記念日であった。広島に住んでいたころはほぼ毎日のように聞いた言葉が「原爆」「被爆」「被曝」であった。私は故渡辺正治氏とシンポジウムを開催して広島大学大学院国際協力研究科から報告書も出したことがある。また総合科学部の共同講義では「韓国から見た原爆」という題で話したこともある。大量虐殺の原爆を投下したアメリカや被爆した日本が今北朝鮮の核問題に直面している。それぞれ思いは違う。アメリカでは正当な戦争論を主張する学者もいる。
 日本帝国が19世紀末から植民地や戦争を起こして被爆・敗戦した。つまり挑戦=敗戦を前提に日本は完全に「敗北」を認識すべきであろう。そして平和を、原爆禁止など強く主張すべきである。敗戦して引き揚げる日本人が「よし、またあとで」という日本人の残したことばが怖いと韓国人の親たちは言っていた。つまり日本人は敗戦しても敗北していないと考えたのだ。敗戦は悲惨なことではあるが社会を根本的に変えるチャンスにもなりうる。それは敗北精神によるものであろう。まだ多くの日本人は敗戦しても敗北を認めてはいない。
 8月6日から敗戦の15日までの間の9日間は日本はもっとも空白な時間であった。ディルケンという社会学の用語ではアノミー(anomie)、ターナー用語ではコミュニータス(communitas)というか、大混乱、パニックな状況であった。このような状況で日本はポツダム条約を受け入れ敗戦を宣言した。15日韓国は連合軍によって解放され、大混乱の戦後の状況から朝鮮戦争などへ突入していった悲惨な歴史の始まりでもあった。韓国にも敗北精神が必要である。

広島大学院で集中講義

2009年08月08日 05時51分58秒 | エッセイ
 広島大学院での集中講義にきている。広島駅から西条行きの電車が超満員である。大学行きの臨時バスも満員、高校生が席を譲ってくれた。大学のオープンキャンパスである。「田舎でね」という学生も山の中に広がる大学キャンパスの広さに驚く。構内には大型バスが数十台、テントや看板などが祭り風景である。地方の私立大学が学生募集が難しく、オープンキャンパスがさびしいほど小規模なのとは異なっていた。
 私は定年後未だに毎年集中講義などで大学に縁を持って過ごせる時間を感謝し、また誇りにも思っている。昨日は昔よく乗ったJRの在来線に乗ってみた。新しい道路は目立つが、葛が茂げっている風景などは変わってない。昔このような山の中の田舎の地点を中心に「自分の小宇宙」の世界を作っていたのか、と不思議さも感じた。懐かしい一方、いま日本の西端の小都市に住みながらこの大学の街を辺鄙な田舎のように感じるのはなぜだろうか。私にとって武陵桃源のような理想郷はどこだろうか。

「日本人という病」

2009年08月07日 05時09分25秒 | エッセイ
 大学院集中講義で日本人の「いじめ」「差別」そして在日朝鮮人の差別の問題を扱って議論した。その隙間に大学を卒業して就職が決まったのに自殺した卒業生の両親と話をした。彼女が1,2年生の時に私の研究室を頻繁に訪ねていろいろな話をしていて、よく話を聞いていた。その後はクラスも変わって、接することはほぼなかった。両親に聞いたところではその後、病気が酷くなったという。私は彼女にもっと積極的に相談にのってあげられたら良かったのにと後悔した。
 日本で教鞭をとってから20年弱、その間、最も強く感じていることは心理的な問題を持っている学生が多いことである。私は韓国で生まれ育っていじめなどが問題や話題になったことが一度もなかった。なぜ日本では心理的な問題を持っている人が多いのだろうか。それは大学のキャンパスの中のことだけではない。臨床心理学者の河合隼雄氏は「日本人という病」ということに触れているが納得がいく。またアメリカ社会学者が日本人は「遠慮という病」を持っていると書いたのを思い出す。
 「閉塞した日本社会」に遠因しているのかもしれないといわれる。私は日本人の「文化病」と診断したいところが多い。それは西洋の人権思想を過剰に受け入れることで強く感ずる。「個人情報保護」「ハラスメント」などは幸せに暮らすために注意すべきではある。しかし私から見れば日本では強調し過ぎで「女性専用車両」など精神異常に過剰である。弱者を守ることはもちろん必要であるが、弱者自身が普通の人のように、あるいは強く育てて行くべきである。いくら病原菌が入っても、病気にならない人もいる。「遠慮」は日本人の美徳であり、同時に病気である。堂々と生きるように子供を育ててほしい。

オーストラリアからメール

2009年08月06日 05時36分18秒 | エッセイ
 オーストラリアからメールがきた。数年前韓国人間文化財の金石出氏の死霊祭に参加した時にオーストラリアのテレビ制作者に会い、金氏の古い写真2枚を提供したことがある。彼はその後ドキュメンタリを製作して、日本の衛星テレビでも放映されて,それを視聴した人から映像の中から私の姿を見つけたと電話を受けたことがある。その作品(?)を韓国で開催される「国際映画・音楽祭」で披露するので見てという内容のメールである。
 数日前は南アフリカ・ケープタウンの人と電話をして、頭の中で地球globeをぐるぐる回っている感がする。インターネットによるインタナショナル時代を実感している。しかし情報は「報」だけではなく、「情け」がなければ本当の「情報」にはならない。これから連絡をとりあってみることを考えている。手紙の一部から情報を発信する。関心ある人の参加を進める。
I met you at Mr Kim Seok-Chul's funeral where I was filming for the documentary I was making about the Australian drummer Simon Barker and his search for Master Kim. You very kindly gave me permission to use a couple of your photographs in the film.The film will finally have it's Korean premiere at the Jecheon Film and Music Festival. I am not sure if you are currently in Japan or Korea, but after your kind help I hope you are in Korea and able to make it to the festival to see the film.Emma Franz、Director of the Sprocket Productions

クリントン氏の訪朝

2009年08月05日 06時25分57秒 | エッセイ
 元大統領のクリントン氏が北朝鮮に拘束されている米国人女性記者2人の解放交渉のため、訪朝し、2人が解放され、クリントン氏に引き渡されるという。金総書記はクリントン氏訪朝を歓迎し、米朝対話に本格的に乗り出した。今度のクリントン氏の訪朝は画期的である。アメリカの政治家の動きによる外交として評価したい。6カ国協議も必要であるが、私は官僚たちの会議には成果をあまり期待できない。特に日本の官僚による外交成果は想像しにくい。
 先日アメリカ人の政治評論家が毎日新聞に寄せた論説で「日本の政治家には外交力がない」と述べたことに同感である。日本では共産党もあるが北朝鮮とのチャンネルは持っていない。日本のマスコミは主にソウルの通信を使い、北朝鮮問題では決まったように静岡県立大グループなどの話を聞いて終わる。「多チャンネルではない」、「融通性のない」日本の政治外交には失望している。アメリカの政治外交家の動きを見てほっとする人は私以外にも多いだろう。

冷夏

2009年08月04日 06時00分22秒 | エッセイ
 温暖化の話があふれる中での冷夏である。地球が冷めることが心配である。猛暑とか暖冬とかいう気象台の長期予報は信じない。それには予報と占いが同様に感ずる。冷夏はいろいろ作物に悪影響している。サハリンとアイルランドを思い出す。夏にも最高気温が15度以下が続き、主食のジャガイモの収穫が難しくなる。皮肉にも金正日将軍様は「民族の太陽」だと象徴的に云っている北朝鮮でも洪水と冷夏の被害が予想される。日照時間が短く、大変だろう。太陽は熱と光を与えてくれる。猛暑は稲を熟してくれる。温暖化より冷却化が怖い。夏は暑いのが当然であろう。選挙で暑くなる。北朝鮮、ミャンマー、中国などの闇の社会が民主主義の光で照らされるような太陽が欲しい。

「人を裁くな」

2009年08月03日 05時45分41秒 | エッセイ
 人を裁くな、疑うな、神が裁いてくれると言われてきたし、「法律がなくても生きられる良い人」として生きているつもりの人に「殺人者を裁きなさい」という「裁判員制度」が始まった。この話を聞いて私は「人民裁判」を思い出して不快感を持つ。朝鮮戦争中約3ヵ月間北朝鮮の統治期においてはよく耳にした。そして人民軍が撤退した直後韓国時代、まだ警察による治安がなされていない時に村毎に共産主義者の「パルゲンイ(赤)」を見つけて処置(死刑)するようになった。我が村では大変困った。結局村人を殺すことはできないということでその当事者を無罪としたことを覚えている。その後軍事独裁政権の時に国家はスパイを密告するように煽動して、「久しぶりに訪ねてきた客を疑ってみよ」という標語もあった。毛沢東の悪名高い文化革命では群衆によって「人民裁判」を行ったことは周知のとおりである。
 重大な犯罪を裁く刑事裁判に一般人も参加する民主主義的な「裁判員制度」に私は反対する。それは素人が裁くからということで懸念するわけではない。そもそも近代的な裁判制度が一般の人と人の間で攻撃や復讐するのを防ぐために出来上がった間接的な制度であるからである。それなのにアメリカやドイツ、フランスなどの制度云々といい、それを導入した。私は戦前日本のプロパガンダ映画を鑑賞しながら今の日本の宣伝方式を読み取っている。
 

病院の待合室の風景

2009年08月02日 05時31分21秒 | エッセイ
 私は比較的に健康であり病院には見舞いに行くくらいで、行ったついでに施設や環境などを見回ったりしていた。しかし、昨日は診察を受けるために病院で待つ時間が長かった。診療時間の前にすでに待合室が満席であった。すべてが整理番号で呼ばれる。待合室の風景は私がイメージしている病院とはかけ離れていた。いかにも他者から見て病人と思われる患者として感じられる人は見受けられないからである。銀行の待合室と変わりはない。むしろ夫婦や家族が伴って銀行よりも雰囲気が良いとも感する。
 レントゲン画像には私の若い時の病巣の痕跡が表れた。そしてつらい過去が浮かんだ。昔韓国での病院の診察室の待合室には救急患者のような人もいて、また椅子には横になって苦しそうにしている人がいた。現在は韓国の病院も変わったとは思うが、まだ多くの国では治療を受けられず困っているだろう。日本の医療を羨ましく思っているロシア人の医師に会ったことがある。彼は日本の医療技術より親切・丁寧な医療行為だと言っていた。患者が「お客様」としてよりよい医療サービスを受けることこそ先進国であることだと、感謝している。