崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

罪と罰

2007年05月08日 04時35分56秒 | エッセイ
 前も書いたように私は良く物を捨てる性格である。しかし捨てていないものも多い。写真などは確かに3分の2以上は捨てた。今日記を捨てようとする。いつからか私は日記を書いている。60年代からのものは割と残っている。捨てるために目を通していると、いろいろな「過去たちが」(歌詞)読みが甦って来る。1983年暮れの日記から一つを紹介する。近い親族の男性が三年懲役を言い渡された裁判の現場で感じたことをこうメモしている。当事者の母親は「息子と財産」について心配しているが、彼女の友人は当事者より当事者の母親を心配し、彼の恋人は彼の「健康」、彼の近い親族は「家屋」のことを心配している。大事なことは本人であるが、彼は「裁判の誤りだと悔しがり、弁護士と親を恨む」。本人には罪意識がまったく感じられない。それは彼だけのことではない。歴史的に島流しされた子孫たちにインタビューしたことがあるが、彼らは先祖の罪をまったく認めておらず、政治的謀略だといいながら祖先を英雄化する。罪は神様しか知らない。