崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

昨日のハプニング

2007年05月28日 06時24分27秒 | エッセイ
 昨日、北九州の在日教会の小倉教会で二人の女性が長老に就任することを祝う礼拝に参加した。女性の牧師や長老がとても少ない中で「女性長老」ということで大きい意味がある。在日教会には牧師が足りず、韓国では多すぎなので韓国人牧師が韓国から日本に来て韓国式で伝道している状況である。小倉教会は少ない牧師の成功的な例といえる。また、在日韓国教会の中で評判の高い牧師が宇部教会崔栄信牧師である。
 記念写真の時ある中年女性が現れて自分を記憶しているかと聞かれた。彼女は大邱で会ったという。私は日本からの留学生であると思い、思い出すに時間がかかった。彼女が」崔牧師の物を扱うことを見てどのような関係ですかというと「主人です」と崔牧師を指す。また思い出すことが難しくなった。牧師と結婚した昔の卒業生がいたのを思い出すにはしばらく時間がかかった。1979年啓明大学校の時の女学生であった李ムオクさんであることを確認した時は私は興奮した。それを披露した。私にとって大きいハプニングであった。30年ほど前の弟子にあって教育者として「三悦」の一つであった。

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2 コメント

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有難う御座いました。 (堀 登美恵)
2007-05-28 19:15:03
昨日、一昨日 先生御夫妻と豊かな、そして貴重な時を過ごさせて頂いて有難う御座いました。
「樺太朝鮮人の悲劇」の講演に参加させていただいて、本を出版された意味「どんな無法地帯に於いても人が人間らしく自分を正して行動できるか、それが真の教育の目的ではないか?」との先生の問いに私は大きな課題を頂ました。この問題の根底には「人間とは何か?」との哲学的問いを問われている様に思います。現代も又私達は無法地帯に放り出されている感があります。時代の変化、自分の心の在り方を超えて絶対なるもの、普遍なものから目を逸らす時、自己をその中心に於く時 私の「人間」は崩壊し、無法地帯に
追いやられます。その暗闇の中で「真の光」に照らされる時「私=人」としての回復を与えられています。
感謝です。
 昨日は、主にあるすばらしい交わりの中に、加えていただき感謝でした。神の働きに全てを捧げて行こうとなさっておられる二人の御婦人、ここに至るなでの
多くの恐れと戦いを越えて凛としておられる姿に大きな感動を覚え、多くを学ばされました、と共に祈りの責任も与えられました。感謝です。
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うれしかったです (幸子)
2007-05-29 07:04:28
こちらこそ、共に時間を割いていただいてありがとうございました。ほんとうに日々の中で人らしく、また神様から喜ばれる生き方をすることはむずかしいことですね。とっさの判断、じっくり考えての判断でも悔いを残すこともありますね。常に神様を中心に置いて歩みたいと思っています。
 韓国のクリスチャンの凛とした姿、そして決意をお聞きして自分を大いに反省する時間でした。小倉教会のメンバーのすばらしさを時に触れ学びあいましょう。下関バプテスト教会での私の学びは収穫の大きいものです。感謝です。堀さんにお会いできたことは私たちにとってとても感謝なのです。
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