崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『四季風(佐)』

2018年11月30日 05時31分55秒 | 日記

 個人情報守りとセクハラ厳しく、変声やボケ画像が多い国でありながら有名人の離婚などは言いたい放題の日本、理解し難い。講義では祭りや祭祀などで女性が「不浄」とみなされることを話題にした。セクハラの危険、学問の自由はあるのか。慰安婦研究で朴裕河教授は有罪、私は韓国で講演が中止になった。死体を研究する解剖学もあるが、研究はしても、実践してはいけない分野もある。
 
プライバシーの日記を研究するのは大丈夫か。日露戦争の軍人日記について礒永氏が発表し議論した。日記人は自分自身には嘘はつかない。私は最近は本欄で日記を兼ねてコラムを書いている。これは純粋な日記ではない。読者があり、開放しているからである。しかし嘘の話ではない。多少磨いた文ではあるが、日記では書かない問題に深く触れることが多い。
 昨日は講義、読書会、よるは文を書く話を傾聴した。下関で最初にお会いした言論人、佐々木正一氏の談話があった。下関地元知識人の中に私も仲間のように席をとった。500余字のコラムを週2回担当し、私は必ず読んでいる。2,3回は私の名前も登場している。それが『四季風(佐)』として出版されて、拙著に関するコメント「米軍慰安婦」(159ページ)も載っている。主に季節や古典、古文から現実へのレトリックになっている。その短文に集中して書くことのお話があった。それをお聞きして私自身はあまりにも簡単に文を書いているのではないかと思った。