崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

冷却期になっても良い

2018年11月07日 05時31分07秒 | 日記

 日韓関係を言う度に、「隣り」「隣国」と言われ、気になることが多い。最近の状況をみて、それほど「隣」を強調すべきではないのではないかと思うようになった。聖書の言葉「隣人への愛」が広義狭義にしばしばいわれているが、特に地理的な隣と意識しなくてよい。競争、嫉妬などから解放される、日韓関係も遠い国家間の関係に過ぎないと思うのが良いかと思う。冷却期になっても良い。昨夜のプライムニュースでは自民党の新藤義孝議員が二人の韓国専門家(?)へ教えるようであった。彼は広い視野、具体的な資料をきっちり熟知しておられた。
 昨日
韓国のあるテレビ局の女性から電話があり、拙著『映像が語る植民地朝鮮』(民俗苑、2009)を手に、引用しなが映像に関して協力を要請してきた。対話中彼女は「政治的なことは製作できない」というので、私が「韓国では言論の自由がないのか」と言って、互いに笑った。実は一昨日その韓国版の拙著が『植民地朝鮮:映像が語る』として日本・東亜大学東アジア文化研究所から出て、手にした(写真)。それはただの翻訳ではなく、日本人の読者のために新しく書き下ろしたものである。日韓関係が冷えていく中でも、それとはかかわりなく日本の植民地文化の実態を知りたいものである。