崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

講義方式

2018年11月27日 06時55分57秒 | 講義

本欄ではしばしば講義や教授法について触れたが、ここでもう一度触れておきたい。昨日の高橋章教授の「日本のキリスト教」の講義方式についてはいろいろと考えさせられた。
 私を含め、目下多くの講義はレジュメを配りパワーポイントで主に映像・画像を使って説明を加えている方式である。分かりやすいが黒板に筆記をし、学生がノートすることがほぼなく、学生の中には筆記道具さえ持っていない者もいる、ただ理解しても、自分の知識として保つことが稀になっている。
 昨日の講義方式では多量のプリント資料により説明だけであった。キリスト教の2千年史と日本のキリスト教史を語られた。
 二つの講義方式はどちらが望ましいか検討しなければならない。私は講師が教室のサイズ、雰囲気造成、学生の理解力を考慮、問題点に絞って対話式に進行することを考えていたが、教育効果を考え直す時間であった。

 受講生のコメント:高橋先生が母親の信仰から研究へ(チョウセイライ)、聖書を本当に信ずるか(トタンティアウン)。日本のキリスト教・隠れキリスタンへの弾圧、信者が少ない、日本文化とキリスト教の関係、また資本主義とは、日本憲法への影響は大きい(吉村、孔)、洗礼、松下村塾(タマンヘム、梅傑、デェンティトウエン、チェはラム、ズンイェーウィ、キムソンゴン、狩俣、ホンチャンス、ラナティrバハウィル)。韓国のキリスト教とは違う(ベサンヨン、チェジヨン)。中国ではキリスト教を反対する人が多い(董)。講義が難しい(菅原)。コメントしていない白紙が多い。