崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

待つ時間

2016年02月09日 06時20分30秒 | 日記
 昨朝8時採血、レントゲン、心電図検査を受け、その結果を午後1時半に主治医ではない先生から聞いた、幸い健康回復が順調であることが確認できた。さらに定期的に受信しているクリニックと薬局と終わった時には午後3時過ぎていた。特に総合病院では長時間待つのは一般的である。それは一般行政機関とは違って病院は命を扱うところだという共通認識の上に立っている。昨日は担当医師が緊急手術に入ったことが遅れた理由であり多くの患者たちも黙認していたようである。それは手術を受けたばかりの私から文句があるわけではない。ただもう少し病院側の配慮が必要だと思う。状況説明があってほしい。看護師や職員たちは優しく対応しているがシステムとしては優しくないといえる。
 ワールトディズニーが作ったディズニーランドでは待つ退屈な時間さえ楽しくするという設計からの配慮が成功の秘訣といわれている。待つ退屈な時間の長いところは多い。エレベーターの中の短い時間でも人は退屈を感じやすい。ホテルなどではテレビモニターを付けてあるところもある。退屈な時間との戦いは幸福への道であろう。退屈は闇の空間である。その激退は社会政策にもなってほしい。しかし待つのは退屈だけではない。私は冬の服装を観察し、美意識の欠如した服ばかりのように感じた。冬の服飾のデザインは布団デザイナーがしたようであると家内と冗談話をした。子供が成長すること、社会の変化、発展を待つのは楽しい。退屈の感じ方は個人の問題、あるいは人生観によるものともいえる。