崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

台湾蓬莱米

2016年02月01日 05時07分05秒 | 日記
 風邪気味だったがしばらく参加できなかった科研の研究会(代表植野弘子)に参加した。大手術後にメンバーたちへ回復した姿を見せることができた私も嬉しかったがメンバーたちから喜んで迎えられたことが感謝であった。山口大学で午後1-6時までの長い時間、台湾と韓国の調査結果の総合発表であり、私は大学院時代のゼミのように楽しく話をした。3年間のこの研究会を通して共に調査研究をした仲間たちがグループ化して研究を続けることが重要であろう。昨日は研究メンバーではない山口県立大学の安渓遊地教授が参加した。彼は自然人類学の農学が専門で台湾植民地での稲の品種改良の話をした。私は朝鮮における稲の品種改良について関心を持っているのでそれこそ帝国の植民地政策に関する基本的なテーマであり、新鮮な討論ができた。また日本人が神懸かる信仰に関する三尾氏の発表など有益な時間であった。JRで遅く帰宅した。やはり風邪をひいている。
 安渓氏は早速台湾蓬莱米の父である磯永吉の資料を送ってくれた。蓬莱米は日本の台湾統治時代に、日照時間の差から熱帯では早く芽が伸びすぎてしまい、実りを得ることのできなかった日本のお米(ジャポニカ米)を台湾の気候に合うように、磯博士が品種改良して作った品種である。二期作が可能なため、多くの収穫をもたらし、米は台湾の重要な輸出品目となった。インド各地の農業センターで蓬莱米の試作が始まった。インドでは蓬莱米を植えたところ、大豊作、地平線まで蓬莱米の黄金の波にうずめられていたと言う。蓬莱米にまつわる日・台・印友好の物語である。帝国全体、そしてインド、満洲国の北部までの稲作を広げていった貢献であった。安渓氏との対話は楽しかった。
*写真は安渓教授の夫婦と