崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

宗教の衝突

2011年05月17日 05時28分07秒 | エッセイ
By DAVID D. KIRKPATRICK

5.16つまり1961年5月16日を記憶する日本人は少ないだろう。韓国でも忘れている人が多いようである。朴正煕氏と陸軍士官学校8期生たちが主導して軍事クーデターを起こして1979年朴大統領が暗殺されるまで長い軍事独裁が始まった記念日である。学生デモによって李大統領が下野し、民主主義的に択んだ政権が倒れた。このあたりの歴史は私にとって重要な大学生時代であった。当時5.16は革命記念日であったが、今は軍事クーデターの日とされている。私は当時クーデターを招くようなアノミー状況を懸念した。学生によって創られた民主主義が軍人によって奪われそうであったからであり、事実そのようになってしまったのである。
 エジプトで民主化運動が成功してから数ヶ月のその後が心配である。イスラム信者の多い国家の中でキリスト教と衝突,12人死亡、2つの教会が焼失したというニュースが気になる。ハンチントンが政治的イデオロギーの対置から文化・文明の衝突を予告したことを想起する。キリスト教会が襲撃されて死傷者が出た。宗教は人間が創った文化でありながら人間関係を悪くすることも多い。宗教といっても原理主義の過激派が問題である。日本では仏教が多くても緩やかであり、キリスト教信者は少ないが敬虔な人が多い。諸宗教の衝突までは心配しないが、怖いのは牧師などの聖職者の原理主義である。社会は民主化されても教会は絶対主義に留まり、聖職者はしもべであるという信仰から信者をしもべとし、その上に君臨しようとする。そのような原理主義が怖いのである。