崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「雀様の学問と人生」

2011年05月13日 05時08分07秒 | エッセイ
 韓国語でのエッセー集について出版社の社長からタイトルは「雀様の学問と人生」というのはどうでろうか、との電話。大いに賛成した。それは日本では私の名前の崔吉城の「崔」が「雀」と誤認されて使われていることから書いた文に因んだことである。今でも講義の冒頭に名前の紹介では「私は雀ではない」ということが多い。しかし崔を雀に誤認することにそれほど抵抗があるわけではない。崔の意味は「山」のように大きく、高いという。それに比して雀は「少」である。
 私が愛用している散歩道では雀の群れと出会うことが多い。雀は人家に近く住み人と親しい小鳥で、家禽のような野鳥である。雀の目が光ってこちらを注視するのをみると「我輩は雀である」のように思える。昔中部大学の同僚の台湾出身の有名な王氏と五島旅行の時「歓迎 王様・雀様」は傑作であった。私は山ではない。私は少なる者である。それが今度のエッセーの面白さかも知れない。