崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「私の学問と人生」

2011年05月06日 04時38分25秒 | エッセイ
 長い連休の最終段階にあった昨日、ハングルエッセー集を脱稿し、出版社へメールで送った。短いものではあるが意外にも数ヶ月かかった。仮題を「私の学問と人生」としているが、日韓を往来しながら日本で書いたものとしてのより適切な題は読者から提案が欲しい。日本で、特に下関で書いたものを韓国語の読者を相手にしたものである。それは言葉だけを変えるものではない。日本の読者へ韓国のことを書くといかにも日本を批判非難するように聞こえるように、韓国での日本の話は韓国を非難批判するように聞こえるかもしれない憂いがあるからである。しかしエッセーは思考と感動がなければならない。執筆中は文学少年時代へ戻った気分で幸せであった。
 山本孝夫氏のノンフィクション連載小説の13回目分を一気に読んだ。今回は第二次世界大戦の終期に硫黄島に医師として戦争に全うした芳一からの手紙を基にした分と彼の父の死に関するものである。二人の死は内地と戦地の距離はあっても戦時に萩の吉田松陰の教訓で教育され、忠実な生き方をしたことは同様である。否、二人に限らない。守備隊長の玉砕など、「忠良たる臣民」として忠実なる生き方がリアルに描かれている。当時日本は日露戦争の勝利のようなもう一つの勝利のために臨戦雰囲気があった。現在の価値観では犬死に似ていると思うかもしれないが、今を生きるものも時代が変わったらそう思われるかもしれない。ただ忠実な人生は変わりはないだろう。文学と人生はそれを望んでいる。