崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「東洋経済日報」に連載5月20日

2011年05月30日 04時25分57秒 | エッセイ
 3年も続く「東洋経済日報」へ連載に「王様と雀様」という題で以下のような文を寄稿した。*先日5月13日と重複するところもある。

 私たちの家の近くにはスズメ、ヒヨドリ、カラスなど鳥が多い。スズメは人家の近く住んでおり、野鳥とはいえ、家禽のような親しい鳥である。山道を走る車の前で餌をついばむのに忙しかった小さいスズメの群れが飛んで行った。多分巣だったばかりの鳥であろう。親鳥から離れて自立してみようとするところであろうか。韓国ではスズメの焼き鳥を食べると物忘れが多くなるという話がある。軽い失敗や記憶が曖昧だったり、ちょっとした忘れ物をしたときには “スズメの肉を食べたのか”といわれる。また完全に忘れたりすると「カラスの肉を食べたのか」と言われる。
 ところで日本では私の苗字の「崔」チェは一昔前まではその漢字になじみのない日本人からよくその代わりに「雀」スズメが使われることがよくあった。つまり崔を雀と誤認して使われることがあったということである。考えてみると私だけではなく大きい崔氏族に対して大変な失礼なことになる。何故ならば崔は「山」であるという文字なのに「少」の雀にしたからである。山は大きく、高いという意味がある。とても対照的であるだけでなく大きい山を小さいように呼ぶのは非常にちょっと失礼な誤認である。しかし山を小鳥にした面白さも感ずる。今でも時々郵便物には「雀吉城様」と書かれて来る時がある。
 「雀様」になるともっと面白い。おもしろいエピソードがある。以前中部大学に在職中同僚であった台湾出身の王興教授と五島列島に調査に行った時であった。旅館の入口に置いてある歓迎の立看板に「歓迎 王様と雀様」とかかれていた。翌日朝食の食卓には「王様」と「雀様」が対座するようにテーブルが準備されていた。すなわち、“王様”と“雀様”が対座して食事をするようになっていたのである。 何かの童話にも出てくる王様とスズメの話のようで滑稽なことだった。
 私は朝の散歩道でスズメに出会うことがしばしばある。スズメ(雀)様と崔様の対決のように。私もスズメを注目しながらこの小さい鳥にも脳があり、心臓から血液が流れて、神経が作用して、賢く立派に生きていると考えると、突然この小さい鳥に“スズメ様”と呼びたくなった。私は人から雀様として誤認されたのではなく、本気で受け入れる気持ちになった。「我輩は雀である」のように雀の目を通して人間を見る感があった。まことに感謝である。在日韓国人の多くは本名を使わず日本式通名を使っているが、私は雀に誤認されやすくても自身の苗字の「崔」に固執する。私は日本には寄留者であり、渡来人とか、ニューカマーとか呼ばれている。崔が雀とも呼ばれる日本に、私は永遠なる異邦人かもしれない。
 この話が入っているエッセー集を韓国語で出すことになった。草稿を面白く読んでくれた出版社の社長からエッセー集の題を『スズメ様の学問と人生』と決めたいという電話を受けた。気に入ってくれたことに嬉しく、私は快諾した。