京都造形芸術大学のシンポジウムのパネラーとして参加することになったが気になるのがテーマである。「日本人の性」である。古く私が提案して「アジアの性」として講演会を開催したが、出席者が大幅に減って驚いた。主に参加者が高齢の方々であるので、性は超えて関心が薄い、あるいは一般的に性に関して真正面からテーマとして扱うのに抵抗があったのかと思われた。私は性に関して論文を多く書いたが、それは性と美の調和からである。sexyというのは二つの感がある。またsexとは生理的なsexualityであり、社会的なgenderという二つの側面をもっている。歳を取るにしたがって二つを超えてただの人になるか、あるいはユニセックスというか、人間本然に戻るようである。
フロイドは性は生命力だと言ったが、若いときは暴力的な力にもなり得る。性が生命力とは思えない。日本人の性というタイトルは社会的な性であろう。日本人は性に関して開放的だともいわれているが、それも若者の基準であり、高齢者はそうではない。性のモラルは時代によって変わるが、年齢によっても大きく変わる。そのダイナミックに迫ってみたい。
フロイドは性は生命力だと言ったが、若いときは暴力的な力にもなり得る。性が生命力とは思えない。日本人の性というタイトルは社会的な性であろう。日本人は性に関して開放的だともいわれているが、それも若者の基準であり、高齢者はそうではない。性のモラルは時代によって変わるが、年齢によっても大きく変わる。そのダイナミックに迫ってみたい。