verse, prose, and translation
Delfini Workshop
After Dry Silence : Valery Afanassievの詩(7)
■旧暦12月16日、水曜日、
(写真)the Rhein
第一詩集『耳の眠り』の2校を戻した。詩壇では、ごく一握りの理解者しかいないが、その一握りが、強力に応援してくれているので、心強い。
pattern poetry(図形詩)というのをご存じだろうか。日本では、この運動は、50年代から70年代に、北園克衛が主宰したVOUと新国誠一が主導したASAが中心であった。古くは、その前史を、ステファン・マラルメの「骰子一擲」の語の配列の空間性やアポリネールのカリグラム、ルイス・キャロル、ガートルド・スタイン、エズラ・パウンド、E. E. カミングス、あるいは未来派のタイポグラフィックな表現やダダのコラージュ等に見出すことができる。
pattern poetryについて、原稿を書く関係上、調べているのだが、言葉のデザインなど、視覚を中心にした詩は、詩とは何のか、といった根源的な問いを発している。詩と音声は切り離せない。もともと、「詩」なるものは、口誦性が本来的であり、文字による表記は、二の次で、いわば、文字で書かれた詩は楽譜のようなものだったはずである。一行の長さは一息の長さであり、口誦する速度を表している。空白は息継ぎ、あるいは、沈黙である。縦書きや横書きの由来はわからないが、漢字やアルファベットなど、文字のつなぎ具合の良さから自然に発生したのではないだろうか。pattern poetryは、詩のテキスト性をいわば、物象化したもので、音声とは切れている。pattern poetryを朗読しようとしても、撥ねつけられてしまうだろう。これは、詩が音から完全に分離した象徴的事件、言いかえれば、詩が、口誦性からずっと以前に離れてしまったことを、詩自身が確認した事件ではなかろうか。また、聴覚重視から視覚重視への変化は、社会の近代化と密接に関連すると思う。pattern poetryが音声と切れているとは言っても、クレーのような画家の絵に音楽があるように、pattern poetryにも音楽がある。それは、耳の音楽ではなく、眼の音楽である。眼で見たものすべてを言語に変換することはできない。pattern poetryは、この不可能性をどれだけ豊かに持てるかに、賭けているように思える。
参考:北園克衛オンラインアーカイブ
☆
A dream, another dream.
Reality.
An ordinary woman.
Not a goddess. An ordinary
Woman. I don’t
Want you. I’m not Michel, nor
Yesterday, nor Sergeant Pepper, nor
Friday.
An old man who listens to
Himself.
I have a lot to say: Helen of Troy,
Berenice, the Sleeping Beauty ―
Beauty tout court, tout short. Just Beauty,
Nothing else in plain English.
夢また夢
現実
平凡な女
女神ではない 凡庸な女
わたしにはあなたが必要ではない
わたしはミッシェルでも
イエスタデイでもサージェントペッパーでも
フライデイでもない
自らの声に耳を澄ます
老いた男
わたしには言いたいことがたくさんある
トロイのヘレン べレニス 眠れる美女―
一瞬の まさに一瞬の美 まぎれもなく美
簡単な英語で言うならこれしかない
■この詩は、青年期の初々しい感じさえする。作品の中の美女に惹かれ現実の女性には惹かれない。こういう女性観は、わかる気がする。しかし、現実の女性の中に、一瞬、女神が現れるのであろう。
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1月17日(月)のつぶやき
2011-01-18 / 俳句
19:56 from web
poetic fragments 26 #poem #poetry >>> http://bit.ly/hrQaIb
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1月15日(土)のつぶやき
2011-01-16 / 俳句
10:13 from goo
スイスの詩人たち:Romie Lie(4) #goo_delfini2 http://bit.ly/eFJzgR
20:14 from goo
スイスの詩人たち:Romie Lie(5) #goo_delfini2 http://bit.ly/fwTQHW
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スイスの詩人たち:Romie Lie(5)
(写真)in Basel
浦和、大宮へでかける。氷川神社へ久しぶりに参拝。鴉が一月の空を舞っていた。池には、氷。氷川団子を買って帰宅。
☆
HANAMI
2
unter dem lichtlaub
die alten weisen summen
kirschblüten auf der zunge
leicht salzig nach tränen
rote fische am westlichen himmel (2006)
光の木の葉の下
老人たちがささやく
口に含んだ桜の花は
かすかに涙の味がする
「西の空の赤い魚」(2006年)より
■「summen」は、著者に確認したところ、murmur(ささやく)の意味。辞書には載っていない、貴重な情報である。著者自身による英訳も踏まえて、翻訳し直した。
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1月14日(金)のつぶやき
2011-01-15 / 俳句
01:14 from goo
芥川龍之介の俳句(16) #goo_delfini2 http://bit.ly/ggI5tO
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スイスの詩人たち:Romie Lie(4)
(写真)Basler Muenster
「深蒸茶」が、ファミリーブームである。家人が、テレビを観て、早速買ってきた。飲んでみると、色が濃いのに、苦くなく、ほんのり甘い。お茶の個人史を振り返ってみると、高校生までは、煎茶党であって、珈琲など飲んだことがなかった。飲んでも、ネスカフェのインスタントである。日曜日の朝食は、パンと珈琲のときもあり、そのときのインスタント珈琲の美味さは記憶に残っている。珈琲党になったのは、大学からで、これには、喫茶店文化との関わりが深い。今でも、喫茶店は、よく行くが、当時の喫茶店は、クラシックやジャズ専門の喫茶店が、まだ、かなり残っており、ライブも行われていた。ここで初めて聴いた曲も多かった。当時80年代初頭は、まだ、紅茶を専門に出す喫茶店は、めづらしかった。紅茶は、スイーツとの相性がいいので、女の子にとくに好まれていた。男はやはり珈琲だったのである。しかもブラック。珈琲と煙草の相性も良かった。豆から買ってミルで挽いてサイフォンで淹れる、という形が、学生にも浸透し始めたのが、80年代半ばくらいだったように思う。コンビニで豆が売られ、ミルやサイフォンも安く入手できるようになったことが大きい。珈琲党は、なんと、30年間も続く。20代、30代、40代である。ブルマンは、特別なときにしか飲まなかったが、それほど、美味いとは思わなかった。最終的に、キリマンジェロに落ち着いて、卒業。1年前から、紅茶党に転換。アッサム+レモン、(アイス)アールグレイをよく飲んでいた。フレイバーティーも、ショップあるいはメーカーを選べば、かなりレベルが高いものもあることを発見。最近では、LUPICIAが美味いと思った。そして、ここ二日、「深蒸茶」の登場。ほんのり甘く、健康にもいいと聞く。単に、個人的なお茶の好みの変化と言っても、それが、喫茶店文化や健康志向など、時代背景や社会との関わりを無視しては、ありえないことがわかる。
※そう言えば、サイフォンで珈琲飲んでいた友だちはいなかった。ドリップ方式が普及したことが、珈琲党増加につながったのだろう。安いし、後片付けも手軽。
☆
HANAMI
1
bei sonnenaufgang
den pfad entlang vom
laublicht empfangen
fingerspitzen aneinander
sich neigen und
neigen am fusse
des heiligen berges yoshino
rote fische am westlichen himmel (2006)
花見
1
日の出の
径
木漏れ日に迎えられ
両手の指先を重ねて
何度も伸ばす
聖なる吉野山のふもとで
「西の空の赤い魚」(2006年)より
■遠くスイスまで、花見が世界化しているのを見るのは楽しい。
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1月13日(木)のつぶやき
2011-01-14 / 俳句
00:17 from web (Re: @kayo_fushiya)
@kayo_fushiya Vielen Dank. Die deutschen Gedichte beginne ich endlich zu machen.
00:22 from web
Vielen Dank @tiniaden fuer RT.
by delfini_ttm on Twitter
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芥川龍之介の俳句(16)
2011-01-13 / 俳句
■旧暦12月10日、木曜日、
(写真)無題
雑用で、午前中つぶれる。午後から仕事に入るが、なかなか困難で、座礁に次ぐ座礁。夕方から、新規の仕事に入る。夜は、兼業。このところ、親戚に相次ぎ癌が発症している。一人は胃の全摘出。一人は、手おくれで余命一カ月。癌や脳梗塞、認知症、骨粗鬆症などを回避して、どれだけいい仕事ができるか。
☆
柚落ちて明るき土や夕時雨 大正八年
■柚は、畑になると、実に大きくて、黄色が深くなる。柚が落ちた土が華やかに明るく感じられる。言われてみるとそのとおりで、時雨で柚の香も香って来る。
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1月12日(水)のつぶやき
2011-01-13 / 俳句
17:02 from web
Gedichte Nr.2 >>> http://bit.ly/fMYpd8 #poem #poetry #gedicht reviesd version
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