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飴山實を読む(139)

■旧暦1月7日、土曜日、

(写真)春の雲

いろいろな人が言うように、インターネット、とくにtwitterは「今」の時間が異常に肥大する。ここからこぼれ落ちるものの一つは、歴史意識ではなかろうか。ニーチェは、歴史を三つに分けている。一つは、英雄が活躍するヒーローの歴史。二つは、好事家の対象になる歴史的断片の収集。三つは、批判的歴史。三つの目の批判的歴史は、ベンヤミンの歴史観と重なるものがあるように思う。ベンヤミンは、敗北して痕跡を消されたもの、封印されてきたもの、タブーになってきたもの、蛇蝎のように忌み嫌われてきたもの、嘲笑されてきたものの中にこそ、歴史のコアが存在すると述べている。批評的散文ではなく、文学で、こういう批判的な歴史を表現できないものかと、漠然と思う。



花浴びの羅漢はどれも男かな   「花浴び」

■風情に惹かれた。「花浴びの羅漢」という措辞が「男かな」と呼応している。羅漢を読んだ俳句は多々あるが、これは、羅漢の存在の確かさを捉えているように感じた。



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