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芭蕉の俳句(208)

■旧暦10月30日、木曜日、

(写真)冬菊

5時に起きて、1時間、江戸川をウォーキングしてきた。だいたいポイントは分かったが、呼吸法とウォーキングをどう組みわせるか、課題が残った。途中、小雨になる。

どうにか、先日、詩誌『コールサック』にツェランの翻訳詩原稿を送った。詩の原稿も2篇、近く送らなければならないが、皆目、見当がつかない。一種のスランプ状態である。今迄のように、自分の俳句を部品のように使って詩を組み立てる方法が厭になってきた。どういうふうに詩は俳句から学べるのか、手探り状態である。ひとつ、突破口になるかもしれないと思っているのは、狂言の検討である。




里古りて柿の木持たぬ家もなし
   (蕉翁句集)

■元禄7年作。「里古りて」という措辞がとくに効いていて惹かれた。「柿の木持たぬ家もなし」という措辞も地方に行けば今もそのとおりで納得できる説得力がある。「古里」というのは、時間の集積が随所に見られる土地なのだなと改めて思った。



Sound and Vision

Glenn Gould.Prokofiev.Piano Sonata No.7,Op.83.Andante


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