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ドイツ語の俳人たち:Alexis Margret Dossler(5)

■旧暦10月28日、火曜日、

(写真)冬の蝶

ブログのドイツ語版には、たまに、コメントがあるのだが、アレクシスさんの俳句を紹介したところ、「ええ、これ俳句と見なすの?」みたいな反応が、ドイツ人自身からあって、面白かった。ドイツ人から見ても、俳句には思えないらしい。だが、アレクシスさんの俳句は、日本語の近現代詩が西欧詩の翻訳模倣から始まったことを考えるとき、なかなか面白い問題を含んでいる。翻訳したものを日本語の詩と見なしても、そう不自然じゃないように思う。しかし、アレクシスさんの俳句の背景には、唯一神を前提にした哲学的ダイナミズムの伝統がある。言葉の表面だけ真似をして、妙に風土から浮き上がった一部の日本語の詩とは、質的に異なるだろう。

話は変わるが、日本国憲法第15条というのをご存じだろうか。


第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。


とくに第2項に注目すると、2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。これには、英語の原文がある。第15条の英語原文は以下のとおりである。


CHAPTER Ⅲ. RIGHTS AND DUTIES OF THE PEOPLE

Article 15.

1. The people have the inalienable right to choose their public officials and to dismiss them.

2. All public officials are servants of the whole community and not of any group thereof.

3. Universal adult suffrage is guaranteed with regard to the election of public officials.

4. In all elections, secrecy of the ballot shall not be violated. A voter shall not be answerable, publicly or privately, for the choice he has made.


赤字で示したように、第2項の原文は、公務員および政治家は、社会全体の奉仕者であり、社会の特定グループの奉仕者ではないと明確に謳っている。servantsという言葉の語源はONLINE ETYMOLOGY DICTIONARYに詳しい。ここからわかるように、もともとservantは「仕えること、給仕すること」という意味だった。17、18世紀の北米では、「奴隷」を指した。Public servantという言葉が出てくるのは1676年からである。共通して言えるのは、「主人」がいるということであり、憲法の文脈ではこのservantsの主人は「日本国民」である。

現実をみると、麻生をはじめとした政治家も、霞が関の役人も、あるいは、地方公共団体の役人も、国民の主人という逆転現象が起きている(疎外現象と言ってもいい)。また、そこまで行かなくとも、国民に「してやっている」という上から目線が多いのではないだろうか。「国民に仕える」という憲法第15条第2項の趣旨を理解し実践しているservantsはどれくらいいるのだろうか。

また、この第2項は、重要な論点を含んでいる。それはservants of the whole community and not of any group thereofという表現に係る。これは、一部の集団あるいは階層に仕えてはならない、ということを意味している。現実はどうだろうか。金次第、票次第で、あるいは格差政策によって、一部の集団・階層に有利になっているのではないだろうか。逆に、この条項を逆手にとって、弱者に酷薄な政策を行っていないだろうか。この問題は、選挙区住民の利害や圧力団体、後援団体の利害、資本主義システムや国際関係なども絡み、一筋縄ではいないが、憲法に謳ってある以上、もっとservants of the whole communityの意味を考えるべきじゃないだろうか。




Die Nacht war schlaflos
und trotzdem tagt es wieder.
Wann war das Gestern?


夜は眠らなかった
だがまた夜が明ける

昨日とはいつのことだったのだろう


■非常に面白い俳句で驚いた。これは一篇の詩に近い。不思議な感覚で惹かれた。三行目のWann war das Gestern?の前には「間」が感じられたので、一行空けてみた。論理的でいながら飛躍も感じられて、俳句の「間」にも近いような気がした。写真も。



Sound and Vision

Carole King - It's Too Late



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