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芭蕉の俳句(206)

■旧暦10月19日、日曜日、

(写真)地蔵

午前中、仕事、午後、昼寝。亥の子餅を食す夢を見た。まだ食したことないので、夢にまで出てきた。

昨晩は、I先生の哲学塾。マリノフスキーとレヴィ・ストロースについて、2時間のレクチャー。その後、ルカーチのマルクス論について1時間のレクチャー。その後、飲み屋で、さまざま議論。いろいろ感じることがあった。哲学の誕生は、神の誕生と同時だと思うが、神を創造した瞬間に世界は二元論化された。二元論のエンジンが、自然科学を生み、資本主義を生み、やがてグローバリゼーションを生んだ。二元論とは光と影の二元論でもある。まだ見えない本質がある、という二元論は、認識論と存在論の分化でもあるが、同時に、真理に歴史性を与えるものでもある。

唐突だが、芸術の鑑賞について、岡潔が道元の話を紹介している。「道元禅師は『はじめ身心を挙して色を看取し、身心を挙して音を聴取せよ』といっているが、それがすんだらこんどは『身心を挙して色を聴取し、身心を挙して音を看取せよ』といっている。芸術の鑑賞はやはりこれが本当なのではなかろうか」(岡潔『春宵十話』p.171 2006年 光文社文庫) ここには、二元論の影がない。

西欧世界は人間の生き死にを握っているので、なかなか、非西欧が生んだ果実は何のか考えてみる余裕を与えない。西欧という運動体から目を離さず、非西欧が生んだ花々をじっくりと検討・体得してみることの重要性をますます思う。あまりに精妙・玄妙で「西欧化された脳」には捉えられないのかもしれないのだ。




稲妻や闇の方行く五位の声
  (続猿蓑)

■元禄7年作。壮絶な感興を起こさせる句で惹かれた。闇に光る稲妻と五位鷺の鋭い声。まさに色を聴き、音を看るかのごとく。




Sound and Vision

Fauré plays Fauré Pavane, op 50




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