雪国断章 三日目(その2)

2014年03月06日 03時42分10秒 | 旅行記
前回(三日目その1)はこちら

・12/13(木)

秋田駅を出て、雪中を徒歩で秋田県立美術館へ。
街中ということもあるのでしょうが、青森に比べれば随分と雪の量が少なくなって足取りも軽やか。実は秋田の街を巡るのは今回がほぼ初めてのことで、あらゆるものが新鮮に映ります。


駅からメインストリートを直進して現れたのは、灰色のコンクリート造りが目立つ県立美術館。安藤忠雄の設計です。


入館しようと思えば、傍にはひっそりと国民文化祭の案内……2014年は秋田での開催だそうです。以前、京都でも実施され、それに伴う幾つかのイベントに参加したことを覚えています。




大きな出入口ドアを利用した催事案内が特徴的です。一目ではそれと分かりづらいせいか「出入口」と掲げられた表示が少々無粋ではありますが、メインの展示を鑑賞する前後には美術館そのものの建築にも触れておきたいものです。
今回観に来たのは藤田嗣治(レオナール・フジタ)に関する展示。日本で生まれ、渡仏して帰化した彼のパリ時代の作品が中心となっています。2013年は藤田の渡仏100年に当たるということで、言わばメモリアル的企画。フジタの作品は今も各地でさりげなく飾ってあるのを見かけますが、やはりその題材には猫や自画像のイメージが強く、それ以外の作品を多く見ることが出来たのは良い収穫でした。
鑑賞後はもちろんグッズを購入。お約束(笑)のクリアファイルと、予想外のトートバッグで散財です。(笑)


(帰宅後に撮影)
最も目についた作品だった、「二人の少女と人形」。
その淋しげな表情に、思わず見入ってしまいます。

さて、駅へ戻ってからは羽越本線に乗車の予定でしたが、折からの強風で酒田方面は運転を見合わせているとのこと。下校の高校生たちが途方に暮れていましたが、次に出る列車は約1時間後。今後の予定を考えると変更せざるを得ません。
当初の予定では羽越本線の岩城みなと駅で下車、近くにある道の駅で入浴を済ませ、帰りは羽後本荘からE653系の「いなほ」に乗車して再び秋田に戻ってくる予定でしたが、仮に岩城みなとや羽後本荘へ行けたとしても秋田に戻ってこられる確証もないので、仕方なく秋田に留まって代替手段を模索することとします。

携帯で秋田市内の銭湯を検索し、再び駅を出て街中へ。
いわゆる「駅近」にはないようですが、何とか徒歩圏内で見当をつけることが出来ました。


地図を頼りに徒歩で辿り着いたスーパー銭湯「天然温泉 華の湯」。
入浴前なので濡れようが冷えようが構わないのですが、やはり駅からは少々距離があり、さすがに冷え切りました……。
しかし設備や広さは十分で、時間をかけて全種類の浴槽を堪能。帰りは湯冷めを避けるべく近くの停留所からバスに乗車しましたが、距離感覚で言えば京都駅から梅小路公園くらいのものでしょうか。それでも運賃は京都市バスよりずっと安く(笑)、快適に駅へ戻ることが出来ました。


他都市のバスも個性的で、観察しているとおもしろいものです。画像のバスは富士7Eといすゞジャーニーと思われますが、関西ではあまり見ない形態です。

さて、この時点においても時間はまだまだ余っているので、駅ビルでお土産を物色することとし、アレコレと吟味した結果、大根を漬けた「いぶりがっこ」、ぶどうのゼリーを板状にした銘菓「さなづら」、比内地鶏のふりかけなどを購入しました。旅も終わりに近付いているのでどんどん散財しています。(笑)
因みに「さなづら」と似たお菓子では山形の「のし梅」がありますが、やはり寒冷地はこうしたお菓子が流行るのでしょうか。どちらも素朴ながら上品な味わいが魅力的です。
また、夕食には残り少なくなった駅弁を購入。さすがにこの時間ともなると「鶏めし」の姿は消えていましたが、親切な店員女史に各弁当の特徴と賞味期限を教えていただき、22時頃まで食べられる「秋田のんめもん! こまちっ娘弁当」を購入。詳細は後述します。

それでも、今夜の宿となる上り「あけぼの」乗車まではまだ若干の余裕があります。
列車は幸いにも各方面で運転が再開されたようで、こうなればフリーきっぷの強みを生かして「ちょい乗り」。

秋田19:12発→上二田19:41着


(写真の列車と乗車列車は異なります)
定期列車としては秋田に発着する唯一のディーゼルカー、男鹿線の列車に乗ります。
夕ラッシュの時間帯なので車内は帰宅客で混雑。私もデッキに立っていましたが、追分までの奥羽本線区間では電車にも引けをとらない本気の走りを見せてくれました。今回訪れた北海道然り、まだまだ各地で現役のキハ40系列ですが、ここ最近は各社でハイブリッド車や蓄電池車での置き換えが始められようとしていることから、長らく同系列の独壇場だった東北地方も近いうちに予断を許さない状況になるのは確か。今のうちにしっかり楽しんでおきたいものです。

男鹿線に入って二駅目、上二田で下車。
私と共に降りた数人の下車客は送迎の車によってすぐに雪中へと姿を消し、有象無象の落書きが残された待合室で反対列車が来るまでの時間を潰します。裏返せば、それだけ学生や若者が利用していることなのでしょうが……。

上二田19:55(5分延発)→秋田20:20(2分延着)


数分遅れてやって来た秋田行き列車のロング・シートに腰を落ち着け、再び気動車の乗り心地を味わいます。
男鹿線のキハ40系は見た目は同様でも車内の仕様にはかなりの形態差があり、趣味的には非常に興味深いところ。車内の違いは各車の出自に由来するところが大きく、この先頭車両は左沢線から流れてきたと思われるロングシート車でした。

そして、もう何度目か分からない秋田へ到着。(笑)


発車を待つ雪まみれの奥羽本線701系。決して珍しい光景ではありませんが、雪中を潜り抜けてきた姿を見ると随分と頼もしい存在に思えるものです。
この後、スコップを手にした車掌氏がドアに付着した雪塊を削り落として回っていましたが、こうした現場の方々の苦労によって安全・定時運行が支えられていることを改めて実感しました。


向かいのホームには引退近しE3系。
初日に遭遇した時には気付きませんでしたが、それに伴う装飾がされていました。やはり新幹線車両はその地域の「顔」でもありますから、開業時から活躍していた同車の引退は一般の方にも少なからず印象を与えることでしょう。ただ、経年の浅い一部の車両は山形新幹線へ転用・改造されて新たな活路を見い出すらしく、今後の活躍にも引き続き期待したいところです。

駅前のミスドで時間を潰し、ホームへ再入場。
そして……


「こまち」よりも長く、長年に亘って秋田から対首都圏の交通需要を支えてきた上野行き寝台特急「あけぼの」に乗車します。

秋田21:27(4分延発)→上野7:17(19分延着)


雪の向こうから、ゆっくりと列車が入線してきます。
これが鷹ノ巣で撮り逃した編成……であるのかもしれません。


乗車車両はオハネ24 555。B寝台個室「ソロ」の車両です。


「ソロ」には幾つかタイプがありますが、「あけぼの」ではレール方向にベッドが並ぶため、廊下を挟んで両脇に部屋を配置する構成となっています。


そのため、定員は確保出来ますが、一つひとつの部屋が狭いのが難点。入り口も折り畳み式の小さな扉で、いかなる者も出入りの際はかがんで入らなければならない、まるで茶室の「にじり口」を思い起こさせる佇まいとなっています。


今回乗車したのは下段個室内。
画像右上に上段個室の階段が張り出しているのが分かります。こうした狭さは否めませんが、一夜の「城」としては十分な設備です。


空いていた上段個室はこのような雰囲気。何と言っても曲面窓からの眺望が魅力的ですが、ベッドが折り畳み式で少々出入りがしにくいこと、数年前から転落防止用のロープが付いたことで居住性は少々損なわれた印象があります。「サンライズ」のソロも同様の構成ですが、あちらは後発ということもあってこうした問題をクリアしています。如何に定員を確保して如何に快適な室内空間を造るか――こうして乗り比べてみると、まだまだ一般的な需要が期待されていた頃の寝台列車、それらに携わった先人の苦労が偲ばれるようです。


その他の設備は他車に準じたもの。
車端の洗面所には古くからの冷水器が設置され、洗面所に立った折にはつい備え付けの紙コップを取り出して口に含んでしまいます。


車内散策もそこそこに、事前に調達した駅弁を広げて夕食。
「秋田のんめもん! こまちっ娘弁当」ということで、秋田の名物が詰まっています。掛け紙の裏には一つひとつの具材に関しての解説があり、眺めて・食べて楽しめるお弁当。思えばあっという間だった今回の旅を振り返りながら、一口ずつ味わいました。


食後は気分転換に再度車内を徘徊。トレインマークを間近に眺められるのも客車ならでは。
誰もいないデッキに立って漆黒の車窓に目をやれば、時折現れる自動車のライトと過ぎ去っていく街灯の流れ。
夢と希望と哀愁と……様々な思いが交錯しながら、列車は夜の羽越本線を駆け一路上野へ、そして私の22歳の一年間もいよいよ終焉へと近づいていきます。


5分遅れで遊佐駅に到着。
乗降客はなかったのか、ドアが開いた途端に笛が鳴り、すぐに閉まりました。

そんな夜行列車の風情を楽しみながら、部屋に戻って就寝準備……その前に。


備え付けのJR柄の浴衣に袖を通し、お約束(?)の一杯。
普段から飲むことはあまりしないのですが、旅の道中、それもこうした寝台列車だと雰囲気が手伝ってついつい手が伸びてしまいます。おつまみは秋田駅売店で求めた「アーモンドフィッシュ」。いちばん安かった(99円)のでこれにしましたが、小学校か中学校の給食で似たようなものが出た覚えがあります。あっさりとしていて、懐かしい味がしました。

さて、列車は酒田を6分延発、余目を7分延発と徐々に遅れを拡大していきますが、いつの間にか酔いが回って寝てしまったようで、ふと目が覚めたのは新発田停車中。(21分延着)
歳を重ねるその瞬間に眠りに落ちていたというのは我ながら不覚でありましたが、思いもよらぬ形で23歳の幕開けを迎えることとなりました。


キハ47形が停まっています。
本来であれば新津に近付いている頃ですが、元々の遅れに加え、夕刻の羽越本線内での風速規制がなお響いていたのでしょうか。

さて、「あけぼの」は新発田から新潟を経由せず新津へ向かいますが、意外なことに1時半を回った新津でも乗車がありました。確かにここから上野までは6時間ほど、指定席扱いの「ゴロンとシート」利用ならばリーズナブル且つ快適に移動出来る区間ではありますが、この深夜のターミナル駅で乗降風景は、不夜城たる「鉄道の街」の一面を垣間見せるものでした。
深夜帯に客扱いをする夜行列車と言えば、かつては「きたぐに」が北陸線内でこまめに停車していたことが想い出されますが、諸々の都合でこうした独特の風情も姿を消しつつあります。

四日目に続く

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