雪国断章 三日目(その1)

2014年02月10日 03時18分03秒 | 旅行記
前回(二日目その3)はこちら

12/13(木)

午前3時40分、青森フェリーターミナルに到着。
私の乗車した第26便に充当の「えさん2000」は他の便よりも一回り小さい船舶で、旅客設備も最小限。他の船舶に比べると揺れも大きいはずですが、船酔い等も特になく、歩き回ったおかげでぐっすり眠れたように思います。




車両甲板を伝って再びの本州を踏みしめ、ターミナルの待合室で小休憩。
青函間をフェリーで渡ることは初めてのことで(舞鶴~小樽と八戸~苫小牧は経験済)、列車移動と比べて所要時間は倍近くかかりますが、安価で横になれる夜行便の存在は大きいものです。とはいえ、これが北海道&東日本パス使用の旅であれば函館を3時に経つ急行「はまなす」を待ち続けていたのでしょう。函館での長い待ち時間を取るか、フェリーを降りて青森駅まで歩く時間を取るか。この時期ならばどちらも辛いところですが……。

しかしそうも言っていられないので(ターミナル前にはタクシーの姿も見られず)、4時を少し回った頃、青森駅へ向けて歩き始めます。
地図を見ると新青森駅の方が近いようですが、この後同じように青函を越えてくる急行「はまなす」を撮影する為、まずは青森駅へ赴きます。




青森駅までの道のりは思った以上に長く、それも雪中なので尚更。ようやく青森ベイブリッジに差し掛かったかと思えばそれもまた長く、中間地点から地上へ降りる階段は無情にも冬季閉鎖中。
仕方なく橋を渡り終え、フェリーターミナルから小一時間、ようやく青森市街へと降り立ったのでした。

青森の朝は早いもので、まだ5時になりきらない駅前には人影がちらほらと。
もう少し時間があれば駅前の「アウガ」で朝から海鮮丼を食べたり、「まちなかおんせん」で体を温めるなど出来たのですが、列車の時間も迫っているため、ここからは再び「秋田・津軽由遊パス」を用いて駅構内へ入場。

ホームへ降り立つと、ちょうど札幌からの急行「はまなす」が入線してきました。




今回撮影した「あけぼの」や「北斗星」などブルートレインの範疇からは外れるものの、貴重な長大編成の客車急行。
青森駅のロケーションとも相俟って、旅情の感じられる一枚となりました。

さて、ここからは接続する普通列車で西へ進みます。言わば帰路となりますが、真っ直ぐ帰るのはおもしろくありません。多分に寄り道をすることとなります。

青森6:00発→弘前6:46着

まだ夜も明けきらない早朝の小駅から部活の高校生たちが乗ってきます。彼らは毎朝雪の中を駅まで歩いて、或いは送ってきてもらっているのでしょう。こうして旅をしていると、地方の高校生の朝は早いといつも実感します。いや、それは地方に限ったことではないのかもしれませんが、いつも始業ギリギリの時間に自転車を滑り込ませていた身としては、早起きをして列車で学校に通う、という彼らの日常がとても大きなことのように思えてしまうのです。
彼らは弘前で降りていきましたが、弘前と言えば太宰治が学生時代を過ごした地。生まれ故郷の金木は昨夏に訪れましたが、それこそ『津軽』に描かれた地域の多くはまだまだ訪問出来ておらず、ここ弘前もまともに降りたことはありません……。

弘前6:51発→大館7:33着
大館7:38発→鷹ノ巣7:58着


弘前、大館とタイトな乗り継ぎが続きますが、大館からの鷹ノ巣行き普通列車は花輪線の気動車による間合い運用でした。客層は高校生が中心であったことから、鷹ノ巣にある高校への通学需要に応えての運行なのでしょう。




青森から雪深さは変わらず、鷹ノ巣で本日初の途中下車。大勢の高校生たちが去った後、約20分遅れている下り「あけぼの」を撮影しに沿線へと歩きはじめますが……


ああでもない、こうでもないと、撮影地を探して歩き回り、ようやく好ロケーションと思しき田畑に辿り着こうとしたところ、遠くに見える奥羽本線の線路を「あけぼの」が通過!
遅れているからといって油断は禁物。これなら大人しく駅で待っていれば良かったと、去っていく後姿を見ながら途方に暮れますが、仕方がないので乗ってきた列車の折り返しを撮影。


「あけぼの」の後続となる普通列車です。この区間を走る気動車は一日一往復のみ。これはこれで貴重だと言い聞かせ、来た道を駅に戻って隣の土産物店兼喫茶店へ。
ちょうど開店したばかりの喫茶店、まずは土産物を物色して北秋田市の名物・バター餅を求め、次の列車までの時間潰しにコーヒーブレイク。


いつの頃からか、一日にコーヒーを3~4杯飲む生活を続けていますが、旅先でも無意識に同じ生活をしていることにここで気付きます。手軽に済ませるならばそれこそ自販機でも良いのですが、前日の木古内駅然り、旅先における喫茶店での温もりは何にも代えがたいものです。駅前ロータリーを発着するバスを眺め、地元ラジオ局の放送に耳を傾けつつ、しばしの読書タイムとなったのでした。

鷹ノ巣10:25発→阿仁合11:19着


さて、ここから乗り継ぐのは秋田内陸縦貫鉄道。客層はやはり地元のお年寄りが中心でしたが、遅れていた接続列車から、「あけぼの」を撮影していたと見られる三脚を担いだ同業者が数名乗車してきました。
秋田・津軽由遊パスでは当路線も乗り放題の対象となっているので、私のように「あけぼの」の撮影・乗車ついでに……という向きが多いのでしょう。それにJRの普通列車はロングシートの701系が主流ですから、この手のフリーきっぷ利用の場合、それを避ける手段としても利用出来ます。




JRのキハ120ともよく似た車両は雪の北秋田を駆けていきます。シートはくたびれ、窓ガラスには結露が見られますが、車内が温かいというだけで十分というものです。


強く雪の降りしきる阿仁合では(写真ではあまり感じられませんが)、乗り換え待ちの間にグッズを物色。
幾らかのお土産とオリジナルのタオルを購入しました。JRのフリーきっぷ利用ですから、こうしたところで積極的に収入に貢献……と思ってしまいます。貢献と言えば硬券も発売しているようで(笑)、窓口でそれを求める同業者の姿も見られました。

阿仁合11:35発→角館13:32(11分延着)

途中、対向列車の遅れで角館には遅れて到着。
折り返しとなる列車にはツアーと思しき長蛇の列が出来ていましたが、次回は暖かい時期に、幾度かの途中下車を挟みながら一日かけて乗車してみたいものです。願わくば、当地への往路は臨時「あけぼの」で……。


秋田の小京都と呼ばれる角館。
一日目の移動中にも通りましたが、今回は次の列車まで少し時間があるので街を歩きます。
秋田新幹線の停車駅、そして武家屋敷で知られる当地ですが、日本文学史を語る上で欠かせない場所であることもまた事実。今回は駅から10分弱の新潮社記念文学館を訪ねました。


出迎えてくれたのは川端康成『雪国』の文庫版モニュメント。同作品は冒頭に上越国境のトンネルが描かれることであまりにも有名ですが、実はその出版に関しては当地が深く関係しています。
実は、今や出版社として名高い新潮社の初代社長・佐藤義亮(ぎりょう)はここ角館の出身。以来同社の歴史は日本近代文学史と密接に関わってきましたが、戦後に出版された新潮文庫の第一号がこの『雪国』なのです。故に展示内容は社の歴史、と言うよりは自ずと日本文学史がメインとなり、複製ではあるものの名立たる作家の直筆原稿の類が並んでおり、限られた時間ながら見入ってしまいました。

角館14:11発→秋田15:06(12分延着)


秋田までの足は、最新鋭の新幹線車両・E6系の「スーパーこまち」。
デビュー前から熾烈な印象をもたらした「JAPAN RED」のキャッチコピーと共に、瞬く勢いで秋田新幹線の顔となりつつある同車ですが、それまで活躍していたE3系を置き換えた後は愛称が「こまち」に統一され、区分けの為とされていた「スーパー」を冠した愛称は消滅することとなります。
当列車も「あけぼの」と同じく一部区間で立席特急券での乗車が認められており、立席特急券には「スーパーこまち」の列車名が記載されることから今回の乗車と相成ったのでした。

興奮を抑えつつ空席を見つけて乗車。稲穂をイメージした黄色い座席の並ぶ車内は新鮮でした。


(秋田下車時に撮影)
普通車でありながら枕が可動式というのも珍しいです。もっとも、この時は撮った後に気付いたので実践とはなりませんでしたが……。(笑)

さて、いわゆる「ミニ新幹線」はこれまで福島~米沢で山形新幹線に乗った経験がありますが、車内は新幹線、景色は在来線というギャップはやはり東海道・山陽新幹線を見て育った私には今なお違和感があり、決して寝て過ごすことの出来ない区間です。(笑) おまけにこの日は対向列車の遅れもありましたから、そうしたローカル線的風情(?)も合わせて秋田新幹線を楽しむことが出来ました。機会があれば沿線での撮影にもトライしてみたいものです。


ここでも車内販売でコーヒーを求め、列車名入りのレシートを手元に残すことが出来ました。


終点・秋田では特徴ある前頭部をじっくりと撮影。
前日早朝に秋田を発って北海道へ、そして青森へ折り返し、鷹ノ巣から角館と大回りをして再び秋田に戻ってきました。
相変わらず雪の残る駅前ですが、今度は街中へ向けて歩みを進めていきます。

三日目(その2)に続く

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