蛍火の茶会

2010年06月12日 23時12分11秒 | 日記
下鴨神社蛍火の茶会。
私の所属する裏千家淡交会青年部はお手伝いということで、暑い中スーツを着て会場へ…。

17時から21時まで受付に立ち、600人以上ものお客様に来ていただきました。
慌しくて疲れたけど楽しかった!

さすがにバイト代は出ませんでしたが(笑)、老舗京懐石・下鴨茶寮のお弁当が夕食に、お土産には葵祭の色紙を2枚、余ったお菓子(七条甘春堂)は持って帰ることが出来ました。

でも蛍みたかったなぁ…。
鴨肉はおいしかったけど★

偏愛京都

2010年06月10日 23時36分16秒 | 日記
今日も暑い一日でした。
2回生になって2・3限から授業が始まる日が多くて楽だ!と思っていたのですが、
こうも暑くなると、まだ気温が少しでも低い1限からの方が良かったのかもしれない…と思っています(^^;


4限の「京都学基礎講読」では、我が4班が司会担当。
明治初期京都の政治構造について、当時の名望家(≒実業家)と関連させた論文が扱われました。
この時期の京都は東京奠都による衰退から近代化へと歩み始めたことで知られていますが、発表ではその過程をじっくりと例を挙げながら辿っていき、
琵琶湖疏水開発によって鴨東地域(主に岡崎周辺)に名望家たちが移ったことに伴って西陣が廃れる危機にあったことなど、今まで点として得ていた知識が、初めて線になって繋がったような気がしました。

それからの議論は、京都はそもそも首都であったのか、奠都後は一地方に成り下がったのかということに終始し、
遷都と奠都の違いについて(私は後者が好きです)先生の解説が入ったり、「京都は首都としてのアイデンティティを失い、一地方としてのアイデンティティ(=観光産業都市)を見出した」という班の意見についての疑問が上がるなど、個人的には京都人として背中をくすぐられるような内容へと発展していきました。

京都は「都名所図絵」にも見られるように、実は江戸時代のはるか昔から観光都市として売り出していたんですよね。
しかしそれは寺社だけの話であって、例えば西陣織のように人々の生活に根付いたものを「伝統工芸品」として(伝統は、残す必要性が生じた時に伝統と化す)残さなければならなくなった時期がこの明治初期だったのではないでしょうか。
当時の京都の人々からは「京都は日本の中心である」という強大な後ろ盾が無くなって、やれ近代化、やれ前衛都市と様々な外からの影響が流入してくる中で、
名望家たちは、元からある観光だけでなく廃れゆく京都の生活や産業を守ることに意義がある、それが自らのノブレスオブリッジであると考えた。
それが結果として、放っておけば無くなるような伝統産業を守りつつも近代化をバランス良く取り入れ、日々再生・更新していく現代京都を生み出すことに繋がったのだと授業を終えて思いました。

このように、京都は近代から現代へと至る模索・紆余曲折が他の都市よりも長いことが特徴であり、また魅力でもあります。
千年以上もの長きに亘って首都であった場所が奠都により存亡の危機に立たされ、そこから見事再生を遂げた日本で唯一の場所、そんな京都に生まれたことを僕は誇りに思いますし、心の底から愛してやみません。


写真は時代祭にて。
明治時代の混沌としていた京都も見てみたかったな…。

キハ083 完成+α

2010年06月09日 23時47分17秒 | 鉄道模型/単発ものいろいろ
以前、完成「間近」の姿をお伝えした加悦鉄道キハ083ですが、

前面窓ガラスを切り出してはめ込み、ベンチレータを塗装して取り付けて、晴れて完成いたしました♪(^^)
ベンチレータは位置決めに苦労しましたが、何とかきれいに仕上がってホッとしています。


切妻顔。この角度から見るとカッコいいです。
しかし、光を当てると切り継ぎ跡がハッキリ…(-□-;)


セピアで撮影。一昔前の車両とあってそれらしく見えますが、周囲のシーナリーを作りたくなりますね。
実車は床下から排気していたそうです。隣の線路はキハ55。


最後にペーパー製の「ゴールデンエクスプレス・アストル」。久々の登場です。
高さが変だった全車のクーラーを一旦取り外し、長らく放置されていた3両目にベースの白を塗りました。
オレンジのスプレーも既に用意出来ているので、中間車の床下(M車)さえ確保出来れば完成は近そうです。

連日の苦悩

2010年06月08日 23時59分59秒 | 日記
暑い暑い!
今朝の行きは自転車だったのですが、弱い雨がずっと降っていて中途半端に濡れた状態で教室に辿り着きました。
扇子が手から離せません。管理人の星です。←一瞬、本名を書きそうになった(--)


今週に入ってからまだ2日しか経っていませんが、色々と大変です。
その多くはオリター活動に起因するのですが、我々の上の組織である「オリター事務局」と「文学部自治会」の対応の甘さが露呈することが近頃どうも多くなってきている気がします。
実は「サブゼミナール大会」というサブゼミを利用した学術的試み(クラス単位で何かを調べ、大教室で発表する)が月末に企画されていたのですが、それが昨日突然中止の決定。
うちの専攻は研究入門の補完を独自で行っているのでこれには参加しない方向で居ましたが、他の多くの専攻は参加をする予定で準備段階に入ろうとしていて、この突然の中止で困惑しているそうです。
その経緯を昼休みの会議で聞いたところ(ここでは詳しく書きませんが)、自治会ではかなりいい加減な決め方がされていたらしく、とても文学部のオリター全員が納得出来るようなものではありませんでした。オリター事務局の方も、何故4ヶ月も前から計画していたことを昨日になって俎上に乗せたのかもよく分かりません。
ならばオリターが結集して「サブゼミナール大会をやってくれ!」と自治会に声をかけるのはどうか、という意見にも微妙な返答。上層部のほんの数人によって200人のオリターと何百人もの1回生が動かされているというある種の恐ろしさ、現場の声が上に届かない名ばかりの全学自治が垣間見えた瞬間でした。
うちの専攻は独自の考え方でサブゼミを運営しているので今回は難を逃れた形にはなりますが(あまりこういう言い方はしたくないが)、しわ寄せが来るのは現場のオリターと1回生です。この体質は今後改革されなくてはなりません。

2限は「京都学フィールドワーク」。
鷹峯地域についてグループで調査・研究を行うことは先週も書いた通りですが、今日は授業中に図書館へ文献を探しに行きました。(授業の性格上、授業中の動きは各自に委ねられている)
すると、図書館の奥底にある書庫で佛教大学(まさにお膝元ですね!!)によって編纂された論文集が見つかりました!感激!
なんでも、佛大ではあの地域を学問として扱うことを「紫鷹学(紫野・鷹峯)」と呼んでいるらしく、京都学の中に更にピンポイントな学問が存在していたことに驚きました。授業を受けたことのある先生の論文も寄稿されていて、これはなかなか使えそうです。
今回の調査・研究は、あまり知らない地域をフィールドワークするということで不安もあったのですが、その過程で他大学の学びについても触れられることが出来る、より視野を広げることに繋がると少し安心しました。
来週はいよいよ対象地域のフィールドワーク。参考文献を読みこんだ上での調査ですから、いつも以上に何かを得てこなければなりません。


写真は梅小路公園の黒猫。
大学にも黒猫が居るんですが、最近妙に親近感を覚えます(・∀・)

教師論そのもの

2010年06月07日 23時59分59秒 | 日記
このところ、毎週月曜日はブルーマンデーと化しています。
理由は様々、週の初めにしていちばん時間割がしんどい(それでも1・3~5限)、友人にあまり遭遇しない、などなど。
それでもちゃんと授業には出て単位を取らなければならないので、どうにかこうにか頑張ろうとしています、管理人の星です。


今日の5限「教師論」は学級通信についての内容でした。
学級通信と言えば私は高3の卒業式まで受け取っていた覚えがありますが、それらはイベントや提出物の締切を伝える、本来の「通信」としての役割は十分に果たしていたと思います。また、時折クラス全員の感想文が掲載されるなど、「学級」としての要素ももちろんありました。批判的に書いた意見が歪められたこともありましたが。

今回のレジュメにも含まれていた、先生の中学校教師時代の学級通信のコピーは、クラスの枠を超えて保護者とも交流を持とうとしている、より多くの読者に向けて書いているという、それはそれは画期的で素晴らしいものでした。
しかし、クラスの問題に対する保護者の意見を掲載したり、不登校問題についても学級通信で解決を試みるなど、
個人的な意見としては、いまの時代に出来るかどうか微妙な内容もあったことは事実です。

もし自分が教師なら、あそこまで踏み込めるだろうか?
後々まで文章として残る、クラスの全員に配布される紙媒体に、敢えて不登校に対する事柄意見を載せることが出来るだろうか?
人間関係が希薄化している現代においては有効な手段かもしれないが、果たしてそのスタイルは生徒や保護者に受け入れられるだろうか?
そういうことを載せて、不登校やいじめがより加速する要因になりはしないだろうか?
…もちろん当事者には了解を得た上で載せられていたのだと思いますが、どうしてもそれらが疑問に残りました。

今回見た学級通信はほんの一部に過ぎませんから、断片的に見て判断をしているかもしれません。
ひとりの問題を、クラスの生徒だけでなくその保護者にも広く認識をしてもらうことで、解決に繋がることももちろんあると思います。
でも、学級通信をそこまで大きくする必要性や、詩などを用いて感情論に訴えかけることが、今ひとつ分かりませんでした。

ならばどうしたら良いか?
いまの自分には分かりません。
もっともっと、教職の授業を受けて考える中で見つかるのかもしれないし、実際にケースバイケースである現場に入ってから、長い時間をかけてようやく分かることなのかもしれない。


写真は紙屋川。
何か癒しがほしい。街を歩きたい。

キハ083 完成間近 続き

2010年06月06日 23時58分58秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
今日は祖母の家に行って服を買ってもらいました★
好みの柄の半袖と薄手のズボンが見つかって、早速明日から着ていこうと思います。

キハ083は帰ってから作業を進めました。
窓ガラスは側面が貼り終わり、前面はハメコミ窓化しようと思っています。
スノープラウは高さが足りていませんが、塗装すると存在感ありますね!!

キハ083 完成間近

2010年06月05日 22時10分30秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
6月5日、池田屋事件の日。
昨日はクラス合宿で、衣笠セミナーハウスで一夜を過ごしました。
これは大学側から各専攻の各クラスに与えられた1泊の交流合宿(於:衣笠セミナーハウス)で、激戦区の6月4日を勝ち抜いて見事枠を1つゲット出来たわけですが…

例によって(?)フルーツバスケットが修羅場と化し、オリターはそのほとんどが酷い目に遭いました!
私もアナゴさん・驚いた時のマスオさん・似ていない板東英二・観光シーズンの市バス運転手(細かすぎて伝わらない)のモノマネをやったのですが、正直かなりスベったと思います。
その後はオリターと1回生で夜通し語り合ったり、火の無いところに敢えて煙を立てるような、大学生の夜らしい時間が流れていきました。
(オリター男子は途中で全員が寝てしまい、徹夜が出来ずもう若くはないのだということを実感…)
結局8時に解散して(1回生は徹夜でもまだまだ元気そうだった)、あっという間のクラス合宿は無事に終わりました。
いや~楽しかった!夏にもう1回やるという話もあるので、その時も呼んでほしいです。


さて、ここからが今日のメインです。
いい天気だったので、久々に塗装を進めました。

ジャーン!
財政難の国鉄時代、客車にエンジンを取り付けて気動車化するという鉄道史に残るプロジェクトの先陣を切って登場したキハ08(旧キハ40形)。
実車は北海道を中心に少数が製造されるに留まりましたが、はるばる釧路から京都府北部・加悦の地へやって来て、現在も保存されているのがこの1両、加悦鉄道のキハ083です。
ベンチレータ・窓ガラスをまだ取り付けておらず、連結器もTNに交換していないので、とりあえず「完成間近」ということで紹介します。


GMのオハ61キットを2セット使い、付属のパーツを使って片側3箇所の切り継ぎ。
懸念されていた扉部分の塗り分けや切り継ぎ跡もきちんと処理出来ました。まぁ、こうやって遠目に見れば分からないか…(笑


KATOのキハ20一般色と。
加悦鉄道の車両は国鉄型気動車の一般色と違い、本来クリーム色の部分が白色で塗られています。
これが客車改造車独特の屋根の高さと相まって、何処となくヨーロッパ風?


同じく客車改造のキハ33と。少数派かつ保存車同士です。
最近になって、キハ33の色味が違うことに気づきました(--)


暖色系の国鉄型気動車たち。釧路時代も加悦時代もこのような組成はありませんでしたが、模型では色とりどりの編成が楽しめます。

早いこと完成にもっていかないとー!(・∀・)

6月4日を簡単に

2010年06月04日 23時59分59秒 | 日記
2限の「社会科・地理歴史科教育研究」で、まさかまさか!
中規模の教室なのに、当てられてしまいました。
文章を読むだけだったのですが、全くの予想外だったのでちょっと緊張。
更におもしろかったのは、
「じゃあそこの列の後ろから3人!」
と言われて後ろを振り返ると、最後列に1人、そこからポッカリ何列も空いて2人目が自分だったことです。

次の3限「教育相談の研究」では、授業の最後でようやく先生が私語問題に言及。
教職の授業ながらかなりの私語・途中入退室が目立つこの授業ですが(ああいうのが将来の教師なのだろうか)、先生が今まで淡々と授業をされていただけに驚きもありました。
「場合によっては名前と学生番号を聞き出す強行手段に出ます」って、コレよっぽどじゃないですか?
内容は心理学中心でそこそこおもしろいのに、何故でしょう?


以降クラス合宿。
楽しかった詳細は明日の記事で。

漠然としている

2010年06月03日 23時59分59秒 | 日記
京都市営地下鉄烏丸線の北山~国際会館間が延長されて今日で13年になります。
先日、市電のレールが烏丸御池駅で売られていたことに関して、地下鉄に対する市民からの要望がいくつか京都新聞に載っていましたが、
やはり抜本的な改革なくして赤字続きの交通局が生き残ることは難しいと思います。市バスの時刻表に営業係数を示す試みも、直接利用を促すことには繋がっていないと思いますし…。


今日の授業は3限から。
10時に起きて諸々の事を済ませ、正午から余裕をもって家を出て、「何かいいことないかなぁ~」と考えながら(大概いつもそう考えている)、大学へ向かってゆっくりゆっくり太子道の坂を上っていると、前方をディスカバリーが颯爽と通過していきました!
時間的にはピッタリですが、全く考えていなかったのでこれは嬉しいサプライズです。
円町周辺は高架化されていますが、周辺の地形は南北に見るとかなり起伏があって、南にある太子道交差点から高架の高さに近い目線なんですよね。
これはひとえに天神川のお陰です。元は高いところを流れていた川を洪水の無いよう掘削したのですから、それはそれは難工事であったと思います。

4限は「京都学基礎講読」。
先週に引き続き西陣の成立についての論文を読み進めていましたが、先週も今週もピンポイントな地域を指しての説明であったり、織物業と関連させた源流・原型を辿るものであったり、西陣の範囲そのものをハッキリと示した班はありませんでした。
これは質疑応答でも話題になりましたが、文献によって意見が様々に分かれるようで、いちばん広いものでは北大路―西大路―丸太町―烏丸で囲まれた範囲が該当するというものもあり、もーますます分かりにくい!
「千本」とはまた違って、上京区だけでもない、全国的にもネームバリューはありながら、
「ここが西陣!」とは言えるけど、「ここまでが西陣!」とは言えない、なかなかおもしろい地域だと思います。
ひょっとして、永遠の課題なのだろうか…。


写真は丹後由良にて、KTR700形。
西陣織よりは丹後ちりめんが好きです(・∀・)

大学近くの喫茶店

2010年06月02日 23時59分59秒 | 日記
ついにと言うべきか、ようやくと言うべきか。
鳩山首相が辞めました。大変なのはこれからなのかもしれませんが…。
ただ、政権交代以来8ヶ月間、自分なりに色々と考えることの出来た8ヶ月間でもありました。政治のこと政党のこと政策のことetc...
大学ではこういう話をあんまり真剣に出来る人が居ないのが残念です。
いや、探せば居るのですが、平和とタバコの煙だけが漂っているキャンパスも、それはそれでいいのかもしれない…なぁ。


水曜日は今週もオフでした。
オフと分かっていれば夜更かしをするのが悪いところで、ついつい明け方まで起きてしまったり、この2ヶ月間だけでなかなかよろしくない生活習慣を築き上げています。
後期からはちゃんと週5日通うことになるので(しかもコマも増える)、その時には無理やり元に戻さなければなりません。
食生活はきちんと出来ているのですが…。

お茶のお稽古に行った後は、ふらっとバスに乗って進々堂へ。
京大の向かい側にあるところで、昨日の京都新聞に載っていたので行ってみることにしました。
なんでも今年で80周年を迎えるらしく、タイル張りのモダンな外観に、店内には味わい深い木の長椅子と長机が並べられ、互いに議論を交し合う京大生たちがちらほらと…。
存在自体は前から知っていましたが、実際に訪れてみて「ここだ!」と思いました。これぞ京都の学生向けの喫茶店です。
サンドイッチを食べながら、しばし80年の歴史を肌で実感しました。そういえば森見登美彦さんの「夜は短し歩けよ乙女」のラストシーンがこの進々堂です。

その後は全く予定に無かったものの、足が向いたので吉田神社へ。
いつものように境内を通り過ぎて山に登って、大文字の見える広場まで。
日も延びたので十分楽しむことが出来ました。この時期はまだ虫も少ないので歩きやすかったですね。
つくづく小説のような生活です。これはこれでおもしろい。


写真は吉田山にて、木々の間から見えた夕陽。

やりがい

2010年06月01日 23時59分59秒 | 日記
6月になりました。
いつもお昼は学食で白ごはんS・鯖のみそ煮orしょうが煮・天ぷら・ほうれんそう・デザート(今日はわらびもち)を食べているのですが(だいたい500円台)、今日は徳川家康の命日ということで天ぷらは食べませんでした。
因みに徳川将軍の中で好きなのは14代の家茂です。そして彼の公武合体を推した松平春嶽は明日で没後120年を迎えます。


今日の2限は「京都学フィールドワーク」。
提出orプレゼンの日程が発表されたので、そこに向けての段取りや対象地域の調査・研究方法について、グループで更に進めました。
うちのグループでは主に鷹峯地域の特性について取り扱うのですが、資料を少し読んだだけでも疑問点が色々と出てきて、早速おもしろくなってきています。
そうそう、鷹峯と言えば光悦寺、光悦寺と言えば本阿弥光悦ですが、鷹峯って元々は徳川家康が本阿弥光悦に譲った土地なんですよね。
繰り返しますが、今日はその家康の命日。歴史というものは色んなところでリンクします。

4限はサブゼミ。
今日はオリター主導ということで、研究入門の補完を行いました。
「補完」と言うと大げさかもしれませんが、今後は隔週でオリターが昨年の研究入門での授業経験を順番に伝えていくという計画です。
そしてその第1号はこの自分!実は昨夜、3時間ほどかけてレジュメを作っていました。
前期~夏季休暇中~後期と何をどういうキッカケ・理由で調べてどう思ったかを順に書き出していったのですが、こういう時にこのブログがすごく役に立ちました。
文章はあまり堅くならず、特に前置きは完全に普段のブログのノリで書きましたが、レジュメの体裁はちゃんとしたつもりなので(笑)、そこは参考になるかと…。
拙い発表内容でしたが、1回生には「京都学は漠然としているものだが、身近な例が聞けて良かった」との声をいただきました(^^)
今後ともサブゼミ改革に力を合わせて取り組んでいきます。


写真は由良川橋梁にて、西舞鶴行きの普通列車。
(見えにくいですが)飛びゆく海鳥、遠くには船、河口らしい写真が撮れたかなと思います。