西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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第10回「女性作家を読む」研究会

2009年11月21日 | 女性文学・女性
第十回「女性作家を読む」研究会の報告

日時  2009年10月3日(土)午後1時30分より4時半
場所  日仏会館(東京・恵比寿)・511号室

発表 

*13:30ー15h00  吉川桂英子
「プルーストとコレットにおける猫をめぐって―新たなジェンダーの捉え方―」 

*15h10-16h30  西尾治子
「パリテのその後ー共和国モデルとジェンダー理論の実践」

*発表の報告
 吉川の「プルーストとコレット―猫をめぐって―」は、一見して何ら共通するものがあるとは思われないプルーストとコレットという二人の作家における相似性に関し、動物という仲介者に着目して論じるという画期的な発表であった。プルーストは動物嫌いとされていたが、吉川は、プルーストが猫好きのコレットの作品『動物の対話』を読んでから猫に関心を抱き、晩年には猫を飼いたいと強く願うようにまでになったという新事実を、雑誌N.R.F.に掲載された文芸批評家ポール・レオトーの文章との関連、あるいはプルーストがガリマールの出版部総務部長であるジャン・ギュスターヴ・トロンシュと交わした書簡から掘り起こし、この事実を説得力をもって論証した。次いで、二人の作家の作品と生涯を丁寧に分析することにより、「植物系にエロスを見いだす作家プルースト」と「動物系にエロスを感得する女性作家コレット」像の対比を極めて効果的に浮き彫りにした。プルーストとコレットは、二人とも異性愛という当時自明のものとされていた既成の恋愛を超越している作家であったが、プルーストが「猫というファクターを通してコレットと共有したもの」とは、まさに「既存のロゴスの超越」であり、何よりもお互いに「感性の自由」を生きる作家であることの再認識であったのである。ややもすると作家や作品の客観的な分析に収斂しがちな発表が多い中で、パリ第三大学で博士号を取得された吉川の発表は、説得力ある論証に基づいているのみならず、作家が描くエロスの世界に深く入り込んでおり、馥郁とした文学的な香りの高い発表であった。質疑応答では、参加者の間でコレットや二十世紀の女性文学におけるエロスの問題を中心に闊達な議論が交わされた。

 「女性作家を読む研究会」では、毎回、女性作家を中心テーマとする研究発表と平行し、ジェンダー理論あるいは女性文学批評に関する発表も可能な限り続けることを方針としてきたが、今回はパリテ理論が取り上げられた。パリテ法(立候補者名簿に男女同数の候補者名を記載することを義務とする、違反した場合には罰則付きの法律)が議会に提案されてから今年で9年が過ぎ、来年は発布後10年を迎える節目に当たる。西尾は「パリテのその後ー共和国モデルとジェンダー理論の実践」において、これまでに、糠塚、辻村、井上、堀、石田、宮島等によりなされてきたパリテ研究を振り返り、パリテ法とは何であったのかを問い、共和国モデルとパリテとの相関性、またジェンダー理論との関係について再検討を試みた。とくにクォータ制とパリテの相違に関し、CalvesあるいはKriegel等の理論を参照しつつ、この二つの概念は、上位、下位層といったカテゴリーに分類されうるものではなく、Perrotが女性排除の歴史という観点から指摘しているように、パリテはフランスの歴史的、文化的風土から必然的に生まれてきたものであり、共和国憲法の普遍的平等原則の理念と深く関わるフランス独自の概念であることを明らかにした。当初はパリテ精神(社会のあらゆる分野において女性であるがゆえに不利を蒙らせているヴェールを剥がすこと)が完全に行き渡るには60年かかると予測していたパリテ監視委員会が、最近になって70年かかると修正したことも発表で紹介されたが、質疑応答では、日本にパリテ法を誕生させることは可能かといった問題を中心に様々な意見交換が行われた。 

                                                (文責・西尾治子)




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