西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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ショパンの手紙・19世紀に女性が教会で歌うこと/ Keiichiro HIRANO "Le Requiem"

2017年04月17日 | サンド・ビオグラフィ




1839年5月、ショパンからポーランド人の友人Albert Grzymal伯爵へ
マヨルカ島からの船旅で疲労したが、マルセイユから明日サンドの生地へと出立する、君とのノアンでの再会を楽しみにしているという手紙です。

Frédéric Chopin à Albert Grzymala, à Paris M X9i
Marseille, le 21 mai 1839.

Mon Chéri,

Nous partons demain pour Nohan[t]— un peu fatigués — La mer nous a éprouvés au retour de Gênes où nous avons passé quelques semaines tout tranquillement. Court repos à Marseille mais à Nohan[t] il sera plus long et nous t'attendrons là-bas avec impatience — moi j'en rêve — tu viendras, n'est-ce pas? Ne fût-ce que pour 24 heures. Tu as certainement déjà oublié ta maladie. Mets, je t'en prie, la lettre pour les miens à la poste. Baise les mains à qui de droit et écris nous un petit mot à Nohan[t].

Ton
F. F. C.


4月15日は、日仏女性研究学会の年次総会でした。事前に手渡された資料に齟齬があったりしたものの無事に総会の議長役を果たすことができて一安心というところです。

総会後に懇親会パーティが開かれましたが、その会の参加者全員の皆さんの前でのことでした。フランス人と結婚されているというお若い新運営委員の方が「フランス各地を旅して気がついたことだけれど、女性で銅像が建っているのはジャンヌ・ダルクとジョルジュ・サンドだけだと気づいた」というお話をして下さって、とてもうれしく光栄な気持ちになりました(F.Yoko さま、貴重なご指摘をありがとうございました!)。

総会に参加されたメンバーの中には、オランダでオペラを上演発表されたり、パレスチナとイラクへの旅行から帰ったばかりという方、女性医療、女性詩人、映画関連の研究に携わっておられる方々等、興味深い経験談や研究に関する有意義なお話を伺うことができました。このほか、もちろん、ジェンダー研究、女性学研究、男性学研究など専門分野の最先端を担う研究者も多数おられ、最近の日仏女性研究学会は、年齢、性別を問わず(とくに最近は若いメンバーが増加中)賢く元気いっぱいのたくましくも麗しき女性たちがラインナップしています!

懇親会の延長線上でさらに、女性の表象の問題に話題が集中し、日仏文化比較とジェンダーといったテーマに議論が及びました。
その中で、サンドとショパンに纏わる事件を思い出し(平野啓一郎著『葬送』に詳細が記されている)次のような出来事について言及したところ、皆さん興味深げに耳を傾けて下さっていたようでうれしく思いました。

サンドと9年間の日々をともにしたショパンがこの世を去りマドレーヌ寺院で葬儀おこなわれた。
この葬儀の式典では女性オペラ歌手がモーツアルトのレクイエムのパーツを歌うことになっていた。
そのうちの一人はショパンが高く評価していた、サンドの生涯の友人ポリーヌ・ヴィアルドであった。
ところが、パリの大司教がこれに大反対し異議を唱えた。理由はといえば、女性は穢れた存在であるから教会で歌うことは禁止されているというものであった。
ショパンの音楽が大好きであった副司教が大司教に懸命の説得を続け、レクイエムの演奏がようやく許可されることになったが、何と女性歌手はカーテンの陰に隠れて歌うという条件付きだった。
こうして女性歌手は、山のように集まった人々の前に姿を現すことなく「レクイエム」は演奏された。
しかし、この一連の騒動のため予定されていた葬儀日程は大幅に遅れることになり、実際に葬儀が取りおこなわれたのは、ショパンが亡くなってからすでに二週間も過ぎた10月30日のことであった。

このことは、先述したように、平野啓一郎著の『葬送』全4巻の中に詳細に描かれています。著者によれば、『葬送』は原稿用紙で2500枚とのこと。文字数では100万字になるでしょうか。内容が芸術論や哲学的なテーマに及んでいるため最後まで読み切るには相当な気力と時間が必要でした。物語が扱っているのは、ショパンがサンドと出会い、別れ、亡くなるまでの4年足らずの短い期間にすぎませんが、書斎の壁の四方一面にカレンダーを張り、そこに主要登場人物三人に関わるあらゆる出来事や歴史的事象を詳細に記入し、平野啓一郎はこのカレンダーに囲まれた部屋にこもって3年半をかけて執筆したそうです、
したがって、フィクションでありながら、そこにはドラクロワ、ショパン、サンドが生きた19世紀の絵画のロマン主義の時代が忠実に描かれています。ここまで詳細にと驚くような描写にしばしば遭遇しましたが、フランス語の読解力が相当あると思われる著者は、ドラクロワの『日記』とおそらくサンドの『書簡集』全26巻の一部を原文で読み、大いに参考にしたのではないかと推察されます。最後は最愛の友ショパンを失ったドラクロワの深い悲嘆と芸術に命を賭けて生きてゆこうとする画家の玄趣に充ちた天爵の描写で終わっています。百万字の全巻を読み終えた時、なぜかぼろぼろを涙を流している自分に気づき、書物を読んで泣いたことなど何時以来のことだったかと我ながら驚き慌てふためいてしまったものでしたが、そんな深い読書体験をさせてくれた芥川賞作家・平野啓一郎には、僭越ながら「脱帽!」し尊敬以外の何ものも感じ得ないのでありました。

ところで、サンドの作品『コンスエロ ルードルシュタット伯爵夫人』にも、女性は教会で歌ってはならぬという場面が登場します。この小説の舞台は18世紀ですが、オペラ歌手コンスエロが少年ハイドンとの旅の途上、男子に変装しある教会で歌っていたところ、その変装が見破られてしまい「女が教会で歌ってはならぬことを知らないのか!」と司祭に酷く罵倒され、二人は這々の体でその場を逃げ出すのです。
このように、古い文献や歴史を紐解いてみると、女性と宗教や法律をめぐる様々な軋轢や不条理が散見されます。そして、それが必ずしもその時代に限定されたものではなく、「歴史は繰り返される」という金言通り、現代でも形は違えど似たようなことが起こっているように思えてならないのです。

以下は、この事件に関する拙稿の一部です。
Extrait de mon article récemment rédigé:
(...) nous ne pouvons ignorer la question du genre qui apparaît dans le dernier tome du roman.
En premier lieu, il s’agit des funérailles de Chopin; il a été décidé qu’elles se tiendraient à l’Église de la Madeleine et que sa soeur conduirait le deuil. Mais un problème qui dépasse l’imagination des artistes a surgi : deux cantatrices, y compris Pauline Viardot, devaient chanter les airs du Requiem de Mozart. Cependant, l’archevêque de Paris a désapprouvé ce programme qu’il trouvait mauvais et a été obstiné dans son refus total : selon lui, les femmes n’ont pas le droit de chanter dans une église parce qu’elles souillent un endroit saint. Rappelons-nous une scène de Consuelo la Comtesse de Rudolstadt dans laquelle un prêtre a couvert d’injures et mis à la porte Consuelo qui chantait dans une église, déguisée en garçon au cours de son voyage avec le jeune Haydn. Grâce aux efforts inlassables de l’évêque-ajoint qui admirait Chopin, l’archevêque a fini par consentir aux chants des femmes, à condition que les cantatrices chantent en se cachant derrière le rideau. Les funérailles ont eu lieu le 30 octobre : au grand regret des amis de Chopin, à cause de ces ennuis, 15 jours s’étaient déjà écoulés depuis le décès du musicien.


csophie@copyright.2017.

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