サンドとフロベールにおける数少ない共通項の一つであるプラトンの思想についての覚え書きです。
プラトンはスケールの大きな抱擁力のある人といえる。強靱な鉄の意志にも恵まれていたであろう。
ねばり強い探求力がつねに求めて止まないプラトンを支えている。
観念の発見は、知識の対象への洞察力によるだけではない。かれが真理の旅人となりえたのは、そのことにもよる。
『プラトン』中野幸次著、清水書院、1995(25刷)p123
イデアリスムスとマテリアリスムスは、ギリシャ哲学の二大潮流となって近代に流れ込んだのである。
イデアリスムスは、プラトニズムの名のもとに、中世千年の歴史の根底となった。
それはキリスト教の教義と まったく反するものではなかったからである。しかし、マテリアリスムスは、中世千年の歴史を、
眠るがごとくいきつづけて、近代の覚醒に警鐘を鳴らすことになるのである。イデアはプラトンのよってたつ根底であった。
・・・かれはついに、ニヒリストになれない哲学者であった。したがって、すべての点において、きらめく星座を愛しうる人間であった。
かれは、そこに、現実のポリスを、ポリティア(理想国)を仕上げる情熱を忘れることはできない。・・・プラトンの理想国は挫折に終わった。
しかし、その国家論は不滅であろう。
同書、p128
教育は「転向の術」なのである。だからもし魂のうちに知識がないなら、まるで盲の目に視覚を入れてやるように、自分たちがそれを入れてやるというようなものではない。
教育とはどうすれば、容易にかつ有効に、その器官が向きを変えさせうるかについての転向の術であろう。
つまり、見ることをつくりこむのではなくて、むしろ、それをもってはいるが、正しい方向に向けられてもいず、見るべきところを見ていないものとして、そうするように手段をつくしてやる術であろう。
同書、pp.135-136
人間の類は三つある。
その第一は愛知的なものである。
第二は愛勝的なものである。
第三は愛利的なものである。
愛知的な快楽は、人間が学ぶのに用いる。
愛勝的なものは、怒るのに用いる。
愛利的なものは極めて種類が多い。すなわち、食物、飲み物、性などの欲望の満足としての快楽である。
この欲望は、金銭によってもっとも多く満たされる。お金は利益の追求によって得られるから、それにやっきとなる人は愛利的な人である。
ただ、名誉や栄誉にひきずられる人は、愛勝的な人である。
オリンピアの競技場にくる人間にも、三つの種類がある。
その第一はものを売って利益を追求するクラスである。
その第二は競技者で、栄誉を追求するクラスである。
その第三は、ただ見ることを愛好するクラスである。この第三のクラスが愛知的な人間である。
このクラスは真実がどうであるかを知る快楽を大切にする。学びながら、真実を知る活動にしたがうことが快楽なのである。
利益を求めるクラスや名誉を求めるクラスとこの愛知的なクラスとを比べてみると相当な開きがある。
愛知的なクラスは、愛知以外の快楽は、その必要さえなければ、どれ一つ要求しない。だから本当に必要やむを得ない場合にのみ求むべきだと心得ている。
同書 p140