サンドはおよそ2万通もの膨大な量の書簡を残したことが知られていますが、それだけに手紙を取り交わした相手も多く多彩です。
ヘンリー・ハリスという不思議な人物にサンドが初めて花の贈り物のお礼状をパリから書き送ったのは、1866年12月11日のことでした。どのような人物だったのでしょうか。書簡集を編纂したジョルジュ・リュバン氏が調べ注釈をつけておられましたので、次に紹介いたします。
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ヘンリー・ハリス
1829年5月28日パリ生まれ。父親は、もとを辿るとおそらくロシアかプラハ出身と思われる毛皮商のイスラエル人アブラハム・ハリス。母はパリジェンヌのナニンヌ・マルキュス。
ヘンリーの幼少時代については、ある種の謎が漂っている。アメリカの南カロライン大学で学業を修め、1853年に北カロライナ大学、それにワシントンやジョージタウンで教鞭をとっていた。その後、法律を勉強し、1857年に弁護士としてシカゴに、1860年頃にニューヨークに居を構えている。
1865年、Samuel Barlowと"Notes on Columbus" を出版。また単独で、1492年~1551年のアメリカに関する歴史文献を調べ、Bibliotheca Americana Vetustissima を刊行。その筋の専門家から大きな評価を受けた。
その後、アメリカ人弁護士としてフランスに渡り、パリの27, rue de l'Ardcade や 33, rue 3 Cambacérés に移り住んだ。
ルナン、サント・ブーヴ、テーヌ、フロベール、サンド等と親交を深め、文学界に顔を広めている。
マチルド皇太后の謁見も許可され、著名人と交流していた。
虚栄心が強く、自信過剰で imbu de soi-même、自惚れ outrecuidantのところがあり、あまり感じのいい人間ではなく、人に咎められることもあったようである。
彼のジョルジュ・サンドとの書簡は重要である。
ノアンを訪れたこともあり、1904年に著された「ジョルジュ・サンドの最後の時と葬儀」の記述は、彼に負っている。
(商業ベースには乗っていない)。
書簡集第20巻 p878 ジョルジュ・リュバンの注より