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西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

幕末の日本・・・西洋語・文化の受容

2010年06月20日 | その他 autres


*:*:* 2010年度7月の談話会の御案内 *:*:*

「幕末の日本開国前後における西洋語・文化の受容とその影響」
パネリスト:
市川慎一氏「日本人のフランス語との最初の出会い
-長崎通詞本木正栄らの忘れられた偉業-」
大橋敦夫氏「洋学資料が語る日本語の歴史」
岡田和子氏「江戸時代の日本人はどのような和蘭語を学んだか」
司会:塩田明子

日時:7月17日(土)15:00-18:00
場所:慶應義塾大学三田キャンパス大学院校舎(マップ【8】)4階 342教室
http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html

日本フランス語学会員でない方の参加も自由です。
たくさんの皆さまのお越しをお待ちしております。

*学会ホームページ
http://www.sjlf.org/
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高樹 のぶ子 インタビュー

2010年06月17日 | その他 autres
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3640

高樹 のぶ子
1946年生まれ。1984年『光抱く友よ』で芥川賞、95年『水脈』で女流文学賞、99年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞を受賞。現在、芥川賞をはじめ数々の文学賞の選考委員を務める。2005年より九州大学アジア総合政策センター特任教授。(写真:前田せいめい)

説家の高樹のぶ子さんが著した『ショパン 奇蹟の一瞬』(PHP研究所)はなんとも贅沢な本である。

 高樹さんはスペインのマヨルカ島、フランスのパリ、ノアンなど、ショパンのゆかりの地へ飛び、数々の名曲が誕生した瞬間を小説の形で描写した。


『ショパン 奇蹟の一瞬』(高樹のぶ子著、PHP研究所、1300円、税別)
 それ以外に、本書にはカラー写真付きの紀行文、ショパンの周囲にいた人々の解説も加わり、さらには当代一流のピアニストが演奏したショパン名曲集のCDも付いている。さながらショパンへの究極の愛情表現みたいな本なのだ。

 実は、本書の主人公はショパンだけではない。ショパンに匹敵する、いやそれ以上の強烈な存在感を放つ人物がもう1人登場する。その名はジョルジュ・サンド。フランスの女流作家で、約10年にわたってショパンの恋人だった人物だ。

 高樹さんは、ショパンとサンドの関係を、男と女の最も安定した形の1つだと言う。「現代にも通じる」という男女の理想的な関係。それは一体どのようなものなのだろうか。

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サンドの命日・6月8日

2010年06月08日 | その他 autres
今日は、ジョルジュ・サンド (George Sand)の命日です。
謹んで冥福をお祈りしたいと思います。
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ランベール館事件の終焉??

2010年05月29日 | その他 autres
昨年9月1日にこのブログでも紹介したランベール邸事件は、ついに幸せな決着をみたというニュースがあったのですが、現在はそのサイトが削除されてしまっています。結果はどうなったのか、気にかかるところです。

http://blog.dalloz.fr/blogdalloz/2010/02/heureux-épilogue-pour-laffaire-de-lhôtel-lambert-les-voies-de-lamiable.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+BlogDalloz+(blog+Dalloz)

つぎのようなブログもあったのですが。。。

http://lambert.over-blog.org/article-27425160.html


*9月1日のブログより(http://blog.goo.ne.jp/csophie2005/e/ffbbf015d28a77e8508c42e5bdb85b6e)
ポーランドは、サン・ルイ島の館 l'Hôtel Lambertの改修計画問題で頭を悩ませているようです。
サン・ルイ島といえば、当時は、サンド、ショパン、ドラクロワやミッキエヴィッチとすれ違うこともあった、セーヌ河に一隅を占める文化の香り高い島。

19世紀中頃、ロシアの圧政を逃れるため自国ポーランドから亡命して島に移り住んでいたAdam Czartoryski王子は、この館にサロンを開き、自分と同じ運命の亡命者たちを歓待していました。かくして、サン・ルイ島は、ポーランドの亡命者にとって極めて重要な場所となり、また、長い間、文化の中心地となっていたのでした。その後、この館は売りに出されましたが、このニュースをショパンに教えたのは、ドラクロワだったようです。

今から二年前の2007年、カタール王国のマホメットの子孫がこの館を買い取ったまではよかったのですが、彼は17世紀の歴史的記念物であるこの館を極めて現代風に改修しようと計画しました。そこで、パリ歴史保存協会は、フランス文化省に、この改修計画を中止するようにと申し入れをおこなっています。近々、ホテルの改修についての最終的な判断が下されるそうです。

La Pologne intervient sur l'Hôtel Lambert, haut lieu de son histoire
28.08.09 | 13h30
http://www.lemonde.fr/web/depeches/0,14-0,39-40202167@7-54,0.html より

La Pologne est préoccupée par les projets de restauration de l'Hôtel Lambert à Paris, un haut lieu de son histoire politique et culturelle au XIXe siècle, a-t-on appris vendredi auprès de l'ambasade de Pologne à Paris.
"J'ai adressé une lettre au ministre français de la Culture (Frédéric Mitterrand) pour exprimer notre préoccupation face aux informations concernant les projets de restauration de l'Hôtel Lambert", a déclaré à l'AFP l'ambassadeur Tomasz Orlowski, joint par téléphone depuis Varsovie.
"J'ai demandé au ministre s'il était exact que la restauration allait rétablir l'état initial du bâtiment datant du XVIIe siècle, au détriment des traces ultérieures de l'épisode polonais de son histoire", a précisé l'ambassadeur.
Selon M. Orlowski, la Pologne n'a toutefois pas de titre officiel pour intervenir dans le différend, qui oppose les partisans et les adversaires du projet de reconstruction de l'Hôtel Lambert, celui-ci restant une propriété privée.
"Je tiens seulement à sensibiliser l'opinion à cet aspect polonais" de l'histoire du prestigieux bâtiment qui avait appartenu de 1843 à 1975 à la famille princière polonaise des Czartoryski.
Pendant de longues années, au milieu du XIXe siècle, le prince Adam Czartoryski y accueillait dans ses salons les très nombreux exilés polonais qui, comme lui, ont dû quitter leur pays fuyant la répression russe après l'échec d'une insurrection polonaise de 1831.
Situé dans l'île Saint-Louis, l'hôtel Lambert devint ainsi un important centre de la vie politique polonaise en exil, mais aussi le lieu de grandes fêtes et un centre culturel où l'on pouvait croiser Frédéric Chopin, George Sand, Adam Mickiewicz ou Eugène Delacroix.
"C'est d'ailleurs Eugène Delacroix qui avait indiqué à Frédéric Chopin que l'Hôtel Lambert était mis en vente. Cette information, que le compositeur polonais a transmis au prince Czartoryski, a permis à ce dernier de saisir l'occasion", a rappelé M. Orlowski.
Oeuvre de jeunesse de l'architecte Louis Le Vau, cet hôtel particulier du XVIIe, classé monument historique dans sa totalité, a été racheté en 2007 par le frère de l'émir du Qatar qui entend le restaurer et y installer des éléments de confort moderne.
L'association Paris Historique cherche à obtenir la suspension de la décision du 11 juin du ministère de la Culture d'autoriser les travaux.
Saisi de l'affaire, le tribunal administratif de Paris a donné aux parties jusqu'au 31 août pour compléter leurs arguments. La juge des référés doit alors soit rendre sa décision, soit convoquer une nouvelle audience le 2 septembre.

画像はランベール館です。

天候異変で風邪が流行っているようです。お気をつけくださいますよう。
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日本フランス語学会シンポジウム

2010年05月23日 | その他 autres
http://www.sjlf.org/

日本フランス語学会シンポジウム「フランス語学と意味の他者」

日時: 2010年5月29日(土) 10:00-12:30
会場: 早稲田大学 (早稲田キャンパス) 1号館4階 401教室
申し込み: 不要 (直接会場にお越しください。)
参加費: 無料

※ 日本フランス語学会の会員でない方の参加も自由で す。

パネリスト (演題は下記プログラムをご覧ください):
野矢 茂樹 (東京大学) 哲学
西村 義樹 (東京大学) 認知言語学
渡邊 淳也 (筑波大学) フランス語学

コメンテーター:
守田 貴弘 (東京大学グローバルCOE特任研究員) 対照言語学

企画・司会:
酒井 智宏 (慶應義塾大学非常勤) 言語学

趣旨:
[...] なんの変テツもない仲間内に引きこもっちゃ、だめだ。変なものに、変な
ことに、変なひとに、出会う。そのときにこそ、それを「変だ」と感じる自分自
身とはじめて出会える。
そこに、考えるという場が開かれる。[1]

 フランス語学と野矢茂樹。フランス語学と西村義樹。企画した人間が言うのも
気が引けるが、なにやらお刺身の上にあんこやチョコレートを載せたようであ
る。現在のフランス語学はこの二人の変な他者を理解するための論理空間を持ち
合わせていない。「そんなものは食べられない」と醒めた態度を取る人もいるか
もしれない。しかし私には、この二人の変な他者は「私に意味を与えてみよ」
[2]という「謎として、挑戦として、そして誘惑として」[3]我々の前に現れてい
るように見える。それを「刺身の上のあんこやチョコレート」といった、既知の
ものの組み合わせで理解しようとする態度自体が間違っている。「意味の他者を
理解するとは、自分自身が、その論理空間が、変容すること」[4]なのである。
 フランス語学の論理空間の変容に「内側から」立ち会うのは渡邊淳也さんであ
る。野矢茂樹、西村義樹、渡邊淳也の三氏を結びつけるものは何だろうか。それ
は冠詞論でもなければ時制論でもない。取り組むべき問いの同一性はそこにはな
い。三氏を結びつけるのはまさに「意味の他者」に対する態度であり、新たな問
いを問おうとする態度である。それぞれの意味の他者を前にして、新たな問いを
問い、答えを求めて日々格闘する。そしてその格闘を本気で面白いと感じる。そ
の態度を共有しているのである。私にはその態度こそが「幸福に生きよ!」[5]の
実践として映る。格闘している本人が本気で面白いと思っている格闘がどれほど
魅力的であり、どれほど人を幸福にするか。それを肌で感じ取ってもらいたい。
「揺さぶられて、考えるようになる」[6]喜びを味わってもらいたい。
 外からの揺さぶりに、フランス語学はどう答えるのか。あるいは答えられない
のか。「そんなものはフランス語学ではない」と言って思考停止に陥るのではな
く、揺さぶられながら考える喜びを共有する聴衆が一人でも二人でも、できれば
たくさん現れれば、このシンポジウムは成功である。

プログラム
※ 外からの声に揺さぶられてまったくこの通りには進まないかもしれません。
あらかじめご了承ください。
※ フロアとの討論はこのプログラムと並行して行われます。
10:00-10:10 趣旨説明 (酒井 智宏)
10:10-10:40 外からの声1 「メタファーによる世界の制作」 (野矢 茂樹)
10:40-10:55 外からの声1に答える 「フランス語の語彙意味論とメタファー・メトニミー(1)」 (渡邊 淳也)
10:55-11:25 外からの声2-野矢vs. 渡邊へのコメントを兼ねて 「文法と比喩」 (西村 義樹)
11:30-11:45 外からの声2に答える 「フランス語の語彙意味論とメタファー・メトニミー(2)」 (渡邊 淳也)
11:45-12:00 外からの声1’-西村 vs. 渡邊へのコメント (野矢 茂樹)
12:00-12:30 コメント-意味の他者に揺さぶられた後で (守田 貴弘)


1 野矢茂樹 (2004)『はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案
内』 PHP文庫、pp.206-208.
2 野矢茂樹 (2005)『他者の声・実在の声』産業図書、p.104.
3 同.
4 同書p.106.
5 Wittgenstein, Ludwig. (1961) Notebooks 1914-1916, Basil Blackwell, 奥
雅博(訳)「草稿1914-1916」『ウィトゲンシュタイン全集1』大修館書店、1916年
7月8日.
6 野矢茂樹 (2004)『はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案
内』PHP文庫、p.206.
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女子大生の皆さんへ

2010年05月15日 | その他 autres
「フランス文学への誘いージョルジュ・サンド」
の授業を取っている女子大生の皆さんへ

レポートの締め切りは今月末とお伝えしましたが、今月の最終授業日に持参し提出してください。
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Prix George Sand

2010年04月22日 | その他 autres
http://www.monuments-nationaux.fr/fr/actualites/a-la-une/bdd/actu/406/prix-george-sand-du-carnet-de-voyage-reel-ou-imaginaire-2010//


Prix George Sand du Carnet de voyage réel ou imaginaire 2010

Concours sur le thème du carnet de voyage présidé par Noëlle Chatelet, écrivain.
Date limite de remise des carnets le 10 septembre
Avec le soutien de la région Centre
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Sandの発音のしかた

2010年04月07日 | その他 autres
Sand の最後の子音<d>は、フランス語の文法規範からいえば発音してはいけないことになる。
そのせいか、フランス人から George Sand のSandの発音は、<サンド>ではなくて<サン>ではないかと質問されることがありますが、サンド書簡集全26巻を刊行したジョルジュ・リューバンGeorges Lubin は、サンドの筆名は当時サンドの恋人であったJules Sandeauの名前から取ったものであるから、<d>は発音しなくてはいけないと述べています。
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サンドと新年

2010年01月02日 | その他 autres
サンドはお正月をどのように過ごしていたのでしょうか。

1851年の元旦には、サンドはノアンで少なくとも三通の手紙を書いています。その中の息子モーリスに宛てた手紙には、大晦日の夜を皆でお互いに embrasser して終え、それからお年玉を交換し合った楽しそうな様子が描かれています。モーリスからのプレゼントは美しいベルトの飾り物のようなものだったらしく、サンドはこの贈り物をとても喜び、手紙の最後は、 Mille et mille embrassades encore et toujours. と結び、沢山の接吻を最愛の息子に送っています。

私生活では、マンソー(Alexandre Manceau ) との充足した愛の暮らしがある一方で、有名な女性作家の財産を狙う計算高い娘夫婦、特に娘ソランジュの夫クレザンジェのせいで、両者の関係はますます悪化してゆきます。サンドは、クレザンジェに誘われ、パリの妹夫婦の家を訪問し御馳走になった息子モーリスに、彼らとは親しくしないようにと書簡の中で助言しています。

1851年はフランスで7月に皆既日食が見られた年で、その年の暮れ12月2日には、ルイ・ナポレオンがクーデターを起こし、普通選挙制度が制定された年でもありました。

画像は、フランスのジョルジュ・サンド学会・前会長Anne Chevreau氏の著書、"Alexandre Manceau Le dernier amour de George Sand" です。

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エレクトリックカー(電気自動車)

2008年09月02日 | その他 autres
猛烈な酷暑の夏でした。
セミの鳴き声が過ぎ去りゆく夏の名残りを惜しむかのように、今朝も激しく鳴いています。

chttp://www.larep.com/temps_forts-6551.html より
この夏、サンドお馴染みの「黒い谷間」地方を訪れる観光客のために、アンドル地方の三つの観光協会が電気自動車の貸し出しをおこなったそうです。制限速度は時速50キロ。快適のようです。ガルジレスに行くのには、相当な時間がかかりそうですが。フランスではニッサンもルノーも、電気自動車の開発に凌ぎを削っているとのこと。一人暮らしのお年寄りが孤独死をした事件から生まれたアイディアだという隣近所の人達が食べ物を持って集う「お隣さんパーティLa fete des voisins」やパリの貸し自転車 にしてもそうですが、電気自動車貸し出しというのは、フランスらしい独創的なアイディアですね。

En Berry, tourisme pur et branche en voitures electriques
Publie le 31 aout 2008 - 00:50


Cet ete, trois offices de tourisme de l'Indre ont prete pour la journee une voiture electrique a des vacanciers, pour leur trajet vers des sites patrimoniaux. Une bonne idee de tourisme durable, mais qui reste peu connue.

Le renovateur et proprietaire du chateau de Sarzay, dans l'Indre, Richard Hurbain (a gauche), en conversation avec les visiteurs 'motorises electriques' de la famille Moreau.
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