極端に右に揺れた振子(ふりこ)は、かならず左に揺れもどるであろう。平安朝に無比なる女性文化を作ってみせた日本は、その後、約700年間、徹底的に男性的な時代、つまり武士の時代に入ることになる。それは、まことに男性度の高い文化であったことは、切腹(せっぷく)の習慣一つからも知られよう。 . . . 本文を読む
官僚は通達という絶対命令を各方面へ自由に発する。これはもちろん法ではないから罰則を伴わない。しかし万が一にも違反すれば省庁を挙げての圧力を受けて悶死せねばならぬ。また官僚は行政指導者なる強権を発動する。これまた法ではないが従わなければ破滅である。そして官僚は文書として銘記を避けた談話形式を活用し、…… . . . 本文を読む
実務能力は、実にいろいろな分野で活用される。実務能力とは、物事を敏速に処理する機敏性と、日常の実際的な仕事を上手に解決する能力のことである。その能力が求められるのは家庭管理や事業の経営、商売や貿易、あるいは国の政治であってもみな同じである。さまざまな分野で生じる問題をすみやかに処理するための訓練は、実際の生活でこそ何よりも役立つのである。さらにそれは、人格を高めるためにも最高の訓練となる。 . . . 本文を読む
人間は、何か新しいものに遭遇したくらいでくずれたり倒れたりはしない。事実、判で押したような単調な日課を少しでも減らすと、心理的な挫折が避けられる見込みもより大きくなる。退屈は人の気力をそぐものだし、精神的に不健康な状態である。一度人生に興味をなくしてしまうと、いつがたがたくずれるかもわからない。人生にほんの少し、不確かな部分を薬味として加えてやれば、根拠のない神経衰弱などにおちいらずにすむだろう。 . . . 本文を読む
早起きを習慣としなかった人で長生きした人は少なく、まして有名になった人となるとさらに少ない。起きるのが遅くなると、当然仕事にとりかかるのも遅くなり、結局、その日全体が狂ってしまう。フランクリンいわく、「寝坊な人間は、一日あたふたし、夜になってもまだ仕事が山積みになっている」と。 . . . 本文を読む
一枚の銅貨には、さしたる価値などない。だが、快適な家庭生活を送れるかどうかは、この銅貨の使い方と蓄え方いかんにかかっている。せっかくの重労働で貴重な報酬を得ても、酒代やあれこれのムダ遣いに銅貨が一枚、さらに一枚と消えるのを見すごしていては、奴隷同前の生活から抜け出せない。逆に、家計の維持や家族の教育を念頭に置き、はした金でも保険や貯蓄に回すように心がければ、その見返りは計りしれない。 . . . 本文を読む
真善美を求めるのは、人みなの思いだが、どんなに求めても、美ならざるもの、正ならざるものは、やはりなくなりはしない。それはいつの世にも美なるものと相まじわって存在し、美醜とりまぜて、それでこの自然が成り立っているのである。この世の中が動いているのである。 . . . 本文を読む
信仰というものは、崇めて尊ぶだけよ。助けをお願いするのは信仰にならないんだぜ。信仰という字を考えてごらん。信は実在を信じ、仰は崇むということだ。だから、どんな場合があっても、そんなさもしい気持ちではなく、自ら、自らを守っていけばいいんだ。 . . . 本文を読む
父は、ぼろぼろになるまで読んだスペイン語版のデール・カーネギー著『こうすれば人は動く』を片手に、人生の大事な教訓を教えてくれた。父は何度も何度も言った。「いいか、出身地がどこであれ、肌の色がなんであれ、やろうと決めたことはなんだってできるんだ」。このことばに、ぼくと兄はどれだけ慰められ、元気づけられたかわからない。 . . . 本文を読む
地球の自転軸のふらつきを観測する国際共同プロジェクトで「落第点」とつけられた木村は観測手法を吟味し直すが、問題点は見つからない。悶々(もんもん)として日々を過ごしていたが、突然、着想がひらめいた。それは1901年(明治34年)9月のある日のこと。趣味のテニスを所員と楽しんだ後、何げなく研究室の机の引き出しをあけた瞬間だったという。 . . . 本文を読む
この偈の中心は「月に釣り雲に耕す」にある。普通、釣りといえば魚を、耕すといえば田畑をとの目的語がある。いずれも何らかの収穫が目当てとなる。その収得を忘れ、ただ釣りのために釣り、耕すために耕すのを「釣月耕雲」という。ただ無心に、只管(しかん)に坐禅をする(古風を慕う)態度を象徴するのが、釣月耕雲だ。生活のための労働ではない。さとりを開くもの欲しさの坐禅ではない。ただ坐るのだ。釣竿一本に、鋤(すき)一丁に成りきるのだ。 . . . 本文を読む
哲学や宗教の世界は、善と聖の世界だといわれます。とくに宗教の世界は、自分が相手になりきって、相手を観察する妙智がそのすべてです。よく「相手の身になって見よ」と言いますが、自分と相手とを相対的な立場に置いて、相手の身に徹することは無理です。自分の立場を超えて、はじめて他者と同化ができるのです。それには合理とは別次の観察の智慧、すなわち妙観察智を持たねばなりません。 . . . 本文を読む
木かげの涼風は、自然に吹いてくる風だから生きている。いかに精巧な冷房装置でも及ばない甘味がある。文字どおりの“風味”で「清風」と呼ばれるゆえんだ。しかも、冷房器具は高価だが、自然の清風は無料である。自然の涼風には代金の支払い方法がない。「求むれど価無し」だ。 . . . 本文を読む
〈何もかも、すべて自分を中心に動いている。俺は決して独裁者ではない。だが、自分のつくった世界のまん中にはやはり坐っていたい。それくらいのわがままは許してくれてもいいではないか。でなければ、何のためにここまで事業をのばし、財界活動したのかわからなくなる〉。そんな自問自答をくり返すのが、権力の座にある者の晩年のパターンである。 . . . 本文を読む
政治に例を採っても、実際に政治というものを体験し、政治の中にとび込んで(必ずしも自ら政治家にならなくてもよい。官吏でも、新聞人でも、誰でもできることである)、政治をその中から会得し、反省し、人間の成敗得失、歴史の推移変遷、その中の厳粛な理法に、何よりも深い情感を以て心眼を開き、古来の偉大な人物や哲学に参じて、次第に智慧・信念を修得するのが真の政治的学問求道であり、かくてこそ偉大な政治家ができ、こういう政治家によって、初めて国民や人類の誠の進歩も革命も達成されるのである。 . . . 本文を読む