電脳筆写『 心超臨界 』

知識の泉の水を飲む者もいれば、ただうがいする者もいる
( ロバート・アンソニー )

生きるための杖ことば 《 清風明月求無価——松原泰道 》

2024-09-03 | 03-自己・信念・努力
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清風・明月ともに、求められずして、しかも惜しみなく無料で与えている。金銭では評価出来ぬ超高価な存在である。これを「無財の存在」という。清風も明月も無財の施与――無財施をしていてくれる。「無財施」とは、無資本で出来る施与であるとともに、貨幣価値に換算不可能の意味の絶対施与のことである。いわゆる「布施」だ。「布」は、広める・敷くであり、「施」は施す以外に、広める・教えるの意味のあることを記憶すべきだ。


◆清風明月求無価(清風明月求(せいふうめいげつもと)むれど価(あたい)なし)
                           ――碧眼録

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p120 )

木かげの涼風は、自然に吹いてくる風だから生きている。いかに精巧な冷房装置でも及ばない甘味がある。文字どおりの“風味”で「清風」と呼ばれるゆえんだ。しかも、冷房器具は高価だが、自然の清風は無料である。自然の涼風には代金の支払い方法がない。「求むれど価無し」だ。

空にかかる明月も同じだ。明月を取ってくれよと泣く子かな――との古い句があるが、それは良寛さま(1831年没)の「盗人のとり残しけり窓の月」とともに、深い哲理を感じる。

月光は淡いが、いかに精緻な照明家でも、“月愛”を覚えるほどの滋味ある光明は出せないであろう。いかに泣く子にせがまれても買い受けることも出来ないし、月光代の支払いようも無い。

清風・明月ともに、求められずして、しかも惜しみなく無料で与えている。金銭では評価出来ぬ超高価な存在である。これを「無財の存在」という。清風も明月も無財の施与――無財施をしていてくれる。

「無財施」とは、無資本で出来る施与であるとともに、貨幣価値に換算不可能の意味の絶対施与のことである。いわゆる「布施」だ。「布」は、広める・敷くであり、「施」は施す以外に、広める・教えるの意味のあることを記憶すべきだ。

雑宝蔵経(さっぽうぞうきょう)には「無財の七施」を数え挙げる。現代的表現に改めると「身・心・眼・語・顔・席・房(家舎)」であるが、別に七つの数量にこだわる必要はない。ほほえみ・愛語など一円の資本も不要だが、金額では表現不可能の価値を持っている。

求むれど価無き清風明月は、自然にだけでなく、私たちの心中につねに存在していることを思うべきである。
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