§3 日米戦争によってアメリカは日本を侵略した
◆ポツダム宣言受諾——日本の敗戦は「無条件降伏」ではなかった
日本が「無条件降伏(むじょうけんこうふく)した」と誤解している人がいるが、そうではない。ポツダム宣言は「我らの条件以下の如(ごと)し」という提案(オファー)である。日本政府に対しての「日本の陸海軍に無条件降伏させよ」という条件を含むオファーであって、日本は「有条件」の下で降伏したのである。
『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p262 )
1945(昭和20)年
《 ポツダム宣言受諾(じゅだく) 》
日本の敗戦は「無条件降伏(むじょうけんこうふく)」ではなかった
日本の戦後はポツダム宣言の受諾(じゅだく)によって始まった。
昭和20年8月15日、日本は、米・英・中華民国(あとからソ連も加わった)による対日共同宣言「ポツダム宣言」を受諾(じゅだく)、天皇陛下の終戦の詔(みことのり)がラジオで放送された。
日本が「無条件降伏(むじょうけんこうふく)した」と誤解している人がいるが、そうではない。ポツダム宣言は「我らの条件以下の如(ごと)し」という提案(オファー)である。日本政府に対しての「日本の陸海軍に無条件降伏させよ」という条件を含むオファーであって、日本は「有条件」の下で降伏したのである。
アメリカでは、日本をドイツと同じように無条件降伏させようという意見が強かった。しかし日本とドイツは違う。ヒトラーも死に、政府もなく、交渉相手がなくなったドイツとは異なり、日本は交渉相手としての政府が残っていた。だから、スティムソン米陸軍長官は、日本に無条件降伏を強制したならば、日本はどこまでも戦い抜き、硫黄島(いおうとう)や沖縄のように米軍にも多大な損害が出るかもしれないから、「軍隊だけの無条件降伏にすべきだ」と言ったのである。
さらに、日本側の問合せに対し、「天皇家は存続させる。究極的な政治形態を決める権利は日本人にある」という答えを得たからこそ、日本はポツダム宣言を受諾したのである。
もっとも陸軍上層部は「負けたのは海軍であって、陸軍はまだ戦える」と主張し、強硬(きょうこう)に反対した。こういう状況のもとで最終的な決断を下(くだ)したのは天皇であった。それまで憲法上沈黙を守らざるを得なかった天皇陛下がついに口を開かれたのである。それが、残虐な無差別爆撃を行った米軍を非難しつつ、日本人と世界全体に深く思いを致して発せられた「終戦の詔書(しょうしょ)」であった。
昭和20年9月2日、東京湾に停泊(ていはく)するミズーリ号上でポツダム宣言受諾の調印式が行われた。これは「宣言」を「条約」にする儀式である。この段階では、まだ戦争は終わっていない。戦争は講和条約の発効で終わるのだから、休戦状態ということである。にもかかわらず、連合国側は降伏ということに重きを置いた。
そして9月6日にトルーマン米大統領から占領軍(連合国軍)最高司令官マッカーサーに「連合国と日本とは契約的基礎の上に立つものではなく、無条件降伏を基礎とするものであって、日本はマッカーサーの命令を遵守(じゅんしゅ)するものとする」という内容の通達があった。
つまり、トルーマンはポツダム宣言の契約に違反したのである。これに対して日本は一切の責任はない。アメリカ側が勝手に破ったのだ。
こうしてマッカーサー元帥(げんすい)はまるで日本が無条件降伏したかのような占領政策を行い、「国民の主権」は空虚(くうきょ)な大義名分と化したのである。
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