電脳筆写『 心超臨界 』

神はどこにでも存在するというわけにはいかない
そこで母をつくられた
( ユダヤのことわざ )

◆原爆を落としたのはチャーチル?

2024-06-01 | 05-真相・背景・経緯
◆原爆を落としたのはチャーチル?


スチムソンが「無警告で都市に使用する」ことを決定するのですが、実際の投下に迷いを見せていたトルーマンにチャーチルは「日本は真珠湾を警告もなく攻撃し、貴国の若者を殺したではないか」と言ったといいます。


『戦後支配の正体1945-2020』
( 宮崎正弘&渡辺惣樹、ビジネス社 (2020/4/3)、p23 )

【渡辺】 ポツダム会談についてですが、アメリカの若手歴史家マイケル・ネイバーグが詳細な分析を試みています。原爆を落とすことを決断するのはトルーマンですが、じつは最後にその背中を押したのはチャーチルだということをこの本が暴いています(注:Michael Neiberg, 『Potsdam』, Basic Books, 2015、本邦未訳)。

その経緯からいうと、まずケベック会談(1943年8月)が重要です。

【宮崎】 ケベックはカナダ東部ですね。しかしケベック会談なんて日本人はほとんど知らないですよ。

【渡辺】 しかしその会談でチャーチルとルーズベルトは英米共同プロジェクトである原爆開発の進め方とその使用原則について協議し、4つの合意に達していました(ハーバート・フーバー『裏切られた自由』上巻)。

第1に開発された原爆は互いに攻撃するためには使用しない。第2に第三国に使用するさいは他方の国の同意が必要。第3に、両国の同意がない限り第三国に開発計画にかかわる情報を流さない。第4に、開発にあたっては米国が大きく負担することを確認する。

日本にとって重要なのは第2で、これは米国が核兵器開発に成功しても英国の同意がなければ使用できないことを意味していました。つまり、広島・長崎への原爆投下は英国の容認のもとに行われたのです。

チャーチルとトルーマンはポツダムで原爆投下について軍事アドバイザーを交えて協議した。

そもそも原爆使用の議論には「使用すべきではない」とするものから、「警告のうえ、使用する」、あるいは「山間部に使用する」といった意見もありました。たとえばマンハッタン計画の総括責任者であるレズリー・グローヴス准将は、純粋に軍事的観点から無警告投下でかつターゲットは京都にするよう強く主張していました。(『スチムソン日記』)。京都が新型爆弾で破壊されれば日本人の心理的ショックは計り知れないと考えたからです。これを断固拒否したのがスチムソンです。

私はスチムソンこそが日米戦争を煽(あお)った重要人物として見ているので嫌いなのですが、フィリピン民生長官だった彼は京都に数度旅行したことがあり、この町に魅せられていた。日米戦争の戦いをリードした人物が京都を破壊から救ったのは歴史のアイロニーです。逆に広島が犠牲になってしまいましたが。

【宮崎】 日本では京都に落とされなかったことをアメリカが文化財を救ったのだと美談に仕立てましたね。

【渡辺】 美術史家のランドン・ウォーナー博士の功績にされ京都や奈良、鎌倉にも顕彰碑が建てられています。確かにウォーナーは日本美術に造詣(ぞうけい)が深く、横山大観(よこやまたいかん)、柳宗悦(やなぎむねよし)、志賀直哉(しがなおや)らとも親交があり、実際京都の文化財リストも作成しているにはいるのですが、投下地選定には何の影響もありませんでした。

スチムソンが「無警告で都市に使用する」ことを決定するのですが、実際の投下に迷いを見せていたトルーマンにチャーチルは「日本は真珠湾を警告もなく攻撃し、貴国の若者を殺したではないか」と言ったといいます。

【宮崎】 それはすごい話です。ポツダム会談時、チャーチルは選挙で大敗して途中から労働党の新首相のクレメント・アトリーと交代しているから、その前ですね?

【渡辺】 7月28日に交代する前です。チャーチルのこの言葉を聞いていたのは、ジェイムズ・バーンズ国務長官のアシスタントだったウォルター・J・ブラウンだとネイバーグは書いています。

ですからチャーチルが原爆を使わせたかったのは間違いないでしょう。
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