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カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

ジョン・ル・カレ『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の試訳

2012-04-13 08:11:49 | Weblog

ジョン・ル・カレ『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の試訳。

もしもあのとき私立サースグッド小学校教諭のドーヴァー退役少佐がトーントンの競馬場でぽっくり逝くことがなければ、ジム・プリドーにその教員補充採用の話が回ってくることはなかったはずだ。私立小学校に補充教員を斡旋する評判のあまり芳しくないエージェンシーからの連絡で、ジムはその日、到底爽やかな五月下旬とは思えぬ悪天候の下、初めて学校に赴いた。すでに学期は始まっていて、だれか正式な適任者が見つかるまでの間だけドーヴァーの空席を埋めてほしいというただそれだけの学校側の要望で、面接も何もなくすんなり採用は決まった。校長のサースグッドは職員談話室に来て職員たちに、「彼には語学を担当してもらうが、これは適任者が見つかるまでの間のとりあえずのことだから。」と言い訳めいた早口で告げ、前髪を払った。「彼の名前はプリドーだ。綴りはP、R、I、D、--」フランス語が不得意な校長はそこで手元の紙片を見た。「--E、A、U、X。ジェイムズ・プリドー。七月までの契約だ。後任探しには十分時間があると思う。」職員たちは全員、校長のその言葉の外にある意味を理解した。ジム・プリドーはきっと教職界のプア・ホワイトなのだ。気の毒で不幸な星の下に生まれたひとりなのだ。すでに学校にはいない、哀れなミセス・ラヴデイや気の毒なミスター・モルトビーと同じ種族なのである。ミセス・ラヴデイはかつて、ペルシャ子羊の毛皮なんか着て低学年に神学を教えていたけれども、あるとき不渡小切手を出して破産してしまった。ミスター・モルトビーは聖歌隊の練習に付き合ってピアノ伴奏しているときに警察へ呼ばれたきり、いまだに取り調べに協力させられているのだろうと思われている。というのは、学校の地下室に今も彼のトランクがあるからだ。マーチ・バンクスをはじめ職員の何人かは、トランクの中身を知りたがった。誰もが知る貴重な紛失物の数々が出てくると疑ったのだ。たとえば、アプラハミアンのレバノン人の母の写真入れの銀の額、ベスト―イングラムの小さなスイス製アーミーナイフ、寮母の腕時計などなど。しかしながら、校長は彼らからの再三の要請にもかかわらず、しわひとつない顔に峻拒の表情を見せてそれを断った。父親から学校経営を引き継いで五年、その五年の間に校長は、物事には明るみに出さないほうがよいこともあることを学んできたのだった。
さて、そうして採用が決まったジム・プリドーは、週も終わりごろ、金曜日に着任してきた。その日は、激しい雨風が学校脇のクウォントク山の赤茶けた峡谷伝いに吹き降りてきて、無人のクリケット場を駆け抜け、校舎正面の風化した褐色砂岩に横殴りに叩きつけるような日だった。みんなが昼食を摂り終わってすぐのころ、ジムの真っ赤な古びたアルヴィスが、青色の剥げかけたトレーラーを牽引してサースグッド小学校の敷地に入ってきた。ちょうど学校はしばしの昼下がりの休戦タイムのしずけさの中にあって、殆どの生徒たちは各自寄宿舎に戻って休憩し、教師たちは談話室でコーヒーを飲みながら、思い思いに新聞を広げたりテストを採点したりしていた。校長はいつものように老母に小説を読み聞かせていた。だから、ジムが到着したことに気が付いたのは、学校の中で転校生ビル・ローチただひとりだった。真っ赤なアルヴィスは、整地されていない凸凹のひどい校内の道を走りながら、ボンネットから蒸気をもくもく吹き上げ、ワイパーをひっきりなしに動かしていた。牽引されているトレーラーは、たびたび水たまりに突っ込み、そのたびにがたぴし悲鳴を上げた。(後略)

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