カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

短歌メモから。

2019-08-23 07:26:01 | Weblog

今朝の短歌メモから。


雨止ミテ皆ガ森ヘ帰ツテユク。サフダ、サヨナラダケガ人生ダ

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〈橋の上ゆ胡瓜なくれは(投ぐれば)水ひひき(響き)すなはち見ゆる禿(かむろ)の頭〉

2019-08-23 04:54:55 | Weblog

未明に目覚めて、芥川龍之介の〈ぼんやりした不安〉について唐突に思った。


芥川龍之介に関するwikipedia記事より。
(前略)
1927年(昭和2年)7月24日、雨の降りしきるなか、田端の自室で芥川龍之介は服毒自殺を行い、社会に衝撃を与えた。使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた、同じ漱石門下で親友の内田百閒によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。すでに自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。一方で、自殺の直前には身辺の者に自殺をほのめかす言動を多く残しており、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために死亡したとする説がある。また、死後に見つかり、久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記[15]」の中では自殺の手段や場所について具体的に書かれ、「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。(中略)…僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品(バルビツール酸系ヴェロナール (Veronal) およびジャール)を手に入れようとした」とあることから、記述を信頼すれば計画的に自殺を企てていた節も窺える。エンペドクレスの伝記にも言及し「みずからを神としたい欲望」についても記している。
遺書として、妻・文に宛てた手紙、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙がある。芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であるが、自殺直前の芥川の厭世的あるいは「病」的な心境は『河童』を初めとする晩年の作品群に明確に表現されており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自殺の動機を考えるべきではないともいえる。芥川命日は小説『河童』から取って河童忌と称される。
死の直前である7月初め、菊池寛に会うため二度文藝春秋社を訪れているが会うことができなかった。社員が菊池に芥川が訪れたことを報告せず、生前に菊池が芥川を訪ねることもなかった。
死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川くんの話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。また、芥川が死の直前に詠んだと言われる短歌作品「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿(かむろ)の頭」が残されている。
(後略)

☆☆

大正デモクラシーから関東大震災を経て戦争に向かっていった時代に生きた芥川龍之介の繊細脆弱な神経が感じ取った〈ぼんやりした不安〉は、今の時代にも深く通じているような気がする。残念ながら、あの頃といまは非常によく似ている。

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そのまま。

2019-08-23 00:33:14 | Weblog
昨日の朝、しごとに出かけようと鞄に手を掛けた途端、左鼻腔内を液体がつつつとくだってくる感覚に突然見舞われ、思わず手の甲を鼻入り口に当ててその液体を受け止め恐る恐る見ると、赤かった。鼻血。鼻紙を千切って小さく丸めて左鼻腔の奥深くにむぐっと突っ込んだ。鏡で顔を見たら、鼻に紙を突っ込んでいる風にはちっとも見えなかった。なので、安心して昼過ぎまでそのまま仕事をした。
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