カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

狐火村奇譚。

2018-04-15 00:14:23 | Weblog

狐火や黒き袂の平らなる 飯島晴子

舟虫の崖人形を抱いてゆく 飯島晴子

もともとは別の名前があったというけれども、海端の古い街道沿いのその村は、相当古くより土地の者たちから〈狐火〉の村と呼ばれ、明治になって鉄道が引かれて海端の森の外れの崖の上に駅が作られたときも〈狐火〉駅と誰からともなく呼び出して皆がそう呼ぶようになったので、それが正式な名前になったという。そもそも、昔から村のあちらこちらでふわふわ飛ぶ〈狐火〉が目撃されることが多かったのが理由らしい。その日も村では昼間から〈狐火〉が幾つも出た。海端の森の中に恋人と遊びに来ていた若い綺麗な着物の娘は、ふざけ半分の戯れに空中をふわふわと漂う〈狐火〉を手に持って恋人に捧げ見せようとしたところ、火はあっという間に袖から袂へと燃え移り、咄嗟に娘は小走りに海端の崖へ行くと、恋人が留める間もなくぽんと飛び降りてしまった。恋人は半狂乱になって娘の名前を叫びながら舟虫のぞわぞわと這っている崖の際に駆けてゆき下を覗いた。岩だらけの崖の途中には黒く焼け焦げた袂の端切れが引っ掛かり、その下は海鳴りばかりで、娘の姿はまったく見えなかった。 恋人はすぐさま森を抜けて村へ駆け戻り、駐在所に娘の顛末を知らせた。話を聞いた駐在は村の青年団に連絡し、駐在と青年団からなる捜索隊を編成して直ちに現場へ急行、海と陸の両方から何日間も娘を探したが、結局、娘の姿は見付からなかった。それからというもの、〈狐火〉がふわふわ飛ぶ日の薄暗い夕方過ぎ以降、あの舟虫の崖をよじ登って来る〈日本人形〉に会ったという村人の目撃談が増えたという。

☆☆

毛糸帽は幽か露西亜紅茶(ロシアンティ)の匂ひ 頭皮(あたま)さむし道場にて抜かれたるわが頭髪(かみ)思(も)へば


警察道場から医務室へと運ばれ来たり 相手の掌(て)の中のごつそりわが頭髪(かみ)


〈頭髪(かみ)抜き〉は反則技ぞ 医務官もわれも知らざりき頭髪(かみ)もどす術(すべ)を


わが禿頭(とくとう)を何故同僚(ひと)らは笑ふのか 事件後只管(ひたすら)、山川草木に身を浸してみたし


〈禿頭(とくとう)傷心休暇。〉と書きてのち申請書をトイレ中の部長の机に置き帰る


〈狐火〉てふ海端の駅に降りたち一分の間にみたざる〈人形〉とあひたり


村人ら誰もがそのうた諳(そら)んじてをり〈昼の狐火〉〈人形〉の事件


《幾つもの〈狐火〉浮かぶ森の昼 〈人形〉攀(よ)じのぼれり海端の崖》


片時も毛糸帽離せぬ身となりぬ 宿屋主人はしづかに心尽くしの朝の珈琲


雨戸のむかう薄霧の庭ながめつつゆつくりすする朝の珈琲

 


塔4月号の江戸先生選歌欄に掲載された4首。

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