カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

あれこれいろいろ。

2017-04-26 18:36:19 | Weblog

しごとのあと。


加古陽治氏の『一首のものがたり 短歌(うた)が生まれるとき』(東京新聞、2016年4月刊)の中澤系氏の項の156頁より。

(前略)ある日、ラーメンを食べようとしたら、どうやって食べたらいいのかわからなかった。(中略)02年春、東京都内の大学病院でMRI 検査を受け、遺伝性の難病である副腎白質ジストロフィー(ALD)と判明した。中枢神経がやられ、症状が進行すると、言語・歩行障害が起きる。根本的な治療法がなく、多くは5~10年で死に至る。中澤も少しずつ症状が進行し、ついにあれほど豊かに育んできた言葉を失った。(後略)
〈以上、引用おわり〉


中澤さんの病気進行の記述を読みながら、作曲家モーリス・ラヴェルの最晩年の病気進行のことを思い出しました。作曲家として全盛期のラヴェルは、乗っていたタクシーが追突事故を起こして頭部を打った頃をきっかけとして、従来通り豊かに〈音楽〉が頭のなかで鳴っているにも関わらず徐々に作曲ができなくなり、やがて全く譜面を書けなくなってしまいます。それはまるで、中澤さんの病気の場合と同じようです。ラヴェルの場合は、音楽を具体的に〈譜面化〉する言語中枢神経をやられてしまったのかもしれません。ただ、当時そういう病気のことはまったく知られていませんでした。作曲家なのに作曲できなくなったラヴェルは、やがて周囲から勧められて開頭手術を受けそのまま麻酔から覚醒することなく亡くなりました。。

そういえば、ジョージ・ガーシュインも病気治療のために開頭手術を受けて覚醒することなく亡くなっています。そのガーシュイン、若き日に高名なラヴェルの許で作曲を勉強したくて弟子入り志願でラヴェルを訪ねますが、ラヴェルから「あなたはもうすでに一流のガーシュインです。二流のラヴェルになる必要なんてどこにあるでしょう」と弟子入りをやんわり断られたそうです。ラヴェルとガーシュインにまつわる、音楽史上有名なエピソードの一つです。。


しごとのあと、昔のひとに関するあれこれいろいろな妄想はなかなか止みません。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする