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大木家のたのしい旅行

2011年06月01日 | 邦画(11年)
 『大木家のたのしい旅行』を新宿バルト8で見てきました。

(1)『太平洋の奇跡』では随分とシリアスな演技をしていた竹野内豊水川あさみが、本格コメディに初めて出演するというので、新婚早々倦怠期に陥っている二人が「地獄」に行くとしても、そこは従来のものとは大分違うだろうな、と漠然と予感はしていました。
 実際に映画を見ると、まさに、地獄の血の池がビーフシチューそのものだったり、針の山は天まで聳えるホテル、赤鬼・青鬼も現代的服装をしている(角は、巨大な爪切りで処理されているとのこと)といった具合で、相当程度ユルーイ感じのものになっています。



 なにしろ、樹木希林が、地獄ツアーのエージェントというのですから、禍々しい旅行になってしまうのも当然といえば当然ですが。



 あるいは樹木希林は、閻魔大王に見立てられるのかもしれません(それにしても、彼女の旦那の内田裕也が逮捕されたり、地獄に行ってから、竹野内豊らが遭遇する行列で輿に乗っているのが南海キャンディーズの「山ちゃん」というのも〔相方の「しずちゃん」がボクシングに本格挑戦するというのです!〕、随分と芸能ゴシップまみれの映画になったものです!)。

 でも、地獄の入口がデパートの屋上に置かれているバスタブで、そこを突き抜けると、深い森の真ん中〔富士山の青木ヶ原樹海〕に落ちるというアイデアはなかなかのものです。さらには、地獄にナイト・マーケットが設けられているところとか、この世に戻る出口のある場所などが千葉県の鋸山となっているのも、随分とうまい適地を探し当てたものだと感心しました。

 また、旅館で竹野内らを案内する青い人の荒川良々は、『下妻物語』で八百屋を演じていましたが、その後『真夜中の弥次さん喜多さん』でも見たことがあり、随分と変わった俳優だなと思っていましたから、今回も、どこかで豹変して竹野内らを窮地に追い詰めたりするのでは、とハラハラしていましたが、隅々まで脱力系の映画ですから、そんなことは起こるはずもありません。



 結局、旅行から帰れば日常に戻るわけながら、お定まりの如く、竹野内豊と水川麻美の夫婦は、倦怠感を脱して新鮮な気持ちで生活し出すというわけです。

 こうした内容の映画で2時間というのは、今少し長すぎるのではと思ったものの、「地獄」の描き方に観客の意表を突くところもあり、それなりに楽しめる作品です。

(2)例えば、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』では、地獄の有様について、次のように書かれています。
 「何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微かな嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊のカンダタも、やはり血の池の血に咽びながら、まるで死にかかった蛙のように、ただもがいてばかり居りました」云々。

 また、地獄絵図にはこんなものもあります。



 さらには、ダンテの『神曲』の「地獄篇」もあるでしょう。
 下図は、『ドレの神曲』(訳・構成:谷口江里也、宝島社2009年)掲載のもので、その解説によれば、「怒りや不満で自分を見失った者が、今やそれらの不平不満、小言、雑言、罵倒の一切が、汚れた泥となってわだかまるスチュクスの沼に沈む第五の圏」とのこと(P.62)。


 ところが、上で書き記しましたように、この映画の「地獄」は、ツアーで行っても十分に楽しめる場所として描かれています。
 とすると、どうもこの「地獄」は、“悪いことをすると地獄に落ちる”とよく言われ、それは大変だからこの世で善行を積もうとする善良な老若男女の生きる目標を失わせるものがあるといえそうです。なにしろ、そこは、それほど面白くはないところでしょうが、決して「地獄の責苦」が待ち受けているわけでもなさそうであり、むしろ現実の「生の世界」と大差ない営みが行われている感じなのですから。
 さらには、こんな地獄に対応する天国だったら、そう大して楽しいものでもなさそうだということにもなりかねませんが、そうだとしたら、この映画は、見終わると「ほっこりした幸せに包まれる」映画(「劇場用パンフレット」のイントロダクションより)どころか、これまでの市井の民が持っている倫理観に対する物騒な挑戦状だということになるのかもしれません!

 そもそも、この映画は「地獄」を様々な角度から描いていながら、「死」にまともに触れていません。その点についてのヒントになるのは、「ここは死んだ人たちの国なのか?」という質問に、青い人の荒川良々が、「死んだ者も生きている者もいます。生きている者は死に続けているのですから」などと、哲学者めいたことを口にする場面ではないでしょうか?
 言ってしまえば、今生きていると思っている「生の世界」の住民達は、実は「地獄」の中で暮らしているにもかかわらず、そのことが分かっていないのではないか、ということになるのかもしれません!

(3)渡まち子氏は、「地獄へ行くきっかけが炊飯ジャーということからも分かるように、日常と非日常は地続きになっていて、目的地は関係ないのかもしれない。つまりこれは、恋人同士という不確定な関係の男女が、夫婦という“確かな家族”になるまでの軌跡を描く物語なのである。小劇場の芝居が好きな人は大いにハマるだろう。あいにく私ははじける笑いとは無縁だったものの、樹木希林や片桐はいり、荒川良々など濃すぎる脇キャラの怪演は大いに楽しんだ」として45点をつけています。
 福本次郎氏は、「肉体的苦痛は全力疾走や階段を延々昇る程度のユルさで、しかも場面場面で交わされる信義と咲の会話の内容がことごとく彼らの置かれている状況からズレていて笑わせてくれる。ここでは荒川良々みたいな、フツーの映画では変人の役ばかり演じる俳優のほうが、むしろまともに見えてしまう。その奇天烈な世界観の、ディテールに至るまでの作り込みが素晴らしかった」として、60点をつけています。




★★★☆☆





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4 コメント

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ゆるく幅広い地獄へのご案内 (山根さんちの子供)
2011-06-02 16:09:05
  昔、漫画家に山根青鬼・赤鬼という兄弟がいて、その漫画に親しんだが、田河水泡の弟子で、『のらくろ』の漫画執筆権を譲られたというから、そのお歳が分かろう。まだ、兄の青鬼さんはご健在という。
本作映画の地獄にはやはり青鬼・赤鬼がいて、それぞれ性格が違うグループとして描かれるが、地獄自体の性格はそうとうに違う模様であり、大木家の夫妻を地獄案内する「ヨシコさん」は、将来には夫妻の子供で生まれそうな話しもあって、悪いことをした人々だけが送られる場所ではないらしい。ヨシコさんは顔が色で塗られていて表情があまりわからないが、映画『告白』でクラス委員長北原美月役を演じた美少女、橋本愛さんが演じる。
『下妻物語』でユニークな味を出していた荒川良々さんも出ていて、地獄のホテルの番頭役だから、地獄と行っても、あまり怖そうな感じもないし、この映画でヒロイン桃子の祖母を演じた樹木希林さんが本作では占い師で、地獄ツアーへの導き役をつとめるのだから、それぞれ懐かしさも満載である。最近会った下妻市出身の友人に尋ねたら、下妻は映画の知名度アップで合併を取りやめ、昔と同様にジャスコや駅が存在しているというから、映画の役割も大きい。本作のほうは、なぜか五反田が地獄の出入り口というが、それほど地名のプレイアップはないから、あまり関係がないかもしれないが。
ともあれ、最近の政治社会情報は『藪の中』だが、『蜘蛛の糸』を頼らなくても、歩いて地獄脱出ができるのだから、その通路も近代化したものである。というくらいにゆったり構えて、楽しい旅行で新婚夫婦は倦怠期脱出というのだから、これでいいのだということになろう。
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地獄はどこに? (クマネズミ)
2011-06-02 21:39:11
「山根さんちの子供」さん、丁寧なコメントをありがとうございます。
さて、コウノトリのお話やサンタクロースの存在を疑わない子どもがめっきりと減り、また嘘をつくと地獄の閻魔様に舌を引っこ抜かれるぞ、との脅しが効いたのもかなり昔のこと。とはいっても、「悪いことをした人々だけが送られる場所」のことなど誰も信じなくなった現代は、いくら「近代化」の結果だとはいえ、荒涼とした光景しか見られなくなり、随分と物寂しい思いがするのではないでしょうか?
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Unknown (ふじき78)
2011-06-12 02:59:38
温泉=血の池。そうかあ。
でも、ビーフシチューは血の池と言われれば納得だ。人間の血ではないけれど。
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「血の池」温泉 (クマネズミ)
2011-06-13 04:45:56
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
是非、姪御さんと一緒に、この映画の「地獄」に行って、ビーフシチューの「血の池」で「ほっこり」してきてください!
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