『誘拐ラプソディー』を、渋谷のシアターNで見ました。
予告編を見て、まあ面白いかなと思って見に行ったわけですが、観客の余りの少なさに驚いてしまいました。
(1)従来はカッコいい主役を演じるのが普通だった高橋克典が、冒頭から、首をつって自殺しようとするダメ男・伊達を演じているのでアレッと思ってしまいます。
ですが伊達は、実際は自殺などせずに、意を決して誘拐によって大金をせしめようとします。ところが、そのために確保した少年が、あろうことか地元のヤクザの親分・篠宮(哀川翔)の子供・デンスケであることがわかるという、酷く意表を突いた筋立てになっています。
ただ、役者も含めてこれだけお膳立てが揃っているにもかかわらず、どうも映画のテンポが緩慢すぎる感じがしてしまいます。
むろん、ダメ男が主役なのですから、物事がテキパキと運ぶはずもなく、間延びした感じも必要でしょう。ただ、やはりワサビの利いたところもなくては映画になりません。
おそらくは、原作に書いてある伊達の心理的な動きなども一々辿ったりしているからなのでしょう。なにしろ、こんなストーリーながら、文庫本で400ページを超える厚さとなっています!よほど削ぎ落とさないと、間延びしてしまいます(注)。
せっかくYOUが篠宮の奥さん役に扮しているのですから、このあたりをもう少し面白く仕立ててもいいのではないかと思いました(原作では、この奥さんについて、「突然、誰もが予想もしない行動に出る」などといった性格付けがされているのですし)。
ということで、決してつまらない映画というわけではないながら(哀川翔の存在感は抜群です)、今少し引き締まった感じを出せばよかったのでは、と映画素人としては思ったところです。
(注)塾通いばかりさせて、キャッチボールなどによる親子の触れ合いがない現代の親子関係とか教育環境に対する批判の部分も、ありきたりのものですから当然のことながら削ぎ落とすべきでしょう。
(2)クマネズミのような半可通がコメントするのに格好のシーンが、この映画では描かれています。
誘拐犯の伊達が、誘拐された少年・デンスケの父親に対して、走っている電車の窓から、現金の入っている鞄を外に投げ捨てろと携帯電話で指示するのです。ちょっと映画を知っている人なら、ああこれは黒澤明監督の『天国と地獄』の名場面ね、とわかります。
そこでイソイソとそんなことをコメントの中に書き込んだりするのでしょうが、実は、萩原浩氏の原作は、とっくにそんなことはお見通しなのです。伊達の電話があった後の、篠宮達の会話は、概略次のようなものです(双葉文庫版、P.192)。
「そうかぁ、そう来たか。天国と地獄だな」
「なんだ?」
「ほら昔の映画。クロサワの映画ですよ」
「あれっすね。鉄橋の上から現金の入ったカバンを落とせってストーリーの」
「そうそう。あの手口を模倣する誘拐犯ってのが多いんですよ」云々。
とはいえ、映画ではそんな会話のシーンはありませんから、念のための注意喚起としてコメントすること自体が無意味とは言いませんが。
なお、この映画では、デンスケが「おばあちゃんのところへ行きたい」と強く言い、伊達もそうしようと約束するところから(「男の約束だ!」)、もしかしたら『大誘拐』(岡本喜八監督)めいた話に発展するのかなと期待しましたが、結局おばあちゃんの住所が分からず仕舞いで、『大誘拐』とのつながりは見出せないところです。
(3)評論家の評価はマアマアと言ったところでしょうか。
渡まち子氏は、「ヒーロー役のイメージが強い高橋克典が、全編作業着姿でくたびれた中年男を好演。一発逆転に賭けながらスベリまくる男を演じているのが新鮮だ」として55点をつけ、
福本次郎氏は、「映画はコミカルなテンポの中にも人情を交え、男は人としての責任を学び、少年に他人を信じる気持ちが芽生える過程は、人間同士の配慮や信頼を取り戻していく物語に昇華される」として50点をつけています。
なお、福本氏は、「チンピラに襲われた時も、袋叩きになっている伊達を果敢に救出するなど、リアリティに欠ける分ファンタジーの色合いが濃くなっていく」などと述べていますが、デンスケが伊達の車の中に現れたときから、観客はすぐに、これは現代のお伽噺だと納得しながら見ているのではないでしょうか?
★★☆☆☆
象のロケット:誘拐ラプソディー
予告編を見て、まあ面白いかなと思って見に行ったわけですが、観客の余りの少なさに驚いてしまいました。
(1)従来はカッコいい主役を演じるのが普通だった高橋克典が、冒頭から、首をつって自殺しようとするダメ男・伊達を演じているのでアレッと思ってしまいます。
ですが伊達は、実際は自殺などせずに、意を決して誘拐によって大金をせしめようとします。ところが、そのために確保した少年が、あろうことか地元のヤクザの親分・篠宮(哀川翔)の子供・デンスケであることがわかるという、酷く意表を突いた筋立てになっています。
ただ、役者も含めてこれだけお膳立てが揃っているにもかかわらず、どうも映画のテンポが緩慢すぎる感じがしてしまいます。
むろん、ダメ男が主役なのですから、物事がテキパキと運ぶはずもなく、間延びした感じも必要でしょう。ただ、やはりワサビの利いたところもなくては映画になりません。
おそらくは、原作に書いてある伊達の心理的な動きなども一々辿ったりしているからなのでしょう。なにしろ、こんなストーリーながら、文庫本で400ページを超える厚さとなっています!よほど削ぎ落とさないと、間延びしてしまいます(注)。
せっかくYOUが篠宮の奥さん役に扮しているのですから、このあたりをもう少し面白く仕立ててもいいのではないかと思いました(原作では、この奥さんについて、「突然、誰もが予想もしない行動に出る」などといった性格付けがされているのですし)。
ということで、決してつまらない映画というわけではないながら(哀川翔の存在感は抜群です)、今少し引き締まった感じを出せばよかったのでは、と映画素人としては思ったところです。
(注)塾通いばかりさせて、キャッチボールなどによる親子の触れ合いがない現代の親子関係とか教育環境に対する批判の部分も、ありきたりのものですから当然のことながら削ぎ落とすべきでしょう。
(2)クマネズミのような半可通がコメントするのに格好のシーンが、この映画では描かれています。
誘拐犯の伊達が、誘拐された少年・デンスケの父親に対して、走っている電車の窓から、現金の入っている鞄を外に投げ捨てろと携帯電話で指示するのです。ちょっと映画を知っている人なら、ああこれは黒澤明監督の『天国と地獄』の名場面ね、とわかります。
そこでイソイソとそんなことをコメントの中に書き込んだりするのでしょうが、実は、萩原浩氏の原作は、とっくにそんなことはお見通しなのです。伊達の電話があった後の、篠宮達の会話は、概略次のようなものです(双葉文庫版、P.192)。
「そうかぁ、そう来たか。天国と地獄だな」
「なんだ?」
「ほら昔の映画。クロサワの映画ですよ」
「あれっすね。鉄橋の上から現金の入ったカバンを落とせってストーリーの」
「そうそう。あの手口を模倣する誘拐犯ってのが多いんですよ」云々。
とはいえ、映画ではそんな会話のシーンはありませんから、念のための注意喚起としてコメントすること自体が無意味とは言いませんが。
なお、この映画では、デンスケが「おばあちゃんのところへ行きたい」と強く言い、伊達もそうしようと約束するところから(「男の約束だ!」)、もしかしたら『大誘拐』(岡本喜八監督)めいた話に発展するのかなと期待しましたが、結局おばあちゃんの住所が分からず仕舞いで、『大誘拐』とのつながりは見出せないところです。
(3)評論家の評価はマアマアと言ったところでしょうか。
渡まち子氏は、「ヒーロー役のイメージが強い高橋克典が、全編作業着姿でくたびれた中年男を好演。一発逆転に賭けながらスベリまくる男を演じているのが新鮮だ」として55点をつけ、
福本次郎氏は、「映画はコミカルなテンポの中にも人情を交え、男は人としての責任を学び、少年に他人を信じる気持ちが芽生える過程は、人間同士の配慮や信頼を取り戻していく物語に昇華される」として50点をつけています。
なお、福本氏は、「チンピラに襲われた時も、袋叩きになっている伊達を果敢に救出するなど、リアリティに欠ける分ファンタジーの色合いが濃くなっていく」などと述べていますが、デンスケが伊達の車の中に現れたときから、観客はすぐに、これは現代のお伽噺だと納得しながら見ているのではないでしょうか?
★★☆☆☆
象のロケット:誘拐ラプソディー
一応、哀川翔が「こんな古臭い手口使っていい加減にしろ」とかなんとか、それを匂わすこと言ってましたね。
これからもよろしくお願いいたします。