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『麦子さんと』をテアトル新宿で見ました。
(1)昨年11月に見た『ばしゃ馬さんとビッグマウス』の吉田恵輔監督の続けての作品ということで見に行ってきました。
物語は、主人公の小岩麦子(堀北真希)が、兄の憲男(松田龍平)と二人で一緒に住んでいるところに(父親は3年前に亡くなりました)、ある日突然母親の赤池彩子(余貴美子)が舞い戻ってきます。彩子は、麦子が生まれるとすぐに家を飛び出してしまったために、麦子には母親の記憶がありませんから、母親だと言われてもとても受け入れ難く感じてしまいます。
にもかかわらず、憲男が女と同棲することになり家を出ると、家には麦子と彩子の二人きりになってしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/84/ae6d955d33434b00c9e8eb2595195de6.jpg)
それでもなんとかやっていたところ、ある日彩子は急死してしまいます(実は末期癌だったのを隠していたのです)。そこで、麦子は、お墓に納骨するために母親の遺骨を持ってその郷里に行きますが、そこで麦子を待ち受けていたものは、………?
亡くなった母親の若い時分の思いを娘が次第に理解していくというありがちなストーリーながらも、主役の堀北真希の好演や、脇を支える俳優陣の多彩さもあって(注1)、まずまずの仕上がりを見せている作品だなと思いました。
(2)前作の『ばしゃ馬さんとビッグマウス』と比べると、前作の主人公・みち代が脚本家志望一本なのに対し、本作の麦子はいろいろ挑戦している点が違いますが、二人ともうまくいかない(あるいは、うまくいきそうにない)点で共通しているでしょう。
さらにまた吉田恵輔監督作品で特徴的な常識はずれの登場人物に関しては(注2)、前作のビッグマウスの天童と本作の彩子とが、もしかしたら共通するといえるかもしれません。なにしろ、天童は脚本を書く前から自信たっぷりな話し方をする男ですし、彩子は20年ほどして突如として「一緒に暮らせば、楽になると思って」などと言って麦子と憲男の家の中に入り込んでいくのですから。
でも、そうは言っても両作の雰囲気はまるで違う感じです。
前作は、10年以上東京でプロの脚本家になるべく頑張ってきたみち代が、ついに挫折して故郷に戻るという話なのに対して、本作は母親の死をきっかけにしてその故郷に行った麦子が、再び東京に戻って声優を目指して頑張ろうとする話で、ベクトルの向きが反対なのですから。
それに、みち代と麦子とは一世代ほども歳の差があるのです。
あるいは、みち代が故郷に戻らずにそのまま東京に残って、例えば元役者志望で介護士の松尾と結婚して子どもをもうけるものの、やはり上手く行かず家を飛び出してしまうということにもなれば、彩子と麦子の関係に似てくるかもしれません。
とはいえ、『赤いスイートピー』を歌う松田聖子に憧れて歌手になろうと上京する彩子と、プロの脚本家になろうとして上京するみち代とは時代がまるで違い(30年以上の間隔)、仮にみち代の子どもがみち代の故郷に行くにしても、この映画のようなことは何も起こらないことでしょう!
なお、細かいことを言えば色々問題点はあるでしょう。
例えば、いくら母娘だからといって、見間違えるほど顔つきが似るものでしょうか(注3)?よく、娘の方には父親の要素が入り込むことが多いなどと言われますし。
そういえば、本作において、麦子や憲男の父親はどこに行ってしまったのでしょう?ストーリー上3年前に死んだことになっていますが、その痕跡がマッタク感じられないのです。死んで3年もしたら、父親というものは完全に忘れられた存在になってしまうのでしょうか?
それから、麦子は母親の遺骨を持って故郷に行くわけですが、それは父親が眠る小岩家のお墓がある田舎ではなく、母親の方の赤池家がある田舎なのでしょう。
その場合、どうして母親の親類縁者などが登場してこないのでしょうか?母親の故郷で麦子の面倒を見るのは、彩子のことをよく知る同年輩の面々ばかりです(注4)。
特に、麦子が埋葬許可証の届くまで過ごすのが、赤の他人のミチル(麻生祐未)というのも唐突な感じです(注5)。常識的には、赤池家の誰かが面倒を見るものではないでしょうか(注6)?
さらには、麦子が田舎を歩いている時の背景に中央高速が映るシーンがあります。仮に田舎が山梨県だとしたら、麦子は、埋葬許可証が届くのを田舎で数日待つということをせずとも、一旦東京に戻れたはずですが(注7)。
でも、そんなあれこれはごくごく些細なことに過ぎません。
本作は、突然家に現われた彩子に対し、「私、あんたのこと母親と思っていないから」との激しい言葉をぶつけてしまった麦子が、彩子が故郷の皆から愛された一人の人間であることを見出して(注8)、次第に彼女を母親として受け入れていくという物語であり(注9)、そのことを感じ取ると、つまらないことはどうでも良くなってきます。
としても、23歳の麦子の携帯の相手の男性が憲男に過ぎず(注10)、また彩子が麦子のためにお金を残してくれたことを喜んでいるようでは、麦子の将来もまだまだであり、好きな彼氏ができ、さらには彩子がどういう経緯で父親と一緒になって自分を生むに至ったのかということに向き合わないと、麦子にさらなる飛躍は望めないような気もするのですが。
(3)渡まち子氏は、「不満点は多い。それでも娘が母を理解し、母親に対して素直になりたかった自分を発見する姿は、心温まる。オフビートな笑いの中にちょっぴり涙。ユルいムードを楽しんで見てほしい」として60点をつけています。
また相木悟氏は、「チクリと毒の効いた内容ながら、心地良い余韻を残すハートフルな一品であった」と述べています。
(注1)最近では、堀北真希については『県庁おもてなし課』、松田龍平については『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』、余貴美子については『横道世之介』で、それぞれ見ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5d/09c9296de48a91021a3a8956798ebcb1.jpg)
(注2)『さんかく』についてのエントリの(2)で触れましたように、吉田恵輔監督作品としては、これまで『ばしゃ馬さんとビッグマウス』、『さんかく』、『純喫茶磯辺』のほかに、DVDで『机の中』を見てきましたが、今回の作品と合わせて、もうひとつ残っている『なま夏』をDVDで見てみました。
この作品は、吉田監督が初めて監督・脚本・編集を担当したエロティック・コメディーで、どうしようもない中年男(三島ゆたか)の性態について、30歳の監督がどうしてこんなにリアルに描き出せるのかと感心しました。
そして、この作品も、『さんかく』、『純喫茶磯辺』や『机の中』と同じように、常識はずれの男性主人公を中心に男女の変わった関係を描いているものといえるでしょう。
その一方で、今回作品では母娘の関係に焦点が絞られていて、特異な男女関係はマッタク描かれておらず、前作『ばしゃ馬さんとビッグマウス』同様、少し残念な気がします。例えば、本作では、故郷のタクシー運転手から「彼氏は?」と尋ねられると、麦子は「今は特に」と答えるだけで、前作で多少は描かれていた男女関係の描写が後退してしまっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/74/416ecbe0dc1e679775f617eb47770fbf.jpg)
(注3)ただ、この間たまたまTV朝日の『徹子の部屋』を見ていましたら(1月10日)、その回に登場した檀ふみが自分の母親(脳梗塞で療養中)の写真を見せていましたが、まるで瓜二つのように似ているのには驚きました!
(注4)例えば、麦子を乗せて旅館まで行くタクシーの運転手・井本(温水洋一)、その旅館の旦那(ガダルカナル・タカ)。
(注5)ミチルの勤務先が町役場だとすると、赤池家のお墓が設けられている霊園は町営のものでしょうか?ただ、田舎の場合、普通、各家はお寺の墓地にお墓を持っているのではないかと思うのですが(勿論、時代はどんどん変わっていることでしょうが)。
(注6)あるいは、彩子が無断で家を飛び出してしまったために、赤池家の親類筋とは縁が切れてしまっているのかもしれません。ただ、その場合には、埋葬許可証があるとしても、どこのお墓に入れるというのでしょう?
(注7)勿論、これは単なる言いがかりであり、本作の場合、ロケ地が山梨県都留市であっただけのことであり、麦子が降り立つ「五藤町」が山口県にあっても、あるいは鹿児島県にあっても何らおかしくありません!
(注8)例えば、麦子が「うるさい」と言って投げつけて壊してしまった目覚まし時計は、彩子が東京へ行く際にその親が持たせたものであることを、タクシー運転手・井本の話から知った時など。
(注9)例えば麦子は、母親(ふせえり)を突き飛ばした旅館の息子を詰ったり、また大阪に子どもを残して「五藤町」にいるミチルは、「いろいろ事情がある」と言ってその子どもに会おうとしませんが、それに対して麦子は、「そんなことは子どもと関係がない、どうして会ってやらないのか」と非難したりするようになります。
(注10)なお、突然家に飛び込んできた彩子に対して、一定の記憶を持つ憲男の方は(そればかりか、彩子からの仕送りを受け取っても来たのです)、表向きは「ババア」と言ったり、彩子が死んだことにつき「まあ、ざまーみろ、だよな」と言ったりしていますが、遺骨となった彩子に向かって涙を流しもするのです。
★★★☆☆☆
象のロケット:麦子さんと
(1)昨年11月に見た『ばしゃ馬さんとビッグマウス』の吉田恵輔監督の続けての作品ということで見に行ってきました。
物語は、主人公の小岩麦子(堀北真希)が、兄の憲男(松田龍平)と二人で一緒に住んでいるところに(父親は3年前に亡くなりました)、ある日突然母親の赤池彩子(余貴美子)が舞い戻ってきます。彩子は、麦子が生まれるとすぐに家を飛び出してしまったために、麦子には母親の記憶がありませんから、母親だと言われてもとても受け入れ難く感じてしまいます。
にもかかわらず、憲男が女と同棲することになり家を出ると、家には麦子と彩子の二人きりになってしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/84/ae6d955d33434b00c9e8eb2595195de6.jpg)
それでもなんとかやっていたところ、ある日彩子は急死してしまいます(実は末期癌だったのを隠していたのです)。そこで、麦子は、お墓に納骨するために母親の遺骨を持ってその郷里に行きますが、そこで麦子を待ち受けていたものは、………?
亡くなった母親の若い時分の思いを娘が次第に理解していくというありがちなストーリーながらも、主役の堀北真希の好演や、脇を支える俳優陣の多彩さもあって(注1)、まずまずの仕上がりを見せている作品だなと思いました。
(2)前作の『ばしゃ馬さんとビッグマウス』と比べると、前作の主人公・みち代が脚本家志望一本なのに対し、本作の麦子はいろいろ挑戦している点が違いますが、二人ともうまくいかない(あるいは、うまくいきそうにない)点で共通しているでしょう。
さらにまた吉田恵輔監督作品で特徴的な常識はずれの登場人物に関しては(注2)、前作のビッグマウスの天童と本作の彩子とが、もしかしたら共通するといえるかもしれません。なにしろ、天童は脚本を書く前から自信たっぷりな話し方をする男ですし、彩子は20年ほどして突如として「一緒に暮らせば、楽になると思って」などと言って麦子と憲男の家の中に入り込んでいくのですから。
でも、そうは言っても両作の雰囲気はまるで違う感じです。
前作は、10年以上東京でプロの脚本家になるべく頑張ってきたみち代が、ついに挫折して故郷に戻るという話なのに対して、本作は母親の死をきっかけにしてその故郷に行った麦子が、再び東京に戻って声優を目指して頑張ろうとする話で、ベクトルの向きが反対なのですから。
それに、みち代と麦子とは一世代ほども歳の差があるのです。
あるいは、みち代が故郷に戻らずにそのまま東京に残って、例えば元役者志望で介護士の松尾と結婚して子どもをもうけるものの、やはり上手く行かず家を飛び出してしまうということにもなれば、彩子と麦子の関係に似てくるかもしれません。
とはいえ、『赤いスイートピー』を歌う松田聖子に憧れて歌手になろうと上京する彩子と、プロの脚本家になろうとして上京するみち代とは時代がまるで違い(30年以上の間隔)、仮にみち代の子どもがみち代の故郷に行くにしても、この映画のようなことは何も起こらないことでしょう!
なお、細かいことを言えば色々問題点はあるでしょう。
例えば、いくら母娘だからといって、見間違えるほど顔つきが似るものでしょうか(注3)?よく、娘の方には父親の要素が入り込むことが多いなどと言われますし。
そういえば、本作において、麦子や憲男の父親はどこに行ってしまったのでしょう?ストーリー上3年前に死んだことになっていますが、その痕跡がマッタク感じられないのです。死んで3年もしたら、父親というものは完全に忘れられた存在になってしまうのでしょうか?
それから、麦子は母親の遺骨を持って故郷に行くわけですが、それは父親が眠る小岩家のお墓がある田舎ではなく、母親の方の赤池家がある田舎なのでしょう。
その場合、どうして母親の親類縁者などが登場してこないのでしょうか?母親の故郷で麦子の面倒を見るのは、彩子のことをよく知る同年輩の面々ばかりです(注4)。
特に、麦子が埋葬許可証の届くまで過ごすのが、赤の他人のミチル(麻生祐未)というのも唐突な感じです(注5)。常識的には、赤池家の誰かが面倒を見るものではないでしょうか(注6)?
さらには、麦子が田舎を歩いている時の背景に中央高速が映るシーンがあります。仮に田舎が山梨県だとしたら、麦子は、埋葬許可証が届くのを田舎で数日待つということをせずとも、一旦東京に戻れたはずですが(注7)。
でも、そんなあれこれはごくごく些細なことに過ぎません。
本作は、突然家に現われた彩子に対し、「私、あんたのこと母親と思っていないから」との激しい言葉をぶつけてしまった麦子が、彩子が故郷の皆から愛された一人の人間であることを見出して(注8)、次第に彼女を母親として受け入れていくという物語であり(注9)、そのことを感じ取ると、つまらないことはどうでも良くなってきます。
としても、23歳の麦子の携帯の相手の男性が憲男に過ぎず(注10)、また彩子が麦子のためにお金を残してくれたことを喜んでいるようでは、麦子の将来もまだまだであり、好きな彼氏ができ、さらには彩子がどういう経緯で父親と一緒になって自分を生むに至ったのかということに向き合わないと、麦子にさらなる飛躍は望めないような気もするのですが。
(3)渡まち子氏は、「不満点は多い。それでも娘が母を理解し、母親に対して素直になりたかった自分を発見する姿は、心温まる。オフビートな笑いの中にちょっぴり涙。ユルいムードを楽しんで見てほしい」として60点をつけています。
また相木悟氏は、「チクリと毒の効いた内容ながら、心地良い余韻を残すハートフルな一品であった」と述べています。
(注1)最近では、堀北真希については『県庁おもてなし課』、松田龍平については『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』、余貴美子については『横道世之介』で、それぞれ見ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5d/09c9296de48a91021a3a8956798ebcb1.jpg)
(注2)『さんかく』についてのエントリの(2)で触れましたように、吉田恵輔監督作品としては、これまで『ばしゃ馬さんとビッグマウス』、『さんかく』、『純喫茶磯辺』のほかに、DVDで『机の中』を見てきましたが、今回の作品と合わせて、もうひとつ残っている『なま夏』をDVDで見てみました。
この作品は、吉田監督が初めて監督・脚本・編集を担当したエロティック・コメディーで、どうしようもない中年男(三島ゆたか)の性態について、30歳の監督がどうしてこんなにリアルに描き出せるのかと感心しました。
そして、この作品も、『さんかく』、『純喫茶磯辺』や『机の中』と同じように、常識はずれの男性主人公を中心に男女の変わった関係を描いているものといえるでしょう。
その一方で、今回作品では母娘の関係に焦点が絞られていて、特異な男女関係はマッタク描かれておらず、前作『ばしゃ馬さんとビッグマウス』同様、少し残念な気がします。例えば、本作では、故郷のタクシー運転手から「彼氏は?」と尋ねられると、麦子は「今は特に」と答えるだけで、前作で多少は描かれていた男女関係の描写が後退してしまっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/74/416ecbe0dc1e679775f617eb47770fbf.jpg)
(注3)ただ、この間たまたまTV朝日の『徹子の部屋』を見ていましたら(1月10日)、その回に登場した檀ふみが自分の母親(脳梗塞で療養中)の写真を見せていましたが、まるで瓜二つのように似ているのには驚きました!
(注4)例えば、麦子を乗せて旅館まで行くタクシーの運転手・井本(温水洋一)、その旅館の旦那(ガダルカナル・タカ)。
(注5)ミチルの勤務先が町役場だとすると、赤池家のお墓が設けられている霊園は町営のものでしょうか?ただ、田舎の場合、普通、各家はお寺の墓地にお墓を持っているのではないかと思うのですが(勿論、時代はどんどん変わっていることでしょうが)。
(注6)あるいは、彩子が無断で家を飛び出してしまったために、赤池家の親類筋とは縁が切れてしまっているのかもしれません。ただ、その場合には、埋葬許可証があるとしても、どこのお墓に入れるというのでしょう?
(注7)勿論、これは単なる言いがかりであり、本作の場合、ロケ地が山梨県都留市であっただけのことであり、麦子が降り立つ「五藤町」が山口県にあっても、あるいは鹿児島県にあっても何らおかしくありません!
(注8)例えば、麦子が「うるさい」と言って投げつけて壊してしまった目覚まし時計は、彩子が東京へ行く際にその親が持たせたものであることを、タクシー運転手・井本の話から知った時など。
(注9)例えば麦子は、母親(ふせえり)を突き飛ばした旅館の息子を詰ったり、また大阪に子どもを残して「五藤町」にいるミチルは、「いろいろ事情がある」と言ってその子どもに会おうとしませんが、それに対して麦子は、「そんなことは子どもと関係がない、どうして会ってやらないのか」と非難したりするようになります。
(注10)なお、突然家に飛び込んできた彩子に対して、一定の記憶を持つ憲男の方は(そればかりか、彩子からの仕送りを受け取っても来たのです)、表向きは「ババア」と言ったり、彩子が死んだことにつき「まあ、ざまーみろ、だよな」と言ったりしていますが、遺骨となった彩子に向かって涙を流しもするのです。
★★★☆☆☆
象のロケット:麦子さんと
吉田監督がいくら強気でも、『なま夏』で蒼井そらが演じた役を堀北真希のところへは持っていかないでしょう。特に、ラストの病院でのシーンを彼女が演じでもしたら、日本中がひっくり返ってしまうことでしょう!
母からの仕送りもありましたが、バイト生活とはいえ、萌えキャラグッズ集め、パチンコ台収集が趣味では到底苦労しているようには見えませんでした。
監督や脚本家が考えた「複雑な家庭事情」ってせいぜいこの程度なのかな、と思いました。
言及されていますが、母が上京後、挫折して夢をあきらめ麦子らを産むに至った経緯が全く見えず、父との離別の経緯もあいまいで、設定の肉付けと言うか、掘り下げ不十分に思います。
ところで墓の事ですが、実家の墓を長い間「寺墓」と思っていましたが、元々は「村墓」と呼ばれる村落の共同墓地だったらしいことがわかりました。
それ以上深く調べていませんが、墓にもいろいろあるようです。
本作はなかなかよくできているとは思いますが、おっしゃるように、細部になると全体的に「掘り下げ不十分」な感じがしてしまいます。
なお、江戸時代の宗門改以来、田舎における宗教的な事柄は、総じて寺の支配下に入っているのではと思っていたのでエントリのように書いたのですが、おっしゃるように、実際には様々な形態をとっているのですね。
貴重な情報をありがとうございます。