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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

トランス

2013年10月23日 | 洋画(13年)
 『トランス』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)予告編で見て面白そうだと思って映画館に行ってきました。

 本作のはじめの方では、競売人で主人公のサイモンジェームズ・マカヴォイ)の口から、彼が関与するオークション会場の警備の完璧さについて語られます。



 特にその日は、ゴヤの傑作『魔女たちの飛翔』がオークションに掛けられるのです。
 ところが、その作品に約40億円もの最高値が付けられた瞬間に、会場に強盗団によって催涙ガス弾が投げ込まれ、人々はパニックに陥ってしまいます。
 その隙にサイモンは、予め決められていたマニュアルに従って、ゴヤの絵を地下に運びます。
 するとそこには、強盗団のボスのフランクヴァンサン・カッセル)が待ち構えていて、彼によってサイモンは殴り倒されてしまいます。
 フランクたち強盗団は、意気揚々とその場を立ち去り、アジトに戻ってゴヤの絵が入っているはずの鞄を開けると、そこには額縁だけあり中身の絵はありませんでした!



 フランクは、サイモンが何か工作したに違いないと考え、彼を傷めつけるものの、フランクに殴られた際に記憶を喪失してしまったようなのです。
 そこで、フランクらは、催眠療法士のエリザベスロザリオ・ドーソン)を使って、サイモンの記憶を蘇らそうとしますが、果たしてうまくいくのでしょうか、………?



 本作は、中心的な3人の登場人物の位置関係がめまぐるしく変化し、おまけに現実と過去の映像とか想像の映像などが飛び交ったりするため、観る者を酷く混乱させます。でもそんな渦の中で色々考えたりすることがこの作品の面白さだといえるでしょう(注1)。

(2)これ以上はネタバレなしに進めません。でも、本作はサスペンス映画ですから、そんなことをすると面白さが消えてしまいます。本作をまだご覧になっていない方は、以下(特に下記の「注」)を読まれずに、まず映画館に行かれることをお勧めいたします。

 本作については、エリザベスが施す催眠療法の役割を誇大に取り扱いすぎているのが問題では、といえるかもしれません(注2)。
 いくらサイモンが、それに敏感に反応する稀有な人間だとしても(映画の中では、人口の5%がそうした人間だとされています)、エリザベスが自在にサイモンの記憶を操ったり、あるいは行動を指示したりできるというのは(注3)、リアルなことなのか随分と疑わしい感じがしてしまいます。
 とはいえ、これは娯楽映画であり、何であっても構わないといえば構わないわけで、本作はそれが可能であるという設定で作られたものなのですから、あまりその点にこだわっても無意味でしょう。

 としても、そのような強力な催眠療法という武器を使って、エリザベスは、果たして何を得たと言うのでしょう?結局彼女は、ベッドを共にした2人の男、サイモンとフランクとは一緒にはなりません。エリザベスは、どうやら、男の愛よりもゴヤの『魔女たちの飛翔』自体が欲しかったような映画の描きぶりです(注4)。
 でも、その絵の資産価値は莫大なものとしても、それを自分の部屋に飾っておく限りは、何らの価値も生み出しません。そして、それを第三者に売却しようとすれば、裏世界に通じたフランクにすぐに嗅ぎつかれてしまうのではないでしょうか?

 本作は、ラストで、エリザベスの笑っている顔がipadのディスプレイに映しだされている画像で終りますが、酷く虚しい感じを観る者に覚えさせてしまいます(注5)。

(3)渡まち子氏は、「記憶をテーマにしたスタイリッシュなクライム・サスペンス「トランス」。多彩な引き出しを持つダニー・ボイルらしい不思議な陶酔感が残る作品」として70点をつけています。
 また相木悟氏は、「現に、突っ込みどころ満載ではあるものの、一通りラストにはパズルがはまるようになっており、直線で語ればそれほど複雑な話ではない。一重にダニー・ボイルのエロティシズムやドロッとした変態&暴力性をスタイリッシュにみせきり、観る者を陶酔させる映像編集マジックの賜物といえよう」などと述べています。



(注1)主演のジェームズ・マカヴォイは、『声をかくす人』などで見ましたし、ヴァンサン・カッセルは『ブラック・スワン』で、ロザリオ・ドーソンは『アンストッパブル』で見ました。

(注2)本作について、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」の中で、ダニー・ボイル監督は、「人の心は、映画で探求するにはおもしろい題材だ。意識と無意識のどちらが人の心を支配するのかという大きな疑問を突き詰めたかった」云々と語っています。要すれば、本作のテーマは「潜在意識」ということになるでしょうが、実際には、催眠療法で弄ばれる人間が描かれているのであって、潜在意識そのものが取り上げられているわけではないのでは、と思われるところです〔本作で取り上げられているのは、どれも明確な意識であり、直ちには判別しがたい潜在意識(例えば、幼い時に被った性的トラウマ)ではないように思われます〕。

(注3)実は、サイモンは、以前エリザベスと恋人関係にあったのです。サイモンは、ギャンブル依存症を治療してもらいにエリザベスのクリニックに行き、それは治ったものの、治療の過程で彼女と愛人関係となります。
 ただ、サイモンの愛が度を越して、嫉妬の余りエリザベスに暴力を加えるようになったため、エリザベスは、自分についての記憶をサイモンの脳内から消去するとともに、以前のギャンブル依存症に戻してしまいます〔本作が監督の言うように潜在意識を問題にしているとしたら、エリザベスは、サイモンのギャンブル依存症とかDV(もっと言えば、彼の愛好する女性の特質)の原因こそをまずもって探るべきだったのではないでしょうか?〕。
 その結果、サイモンは借金がかさみますが、その借金を肩代わりしてくれたのがフランク。それでサイモンは強盗団に加わることとなり、事件の時も、彼は手にした鞄を直ちにフランクに渡す手はずになっていました。
 それをそうせずにサイモンがフランクに抵抗したのは、………?(下記の「注5」を参照)

 これで見ると、エリザベスは、サイモンの脳から自分の記憶を消去したり、ギャンブル依存症から彼を救い出したり再度そこに陥れたりするなど、自由自在に人間を操ることができるような極めて高度の催眠療法を身につけているようです。

(注4)エリザベスは、人を殺してまでも、とにかくその絵を自分の手元に置きたかったようなのですが、どうしてでしょう、本作ではうまく説明されていなかったように思います。
 エリザベスは、熱心な絵画のコレクターではなさそうですし、資産の運用先として絵画を考えているようなビッグな資産家でもなさそうです。
 ただ、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」の中で、ダニー・ボイル監督は「『魔女たちの飛翔』では、布を頭からかぶった男がいる。あれはサイモンというキャラクターそのものだと強く感じた」と述べているところからすると、あるいはエリザベスは、殺してしまったサイモンをまだ愛していて、彼を手元に置いておきたかったのだ、ということが考えられるかもしれません。
 でもそのくらいのことなら、複製画でも十分なのではとも思われますが(サイモンについて代用品で構わないわけですから)。

(注5)本作でよくわからない点の一つは、エリザベスのラストの説明で、サイモンに、ゴヤの絵を盗んだら自分のところに持ってくるように暗示をかけたとされていることを巡るものです。
 フランクに鞄を渡すときに抵抗したのは、サイモン自身としては、すぐに渡せば自分は事情を知るものとしてその場で撃ち殺されてしまうだろうと思ったからだと考えているようです。
 ですが、実はサイモンは、事件が起こった際にその絵を自分が着ているスーツの下に周到に隠しているのです。それはエリザベスの暗示に基づく行為だと考えられます。それで、鞄を開けようとするフランクに電気ショックで抵抗したものと思われます。
 現に、サイモンがオークション会場を出たら、エリザベスからメールが入り、そこには「brought it to me」と記されていました。
 でも、エリザベスは、一体いつの時点で、絵画強奪の計画を知り、そんな暗示を予めサイモンにかけることが可能だったのでしょう?
 というのも、エリザベスは、それ以前に、サイモンから自分の記憶を消去して、彼を賭博場に送り込んでいるわけで、その後絵画強奪計画の情報がサイモンからエリザベスのもとに入るとも思えないのです(フランクと通じたのも、強奪が行われてからのことではないでしょうか)。
 あるいは、先のメールは、サイモンの記憶違いで、事件後に送られてきたものなのでしょうか?



★★★☆☆



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