『ツレがうつになりまして。』を渋谷TOEIで見てきました。
(1)現代病と言われるうつ病を巡る映画にもかかわらず、宮崎あおいと堺雅人とのコンビが絶妙で、実に清々しい気分で映画館を後にすることができました。
映画では、外資系ソフト会社のサポートセンターで懸命に働く夫・ツレ(堺雅人)―結婚5年目―が、睡眠不足気味になり、食欲不振や体のダルさを訴えるようになり、いつも自分で支度している弁当が作れなくなって、妻・ハルさん(宮崎あおい)の勧めで心療内科を訪れると、医師から「典型的なうつ病ですね」と言われてしまいます。
ツレは、病院に通って薬をもらいながら仕事は続けるものの(注1)、通勤電車に乗り込めず、また駅のトイレで吐いてしまったりします。それで、とうとうハルさんから、「会社辞めないなら離婚する」といわれてしまい、ついに退職届を出す羽目になります。
実は、ハルさんは、結婚するときに、ツレから「君にはマンガの才能がある。君がマンガを描けば、面倒は僕がみる」と言われていました。それでこれまで、好きなようにハルさんはマンガを描いてきたのですが、どうもうまくいかず先細りです。まさにそういう厳しい時にツレが会社を辞めたのですから、家計は火の車(貯金が26万円に!)。
そこで、ハルさんは、心機一転、自ら進んで「ツレがウツになりまして。仕事をください」と出版社にかけあいに行きます。
そこらあたりから、この物語にも幾分か光明が開けてきます(注2)。
といっても、この映画では、うつ病を巡る様々の大変な状況が描かれていることは確かですが、それもさることながら、そして、実際のうつ病は映画で描かれているよりズット大変なものだ、とかなんとか議論するよりも、むしろ世にも稀な夫婦関係の有様を描いたものと受け取った方がいいのでは、と思いました。
冒頭に申し上げたように、とにかく宮崎あおいと堺雅人とのコンビが絶妙なのです。
とりわけ、宮崎あおいの演技が素晴らしいと思いました。うつ病になっても、家族にこんな風に対応してもらえるのであれば、むしろうつ病になってもいいかなと思うくらいです。
また、堺雅人も、『武士の家計簿』で仲間幸紀恵と夫婦を組んでいましたが、本作の夫婦関係の方がずっとしっくりいっているような感じを受けます。
(2)ところで、ツレの病気について、劇場用パンフレットには、「心因性うつ病」との記載があります。ですが、Wikipediaの「うつ病」の項によれば、これは「古典的分類」であり、そこでは「「心理的誘因が明確でない内因性うつ病」と、「心理的誘因が特定できる心因性うつ病」の二分法が中心となっている。狭義には前者が“うつ病”とされ、心因性のものは“適応障害”などに分類されることが多い」とされていたりします。
また、昔から、うつ病は一般に、医師によって処方される薬をきちんと飲み続けていれば治る病気であり、またうつ病患者に対しては「がんばれ」などといった言葉はかけない方が良いと、されてきました。
ところが、このところ、抗うつ剤には副作用があることがしばしば言われるようになりました(注3)。
さらに、劇場用パンフレットに掲載されているメディカルケア虎ノ門の五十嵐良雄院長のインタビュー記事によれば、「「がんばれ」という言葉をかけてはいけないというのではなく、はげましていい時期、はげましてはいけない時期があ」るとのこと(注4)。
世間に流布しているうつ病関係の記述とか常識には疑わしい点(あるいは単純過ぎる面)がある感じで、素人判断はどうも禁物のようです。
(3)この映画は、前回取り上げた『家族X』との関係でとらえてみても面白いのではと思いました。
その映画では家族が崩壊している様子が丹念に描き出されているのですが、そうなった原因の一つが家の間取りではないかとも考えられるのです。家の間取りから、台所や居間にいることの多い母親と、全く顔を合わせることなく父親や長男は家の出入りができるのです。これでは、相互のコミュニケーションがなくなってしまうのも不思議ではありません。
逆に、この映画では、一昔前まで普通に見られた和風の平屋の間取りとなっています(この家の間取りも、『家族X』と同じように、劇場用パンフレットに掲載されています!)。それぞれの部屋が単に横につながっていて、庭に面した方に縁側があり、家族の動きがどこにいてもすぐに分かる感じがします。それに家の中が畳敷きですから、どこでもゴロンと寝そべることができますし、天気のいい日には縁側で日向ぼっこもできます(注5)。
こんな昔風の温かい雰囲気の家屋なら、『家族X』の橋本家のような事態にはならなかったのでは、と思えてくるところですし、他方、逆に本作ではどうしてツレはうつ病になど罹ってしまったのだろうか、と不思議に思えてもきます。
もしかしたら、外資系ソフト会社の苦情処理係というまるで違った雰囲気の職場(ある意味で、現代最先端の職場でしょう)に毎日通うものですから、その大きな落差にツレの精神が耐えることができなかったのではないか、とも考えられます。仮にそうだとしたら、ハルさんが、ツレに会社を辞めてもらったのは正解と言うべきでしょう。こうした温々した家屋にいる時間が長ければ長いほど、その病気は治ってくるのではないかと考えられますから。
なお、原作は住まいの状況を明確に描いていないところ、映画では、監督の意向から、むしろ積極的にこうした作りの家屋に彼らを住まわせることとしたようです。劇場用パンフレットによれば、佐々部清監督は、「日本家屋にこだわった理由は、人間とイグアナと床との距離感を近くすることで埼家の温かさをより表現できると考えたから」であり、「「どこかで『東京物語』がやりたかったんですよね。だから、笠智衆さんと東山千栄子さんがぽつんといるようなあの縁側も必要だった」という監督の希望」を美術監督が叶えたからだとされています(注6)。
とはいえ、こうした作りの家に今でもまだ若い夫婦が暮らしているなどとは、あまり考えられないのでは、と思ってしまいます(無論、内装等はセットとはいえ、類似の外観を持った家が見つかってロケしているところからすれば、あり得ないことではないでしょうが)。
あるいはこれは、最近見た『神様のカルテ』の「御嶽荘」と類似するものと考えられるかもしれません(なにしろ、そこでは宮崎あおいが“ハル”として、櫻井翔のイチと暮らしてもいるのですから!)。
となると、「御嶽荘」についてクマネズミが思ったように、この埼家も夢の中の家、幻想の家とみなすことも可能ではないでしょうか(なにしろ、イグアナが徘徊し、CDではなくレコードがいまだに掛けられている家なのです!)?
誰の?ハルさんの夢としても構わないでしょうが、ツレの幻想としてみたらどうでしょうか。会社を辞めるにやめられずに思い悩んでいる時の夢としても、ビルの屋上から飛び降りたときに頭の中を駆け巡った幻想としても(こんなふうにこの家でうつ病が治っていけばいいな、という願望の表れとしての夢とか幻想として)、もしかしたら面白いのではないでしょうか?
(4)渡まち子氏は、「この映画では、心因性うつ病を“宇宙かぜ”と呼ぶ。現代の社会問題であるうつ病には、実際にはより重い側面もあろう。だが、あえて深刻ぶらずに描き、上手な付き合い方をエッセイ風に指南する軽やかさが心地よかった」として65点をつけています。
また、福本次郎氏は、「痛かったり辛かったりといった肉体的な苦しさではなく、頭に霞がかかって思考力が衰え何をするにも体がだるい。映画は、そんな夫と暮らす妻の視線で、うつ病患者との距離の取り方を手探りで模索」し、「ツレを通じて晴子もまた成長していく姿がいとおしくなるほどの温かさに包まれた作品だ」として50点をつけています。
(注1)ツレは、この段階では、「自分が休むと、会社の同僚に迷惑をかけてしまう。自分の体のことは自分が一番よく知っている。だから大丈夫」などと、よく誰もが口にする言葉を吐いています。
さらにツレは、職場の上司に、うつ病であることを告げると、上司は、「こんな忙しいとみんながうつ病なんだよ。泣き言など言わないで、リストラされたやつの分もがんばってくれよ」とニベもありません(社会の状況がまだまだこんなだから、原作者もこうしたコミック・エッセイを書いたのでしょう)。
(注2)原作では、ツレの日記を読んで初めて、ツレが自殺しようとしていた事実を知ったとありますが〔細川貂々著『ツレがウツになりまして。』(幻冬舎文庫)P.63〕、映画ではツレの自殺未遂の場面(ハルさんが駆けつけて事なきを得ます)が一つの山場として描かれています。
(注3)Wikipediaの「抗うつ剤」の項には、「年齢に関わりなく、抗うつ薬(特にSSRI)の処方開始直後に、未遂を含めた自殺のリスクが上昇するという報告があり、アメリカ食品医薬品局(FDA)から警告が発せられた」との記述があります。
また、このサイトの記事は、D.ヒーリー著(田島治監修)『抗うつ薬の功罪』(みすず書房、2005年)からの引用が掲載されています。
さらに、NHKTVでもこうした関係の番組が放送されました。
(注4)また、たとえばこのサイトの記事によれば、「普通のうつ病(定型うつ病)では、とにかくゆっくりと体を休め、休養をとることが必要。周囲の人が「がんばれ」と言葉をかけたり、励ますと、本人が自分自身を追い込んでしまうため、よくありません」が、「非定型うつ病の場合は、少し励ますことがかえって本人のためになります」とのこと。
なお、原作においても、「PART4」のタイトルが「少しずつ、上を向いてあるこう」となっていて、「その1」から11回にわたり、次第にツレの病状が改善していく様子が描かれています。たとえば、「その2」ではツレが、「電車……乗れるようにがんばってみるよ」と言い出します(実際にはこの段階では、未だ無理でしたが)。そして、「その7」になるとツレは、「今年の確定申告はボクがやるよ。がんばってみるよ」と言います(実際にもやり遂げました)。
(注5)宮崎あおいが“月子”の役で出演した『オカンの嫁入り』の舞台となった家屋とも類似しています〔『家族X』についての記事の(2)でも触れましたが〕。
(注6)『東京物語』との関連性で言えば、ハルさんの実家の大杉連と余貴美子の床屋は、杉村春子の美容室(夫は中村伸郎)に相当するのかもしれません。
ちなみに、『私が結婚できるとは―イグアナの嫁2』(幻冬舎文庫)によれば、少なくとも母親は「フツーの専業主婦」とのこと(p.24)。本作のような設定にしたのには、監督の意向が強く働いているのではないでしょうか?
★★★★☆
象のロケット:ツレがうつになりまして。
(1)現代病と言われるうつ病を巡る映画にもかかわらず、宮崎あおいと堺雅人とのコンビが絶妙で、実に清々しい気分で映画館を後にすることができました。
映画では、外資系ソフト会社のサポートセンターで懸命に働く夫・ツレ(堺雅人)―結婚5年目―が、睡眠不足気味になり、食欲不振や体のダルさを訴えるようになり、いつも自分で支度している弁当が作れなくなって、妻・ハルさん(宮崎あおい)の勧めで心療内科を訪れると、医師から「典型的なうつ病ですね」と言われてしまいます。
ツレは、病院に通って薬をもらいながら仕事は続けるものの(注1)、通勤電車に乗り込めず、また駅のトイレで吐いてしまったりします。それで、とうとうハルさんから、「会社辞めないなら離婚する」といわれてしまい、ついに退職届を出す羽目になります。
実は、ハルさんは、結婚するときに、ツレから「君にはマンガの才能がある。君がマンガを描けば、面倒は僕がみる」と言われていました。それでこれまで、好きなようにハルさんはマンガを描いてきたのですが、どうもうまくいかず先細りです。まさにそういう厳しい時にツレが会社を辞めたのですから、家計は火の車(貯金が26万円に!)。
そこで、ハルさんは、心機一転、自ら進んで「ツレがウツになりまして。仕事をください」と出版社にかけあいに行きます。
そこらあたりから、この物語にも幾分か光明が開けてきます(注2)。
といっても、この映画では、うつ病を巡る様々の大変な状況が描かれていることは確かですが、それもさることながら、そして、実際のうつ病は映画で描かれているよりズット大変なものだ、とかなんとか議論するよりも、むしろ世にも稀な夫婦関係の有様を描いたものと受け取った方がいいのでは、と思いました。
冒頭に申し上げたように、とにかく宮崎あおいと堺雅人とのコンビが絶妙なのです。
とりわけ、宮崎あおいの演技が素晴らしいと思いました。うつ病になっても、家族にこんな風に対応してもらえるのであれば、むしろうつ病になってもいいかなと思うくらいです。
また、堺雅人も、『武士の家計簿』で仲間幸紀恵と夫婦を組んでいましたが、本作の夫婦関係の方がずっとしっくりいっているような感じを受けます。
(2)ところで、ツレの病気について、劇場用パンフレットには、「心因性うつ病」との記載があります。ですが、Wikipediaの「うつ病」の項によれば、これは「古典的分類」であり、そこでは「「心理的誘因が明確でない内因性うつ病」と、「心理的誘因が特定できる心因性うつ病」の二分法が中心となっている。狭義には前者が“うつ病”とされ、心因性のものは“適応障害”などに分類されることが多い」とされていたりします。
また、昔から、うつ病は一般に、医師によって処方される薬をきちんと飲み続けていれば治る病気であり、またうつ病患者に対しては「がんばれ」などといった言葉はかけない方が良いと、されてきました。
ところが、このところ、抗うつ剤には副作用があることがしばしば言われるようになりました(注3)。
さらに、劇場用パンフレットに掲載されているメディカルケア虎ノ門の五十嵐良雄院長のインタビュー記事によれば、「「がんばれ」という言葉をかけてはいけないというのではなく、はげましていい時期、はげましてはいけない時期があ」るとのこと(注4)。
世間に流布しているうつ病関係の記述とか常識には疑わしい点(あるいは単純過ぎる面)がある感じで、素人判断はどうも禁物のようです。
(3)この映画は、前回取り上げた『家族X』との関係でとらえてみても面白いのではと思いました。
その映画では家族が崩壊している様子が丹念に描き出されているのですが、そうなった原因の一つが家の間取りではないかとも考えられるのです。家の間取りから、台所や居間にいることの多い母親と、全く顔を合わせることなく父親や長男は家の出入りができるのです。これでは、相互のコミュニケーションがなくなってしまうのも不思議ではありません。
逆に、この映画では、一昔前まで普通に見られた和風の平屋の間取りとなっています(この家の間取りも、『家族X』と同じように、劇場用パンフレットに掲載されています!)。それぞれの部屋が単に横につながっていて、庭に面した方に縁側があり、家族の動きがどこにいてもすぐに分かる感じがします。それに家の中が畳敷きですから、どこでもゴロンと寝そべることができますし、天気のいい日には縁側で日向ぼっこもできます(注5)。
こんな昔風の温かい雰囲気の家屋なら、『家族X』の橋本家のような事態にはならなかったのでは、と思えてくるところですし、他方、逆に本作ではどうしてツレはうつ病になど罹ってしまったのだろうか、と不思議に思えてもきます。
もしかしたら、外資系ソフト会社の苦情処理係というまるで違った雰囲気の職場(ある意味で、現代最先端の職場でしょう)に毎日通うものですから、その大きな落差にツレの精神が耐えることができなかったのではないか、とも考えられます。仮にそうだとしたら、ハルさんが、ツレに会社を辞めてもらったのは正解と言うべきでしょう。こうした温々した家屋にいる時間が長ければ長いほど、その病気は治ってくるのではないかと考えられますから。
なお、原作は住まいの状況を明確に描いていないところ、映画では、監督の意向から、むしろ積極的にこうした作りの家屋に彼らを住まわせることとしたようです。劇場用パンフレットによれば、佐々部清監督は、「日本家屋にこだわった理由は、人間とイグアナと床との距離感を近くすることで埼家の温かさをより表現できると考えたから」であり、「「どこかで『東京物語』がやりたかったんですよね。だから、笠智衆さんと東山千栄子さんがぽつんといるようなあの縁側も必要だった」という監督の希望」を美術監督が叶えたからだとされています(注6)。
とはいえ、こうした作りの家に今でもまだ若い夫婦が暮らしているなどとは、あまり考えられないのでは、と思ってしまいます(無論、内装等はセットとはいえ、類似の外観を持った家が見つかってロケしているところからすれば、あり得ないことではないでしょうが)。
あるいはこれは、最近見た『神様のカルテ』の「御嶽荘」と類似するものと考えられるかもしれません(なにしろ、そこでは宮崎あおいが“ハル”として、櫻井翔のイチと暮らしてもいるのですから!)。
となると、「御嶽荘」についてクマネズミが思ったように、この埼家も夢の中の家、幻想の家とみなすことも可能ではないでしょうか(なにしろ、イグアナが徘徊し、CDではなくレコードがいまだに掛けられている家なのです!)?
誰の?ハルさんの夢としても構わないでしょうが、ツレの幻想としてみたらどうでしょうか。会社を辞めるにやめられずに思い悩んでいる時の夢としても、ビルの屋上から飛び降りたときに頭の中を駆け巡った幻想としても(こんなふうにこの家でうつ病が治っていけばいいな、という願望の表れとしての夢とか幻想として)、もしかしたら面白いのではないでしょうか?
(4)渡まち子氏は、「この映画では、心因性うつ病を“宇宙かぜ”と呼ぶ。現代の社会問題であるうつ病には、実際にはより重い側面もあろう。だが、あえて深刻ぶらずに描き、上手な付き合い方をエッセイ風に指南する軽やかさが心地よかった」として65点をつけています。
また、福本次郎氏は、「痛かったり辛かったりといった肉体的な苦しさではなく、頭に霞がかかって思考力が衰え何をするにも体がだるい。映画は、そんな夫と暮らす妻の視線で、うつ病患者との距離の取り方を手探りで模索」し、「ツレを通じて晴子もまた成長していく姿がいとおしくなるほどの温かさに包まれた作品だ」として50点をつけています。
(注1)ツレは、この段階では、「自分が休むと、会社の同僚に迷惑をかけてしまう。自分の体のことは自分が一番よく知っている。だから大丈夫」などと、よく誰もが口にする言葉を吐いています。
さらにツレは、職場の上司に、うつ病であることを告げると、上司は、「こんな忙しいとみんながうつ病なんだよ。泣き言など言わないで、リストラされたやつの分もがんばってくれよ」とニベもありません(社会の状況がまだまだこんなだから、原作者もこうしたコミック・エッセイを書いたのでしょう)。
(注2)原作では、ツレの日記を読んで初めて、ツレが自殺しようとしていた事実を知ったとありますが〔細川貂々著『ツレがウツになりまして。』(幻冬舎文庫)P.63〕、映画ではツレの自殺未遂の場面(ハルさんが駆けつけて事なきを得ます)が一つの山場として描かれています。
(注3)Wikipediaの「抗うつ剤」の項には、「年齢に関わりなく、抗うつ薬(特にSSRI)の処方開始直後に、未遂を含めた自殺のリスクが上昇するという報告があり、アメリカ食品医薬品局(FDA)から警告が発せられた」との記述があります。
また、このサイトの記事は、D.ヒーリー著(田島治監修)『抗うつ薬の功罪』(みすず書房、2005年)からの引用が掲載されています。
さらに、NHKTVでもこうした関係の番組が放送されました。
(注4)また、たとえばこのサイトの記事によれば、「普通のうつ病(定型うつ病)では、とにかくゆっくりと体を休め、休養をとることが必要。周囲の人が「がんばれ」と言葉をかけたり、励ますと、本人が自分自身を追い込んでしまうため、よくありません」が、「非定型うつ病の場合は、少し励ますことがかえって本人のためになります」とのこと。
なお、原作においても、「PART4」のタイトルが「少しずつ、上を向いてあるこう」となっていて、「その1」から11回にわたり、次第にツレの病状が改善していく様子が描かれています。たとえば、「その2」ではツレが、「電車……乗れるようにがんばってみるよ」と言い出します(実際にはこの段階では、未だ無理でしたが)。そして、「その7」になるとツレは、「今年の確定申告はボクがやるよ。がんばってみるよ」と言います(実際にもやり遂げました)。
(注5)宮崎あおいが“月子”の役で出演した『オカンの嫁入り』の舞台となった家屋とも類似しています〔『家族X』についての記事の(2)でも触れましたが〕。
(注6)『東京物語』との関連性で言えば、ハルさんの実家の大杉連と余貴美子の床屋は、杉村春子の美容室(夫は中村伸郎)に相当するのかもしれません。
ちなみに、『私が結婚できるとは―イグアナの嫁2』(幻冬舎文庫)によれば、少なくとも母親は「フツーの専業主婦」とのこと(p.24)。本作のような設定にしたのには、監督の意向が強く働いているのではないでしょうか?
★★★★☆
象のロケット:ツレがうつになりまして。
宮崎あおいは『おかんの嫁入り』で、ツレと同じく電車に乗れない人を演じてましたね。あれも電車に乗れる、乗れないが一大事だったので、ツレが電車に乗ることの大変さが後半で割と軽くスルーされた感もあります。
ただ、「あんな裕福そうな日本家屋に住みやがって」とありますが、あのようなところに結婚5年目の若夫婦が住むことなどあまり考えられないことを考えると、なんだか監督は、自分独自のファンタジックな世界を作ろうとしているのでは、と思えてきます(「どこかで『東京物語』がやりたかったんですよね」という時代錯誤とも受け取れることを言っているのも、そうしたことの表れではないでしょうか?)。
また、「ツレが電車に乗ることの大変さが後半で割と軽くスルーされた感」とありますが、原作でも2回目にはスムーズに乗れているので、監督はここではツレが回復している感じを出したかったかったのではないでしょうか?
コメントありがとうございました。
ご質問いただいた“家”の件です。
もしも、あの家が
もっと現代的な、
たとえば1980年代の打ちっぱなしのコンクリートのような冷たく無機質なものだったら、
ツレのうつもさらに悪化したやもしれません。
あんな空間だったからこそ、まだ救われたのではないかと…。
ふたりを包む、
懐かしくもあったかい昭和の空気感が
心の治癒に一役買った…
そんな気がしました。
でも、クマネズミさんがご指摘されている
ツレの幻想、
あるいはハルさんの夢というとらえ方も興味深いです。
いずれにしろ、現実という意味のリアルではなく、
映画時空内でのリアルだという気がします。
「えい」さん、わざわざコメントをいただき、誠にありがとうございます。
おっしゃるように、あの家が「1980年代の打ちっぱなしのコンクリートのような冷たく無機質なもの」でしたら、確かに、「ツレのうつもさらに悪化したやもしれません」ね。
ただ、クマネズミの方は、今の何処にでも見かけるマンションや一戸建の家であっても、二人があのように努力すれば必ず治るはずなのに、どうしてわざわざことさらめいて和風の家にしたのかなと不思議な感じがし、イラストのキャラクターが飛び出す場面も含めて、全体をファンタジックな仕上がりにしようとしたのかな、と思った次第です。
観てみようと思いました。
得るものが色々ありそうですね。
それにしても、そもそも旦那さんがウツになっちゃったのは
なぜか、細川さんの性格を分析してるサイトを見つけました。
http://www.birthday-energy.co.jp
これによると、
「結婚することにより、病魔を発症しやすい」
らしく、
「寛解は当然のように06年」だったそうです。
シャレになってませんな・・・。
これ以上の自虐ネタは、NGかもしれません。
もちろん彼らがあんな立派な家に住んでいるのが不自然だとは思いましたが…
晴子は高校を卒業し就職したが1年ぐらいでやめカツ・モード・セミナーという専門学校(多分2年制)でマンガを勉強し結婚5年らしいので23歳ぐらいなので。
さて隣家との関係で庭の形が変則的ですが縁側のある外側には大きなプロパンのタンクがありました。そして洗濯機は家の外。恐らくは現実に誰かが住んでいる家屋でしょうが縁の下の雑物など非常にリアリティがありました。
2人が寝ころぶ四角い絨毯も夏には替えられていました。ただ当然あるはずの畳の部屋が見えなかったように思います。住所は所沢市橋本5-25-4ですが、やはり実在しないようです。
ちなみに立派なCDプレーヤーがありCDも100枚ぐらいは並んでいました。大きなスピーカーもチラっと映ったようでもありオーディオ(音楽)にはそれなりに金を掛けているようなので逆にアナログレコードも納得できます。しかしレコーダーはVHSとDVDのみでHDDもない古い機械だし映像には拘りがないようです。あと犬用のペットシーツが何度も映りますがイグアナに必要なんですかね。
どうでもいいことついでに一つ気になったのは編集者が連載打ち切りの電話連絡を目の前に電話があるのに会社から携帯でかけたこと。
いずれにしろ会社がつぶれて小畑が本屋で働くようになり髪型が変わったことや、小畑が高崎の弁当を食べるときに、まだ手を付けてないから箸を使ってない、という台詞などトリヴィアルなことも丁寧に描かれていることに好感を持ちました。
確かに、本作を見た場合、宮崎葵と堺雅人が住む日本家屋がどうしても気になるところです。そして、milouさんのコメントで、本作では「トリヴィアルなことも丁寧に描かれていること」がよく分かります。
ただ、冒頭に、「あの家の模写の正確さ(?)に目が行き、監督のこだわりを感じ」たとありますが、原作では、2人がどんな家に住んでいるのか描かれていませんから、「模写」というのは劇場用パンフレットに掲載されている図面を指しておられるのでしょうか?
また、「恐らくは現実に誰かが住んでいる家屋でしょうが」とありますが、劇場用パンフレットからすれば、あの家は、すべてセットではないかと思われます。
いえいえ、このようなブログを少し覗く程度で余程のことがないかぎり前情報同様に後情報も一切求めないのでパンフレットなど買いも立ち読みもしません(ビデオレンタルが一般化する前は採録シナリオのある単館系のパンフはよく買いましたが)。
やや書き方が中途半端でしたが“模写”ではなく“実在”でしょうか、僕は(当然部分的にセットを使うとしても)プロパンに典型的なように(映画として)何の必要もない細部に無駄な雑物が多すぎ、しかもそれがいかにも何十年と人が住んだ形跡のように感じられ(映画の)住人より“家屋”のほうにリアリティを感じたので、撮影のために現実に使われている家を借りセットでは表現できないだろう日本家屋の“実在感”に監督の“拘り”を見たわけです。
だからクマネズミさんの文章で監督が“日本家屋にこだわった”と知って“やっぱりな”と納得しました。
そうであれば例えばCDやレコードも本来の住人の好みであって主人公とは無関係でしょう。その意味でもクマネズミさんお得意の(?)“幻想”の家が正解かもしれません。
少なくとも主人公夫婦が新居として家を借りたとして5年であんなに雑物(縁の下の使ってない大量の植木鉢とか)が増えるとは思えないしセットだとしたら、まさに異常なほどの“拘り”です。
もちろん現実には僕の知人の例ですが、元の住人が数年外国へ行き留守をするため雑物まで“現況”のまま家を安く借りられた、なんてこともあるかもしれませんが…