映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

愛する人

2011年02月05日 | 洋画(11年)
 『愛する人』をTOHOシネマズシャンテで見てきました。

(1)映画の冒頭が出産シーンであり、ラスト近くでも幼い子供と一緒に戯れるシーンがあり、全体として子供を巡る物語といえますが、その場合なら常識的には、父親の存在が一番に描かれてしかるべきと思えるところ、映画はむしろ、父親を意図的に排除しようとしている(まるで「女系家族」を描いている)ようです。

 たとえば、主人公の一人カレンアネット・ベニング)は、50歳を超える今も、生まれてすぐに養子に出してしまった娘のことが絶えず気にかかります(養子先の情報は、一切教えてもらえませんから)。そのことも一因なのでしょう、一緒に暮らしている病気の母親との間もしっくりいかず、また職場(カレンは理学療法士)での人間関係も酷くギクシャクしています。



 結局、その娘は、敏腕弁護士として登場するエリザベスナオミ・ワッツ)であることがわかります。ですが、その父親は一度だけ登場するにすぎません(カレン以外の女性と結婚していて、カレンが娘に抱く思いを共有することは、土台無理な話です)。

 また、エリザベスはエリザベスで、大変自立心が高い女性として描かれ、女児を産み落とすに至るものの、そして観客にはその父親が誰だかわかるにもかかわらず、映画の中では、父親がその女児に会うことはありません(通知されないのですから)。



 さらに、映画にはもう一つのエピソードが用意されています。すなわち、ルーシーケリー・ワシントン)とジョゼフとの間には子供が出来ないために、ルーシーの強い要望で養子を引き取ろうとしますが、ルーシーの家族としてはその母親しか登場しないのです。



 こうなると、この作品は、専ら女性(母親)と子供の関係を描いたものというべきであり、その意味で原題の「Mother and Child」が適切だと言えるでしょう。

 ただそうだとすると、本作品に登場する男性はどのように描かれているのでしょうか?
 カレンは、最後には同じ職場で働くパコジミー・スミッツ)と一緒になりますが、彼は、カレンの身も蓋もない言い方・やり方(なにしろ、たとえば、パコの言い方が気に入らないと、パコを残して喫茶店を飛び出してしまうのですから)をいつも優しく受け止め、かつ適切なアドバイスまでするのです。



 また、エリザベスは、性的に大層奔放で、かつ男に縛られるのを極端に拒絶するものの、法律事務所で上司に当たるポールサミュエル・L・ジャクソン)は、暖かく手を差し伸べようとします(結局は、エリザベスはそれも拒否して、悲劇を迎えることになってしまいますが)。
 このように女性の方は、それぞれの置かれた環境にもよるのでしょう、総じて性格に歪みがあり、男性側にとって決して付き合いやすい相手ではありませんが、それぞれ女性を優しく受け止めてくれる男性を身近に置くことができています。



 ここで問題となるのは、遂にはエリザベスが生んだ女児を引き取ることになるルーシーの場合でしょう。養子を迎えることで合意しながらも、最後になって「自分と血のつながらない子供を養育するのは嫌だ」と言った夫ジョゼフと別れ(それまでの面接の場などでジョゼフは大人しく事態の推移を受け入れていたように見えていたのですが)、その女児を迎え入れるのです。
 言ってみれば、自分の意見を受け入れてくれない男性は切り捨てるということでしょうか。
 逆に、ジョゼフの行動に、従来の男性社会の片鱗がうかがわれるということなのでしょう。



 映画でカレンを演じるアネット・ベニングは、ちょうど役柄とほぼ同じ年頃だとはいえ、実に魅力的で、前半の酷くギクシャクする人間関係を演じている時も、後半の柔和さが全身に現れている時も、実に的確な演技をしています。
 ですが、本作品は、何と言ってもナオミ・ワッツでしょう。
 職場の上司であるポールと性的関係を結ぶときも、隣に住む若夫婦の夫を誘惑するときも、絶えずポジティブな姿勢をとらずにはおれない性格ながらも、盲目の少女との出会いによって次第に心が和んでくるといった極めて複雑な役柄を、文字通り体当たりで演じているのですから!

(2)この映画は、仏映画『隠された日記』と類似する点があると言えるでしょう。
 すなわち、『隠された日記』においては、祖母ルイーズ、母親マルティーヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)、それに娘オドレイという3代にわたる関係が中心的に描かれていて、本作品における祖母、カレン、それにエリザベスの関係とパラレルと見ることができます。
 さらに、『隠された日記』における娘オドレイは、母親から自立をするためにカナダで絵の勉強をしているのですが、自立心の強さの程度は違うもののエリザベスと似ていると言えなくはありません。
 また、『隠された日記』においても、男性の位置づけはかなり小さなものになっています。祖父がサスペンスの鍵を握っているものの、登場時間はごくわずかですし、父親は娘を駅に出迎えには来ますがそれほど目立ちません(何と言っても、カトリーヌ・ドヌーブの母親の存在が大きいですから)。オドレイに会いにやってくる彼氏も、結局は彼女とうまくいきませんし。
 とはいえ、『隠された日記』は、全体がサスペンス仕立てになっており、他方本作品では、専ら養子制度の下での真の母親の位置づけと言ったことが中心的な話題となっていますから、雰囲気は相当違うとも言えるでしょう(尤も、エリザベスの母親がカレンであることは、最後の方まで明示的には明かされませんから、観客にはすぐにわかるとはいえ、ある程度のサスペンス性を感じることができるかもしれません)。

 なお、『隠された日記』でも触れたように、ここでも邦画『Flowers』と比較することもできるかもしれません。どちらも女系家族を取り扱っているという点では類似しているように思われます。特に、田中麗奈が演じる「翠」が、活動的な雑誌編集者として描かれているのは、この映画におけるエリザベスに通じるものがあるかも知れません。
 とはいえ、その際にも述べたように、この邦画は、6人の女優の競演という色彩が強いこともあって、それほど参考にならないでしょう。
 といっても、この邦画に登場する男性は、「翠」の結婚相手の男性(河本準一)をはじめとして、随分と心優しい人間ばかりというのは、『愛する人』同様と思え、こういう映画作りをすると、もしかしたら男性の役割は定型化すると言えるのかもしれません。

 全体的に見回すと、『Flowers』では、時間が過去から現在に向かって垂直に流れている感じを受けますが、『愛する人』では、時間の変化よりも位置の変化の方をより感じてしまいます。『隠された日記』は、両者の中間といったところでしょうか。

(3)渡まち子氏は、「実力派アネット・ベニングの存在感と、現実でも当時妊娠中で、自身の妊婦姿を披露するほど入魂の演技を見せるナオミ・ワッツ、子供を産めず養子縁組を切望する黒人女性ルーシーを演じるケリー・ワシントンの名演は言うまでもないが、脇を固めるサミュエル・L・ジャクソンも見事だ。この物語には、悲痛な死もあれば新しい命もある。女性たちの思いが結実して誕生した小さな命が結ぶのは、未来への希望。陽だまりのラストシーンが、忘れがたい余韻を残してくれた」として75点をつけています。



★★★☆☆




象のロケット:愛する人


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