渋谷東急にて「グラン・トリノ」を見てきました。
前作の「チェンジリング」が素晴らしかったクリント・イーストウッドの監督・主演の映画なので、見逃すわけにはいかないと出かけてきました。
イーストウッド演ずる老人・ウォルトと、隣家に住む一家とのぎくしゃくした交流がメインとなっています。
その隣家の住民が、ベトナム戦争で国を追われた少数民族(ラオス高地に住むモン族)だというところが、この映画の特異な点でしょう。マイノリティーを描くであれば、以前なら黒人を持ってきたのでしょうが、最近では、「ミルク」のように同性愛者が取り上げられたりしており、そうした流れもあって、こうした特殊な民族に焦点が当られるようになったのではないかと思われます。
ラストシーンに至る過程には若干違和感があるものの、全体として非常に優れた出来映えではないかと思いました。イーストウッド監督が、前作の「チェンジリング」に引き続いてレベルの高い作品を生み出してしまうのには驚くばかりです(硫黄島2部作も素晴らしい作品でした)。
こうした映画に対しては、評論家諸氏の評価もかなり高くなるようです。
ただ、単なる印象ですが、評論の方向が、映画そのものよりも、その監督のイーストウッドの方に向けられているようで、それも皆同じような論点を問題にしている感じを受けます。
例えば、前田有一氏は、「年寄りが若者のためにすべき事を、本作は体を張って伝えている。それをほかの誰でもない、クリント・イーストウッドが語ってくれたことが、何よりも頼もしい」と述べています。
また、福本次郎氏は、「ウォルトが最期に見せた勇気と智慧はグラン・トリノとともに確実にタオに受け継がれたはずだ。それは、米国は多民族国家である以上、「正統派の米国人」の後継者は必ずしも白人でなくてもよいというイーストウッドのメッセージだ」と述べます。
蓮見重彦氏も、劇場用パンフレットにおいて、主人公の「ウォルトが純真なアジア系少年に見出したのは、かってのアメリカが持っていた「希望」なのだろう。希望の松明を手渡した相手、それは血がつながらずとも、ウォルトの心を継承する「息子」と見なした少年だった。消えゆく老兵の心意気―78歳のイーストウッドの心情が重なり合って見えてくる」と述べています。
さらに、粉川哲夫氏も、「社会や国家の変化を見すえ、愚かな道に踏み込んでしまったブッシュの時代の先を読みながら、同時にイーストウッド自身の映画的記憶を再構築する」と、大体同じような視点から述べています。
要すれば、79歳の監督イーストウッドが、遺言的に後生に伝えたいメッセージがこの映画から伺えるというわけでしょうか。ただ、このように言うためには、イーストウッドの制作したこれまでの映画を予め丹念に勉強するだけでなく、その生き方や考え方に通じている必要があり、そうではなく単にこの映画だけを見た人にとっては、こうした評論は余り意味がないものになってしまうのでは、と思われるところです。
前作の「チェンジリング」が素晴らしかったクリント・イーストウッドの監督・主演の映画なので、見逃すわけにはいかないと出かけてきました。
イーストウッド演ずる老人・ウォルトと、隣家に住む一家とのぎくしゃくした交流がメインとなっています。
その隣家の住民が、ベトナム戦争で国を追われた少数民族(ラオス高地に住むモン族)だというところが、この映画の特異な点でしょう。マイノリティーを描くであれば、以前なら黒人を持ってきたのでしょうが、最近では、「ミルク」のように同性愛者が取り上げられたりしており、そうした流れもあって、こうした特殊な民族に焦点が当られるようになったのではないかと思われます。
ラストシーンに至る過程には若干違和感があるものの、全体として非常に優れた出来映えではないかと思いました。イーストウッド監督が、前作の「チェンジリング」に引き続いてレベルの高い作品を生み出してしまうのには驚くばかりです(硫黄島2部作も素晴らしい作品でした)。
こうした映画に対しては、評論家諸氏の評価もかなり高くなるようです。
ただ、単なる印象ですが、評論の方向が、映画そのものよりも、その監督のイーストウッドの方に向けられているようで、それも皆同じような論点を問題にしている感じを受けます。
例えば、前田有一氏は、「年寄りが若者のためにすべき事を、本作は体を張って伝えている。それをほかの誰でもない、クリント・イーストウッドが語ってくれたことが、何よりも頼もしい」と述べています。
また、福本次郎氏は、「ウォルトが最期に見せた勇気と智慧はグラン・トリノとともに確実にタオに受け継がれたはずだ。それは、米国は多民族国家である以上、「正統派の米国人」の後継者は必ずしも白人でなくてもよいというイーストウッドのメッセージだ」と述べます。
蓮見重彦氏も、劇場用パンフレットにおいて、主人公の「ウォルトが純真なアジア系少年に見出したのは、かってのアメリカが持っていた「希望」なのだろう。希望の松明を手渡した相手、それは血がつながらずとも、ウォルトの心を継承する「息子」と見なした少年だった。消えゆく老兵の心意気―78歳のイーストウッドの心情が重なり合って見えてくる」と述べています。
さらに、粉川哲夫氏も、「社会や国家の変化を見すえ、愚かな道に踏み込んでしまったブッシュの時代の先を読みながら、同時にイーストウッド自身の映画的記憶を再構築する」と、大体同じような視点から述べています。
要すれば、79歳の監督イーストウッドが、遺言的に後生に伝えたいメッセージがこの映画から伺えるというわけでしょうか。ただ、このように言うためには、イーストウッドの制作したこれまでの映画を予め丹念に勉強するだけでなく、その生き方や考え方に通じている必要があり、そうではなく単にこの映画だけを見た人にとっては、こうした評論は余り意味がないものになってしまうのでは、と思われるところです。
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